金色に照らす 2
その日の朝ほど、清々しい朝はなかった。
徳川軍に従う金太夫の目の前には、琵琶湖へと注ぎ込む姉川が流れ、その向こうには大依山、岩崎山がこんもりと聳えている。
川と山の間の平地には、向かって右に浅井軍五千、左に朝倉軍八千が布陣していた。
元亀元年(1570)六月二十八日早朝、北近江の横山城を、信長率いる織田軍が包囲していた。
織田本陣が敷かれている龍ヶ鼻という丘の向こうから、太陽の光が差し込みはじめている。
朝日を横目に金太夫は、馬上の左近衛門に声をかけた。
「織田軍は何をもたもたしておるのだ、あれでは旗本が対岸の敵から丸見えではないか。昨日すでに朝倉軍がこの地に着陣したことを知らぬはずがなかろう」
三万の織田軍は六日前まで、浅井長政の本拠地、小谷城を攻めていた。
しかし、なかなか落ちないことにしびれを切らした信長は、作戦を変更した。
小谷城から南東に位置する浅井方の出城、横山城を攻める作戦に切り替えたのである。
横山城に籠る味方を助けるため浅井長政は城から出ざるを得なくなるに違いない、と信長は思った。
寡勢の浅井軍を平地に誘い出し野戦に持ち込めば、織田軍の勝利は間違いなかった。
信長は、家康に援軍の要請をしていた。
六千の徳川軍が、傘下に入ったばかりの小笠原氏助率いる高天神衆を連れて北近江の地に着いたのは、二十七日のことである。折しも浅井の援軍として朝倉軍が着陣したのも、同日のことであった。
信長の思惑通り小谷城を出陣した浅井軍は、織田本陣から五十町(5500メートル)も離れた大依山で戦況を窺っていた。
しかし朝倉の援軍が到着した翌朝、突如として姉川の対岸まで軍を押し進めてきたのである。
ちょうど、織田軍と浅井軍、徳川軍と朝倉軍が互いに川を挟んで向かい合う形となった。
「浅井軍と朝倉軍の兵を合わせても、こちらの方が兵の数で上回っておる。敵が容易に逃げぬよう、極限まで誘い込む算段ではなかろうか」
“地水火風空”と書かれた前立ての猿皮兜頭巾をかぶった左近衛門は、敵の陣形を注意深く観察しながら言った。
徳川軍の第一陣は酒井忠次の軍であったが、これははじめに鉄砲を撃ちかける部隊であり、第二陣の高天神衆が白兵戦を担うこととなった。小笠原氏助は家康に従ったばかりの新参者であり、徳川への忠誠を確かめるために先陣を切らされることとなったのである。
後ろには、“厭離穢土”の徳川本陣旗が朝日を浴びながら翻っている。
「ありゃりゃ、あれは間に合わんぞ」
朱色の手槍を肩に担ぎ、“三界萬霊”と大書された赤提灯を背に指した吉原又兵衛が、眩しそうに言った。もともと小太りで目が細い又兵衛は、さらに目を線のように細くした。
「織田本陣を助けに行ったほうが良いのでは……」
左近衛門が言いかけたちょうどその時、前方で銃声が轟いた。敵が渡河してきたのに対し、酒井軍が銃弾を浴びせたのである。
高天神衆の先頭には、金太夫、左近衛門、又兵衛のほかに、伊達与兵衛、伏木久内、中川是非乃助、林平六の七人の武将が、今か今かと手ぐすねを引いていた。戦ののち、信長から『七本槍』と賞される者たちである。
「助太刀に参る」
そう言って駆け出そうとする左近衛門の手綱を金太夫が掴んだ。
「もう向かっておるわ」
徳川旗本先手役の数十騎が織田軍の旗本を救出するため、右後方から龍ヶ鼻へと走っていくのが見えた。
「それより目の前の敵に集中しろ。左近衛門と俺は右から、ほかのものらは左から迂回して敵に切りかかるぞ。誰が一番槍を挙げるか勝負じゃ」
雑賀鉢の兜の緒を締め直した金太夫は、手槍を口に咥えた。
「左近、金太の兄貴、対岸で会おうや」
又兵衛は馬首を左へと向けながら言った。ほかの武将も各々の方角へと馬首を向けると得物を構えた。
突撃の法螺貝が鳴らされると同時に、六人は一斉に駆けだした。
金太夫は一呼吸置くと、露先に金の短冊を何枚も下げた朱色の唐傘を頭上に広げ、くるくると回した。短冊が朝日を反射してきらきらと輝く。
唐傘を器用に背中に指すと、手槍を持ち直した。
手綱を引き絞り、槍を天に突き上げると大声で叫びながら駆けだした。
「俺の名は渡辺金太夫照!参る、参る、参る!」