金色に照らす
1582年(天正三)三月、織田信忠、仁科盛信が籠る高遠城を落とす。武田勝頼、天目山に敗死する(武田家滅亡)。
「どの幟も見栄えせんのう」
高天神城三の丸の櫓から眼下に広がる無数の軍旗を見下ろしながら、男は呟いた。
旗は城をぐるりと取り囲み、南から吹き付ける湿った潮風に煽られ、ばたばたと音を立てていた。
赤絲縅の鎧を身に着けた四十がらみの男は、精悍そうな面構えをしている。溜息をつくと、曇天の空との境目がわからないほど灰色に濁った海をぼんやりと眺めた。
武田軍が高天神城を包囲したのは、天正二年(1574)五月七日のことである。
もともと、城主小笠原氏助は今川家に仕えていた。しかし、桶狭間の戦い以降、今川家が没落する。
虎視眈々と領土拡大を狙っていた隣国の武田家と徳川家は、今川家の衰退を機に駿河国、遠江国への侵攻を開始した。
遠江国の南端に位置する高天神城は、徳川家に帰属することとなったが、武田家も海上に浮かぶように聳え立つこの要塞を支配下に収めようと目論んでいたのである。
二万の武田軍は、一千の小笠原軍が籠る高天神城の、堂の尾曲輪、西の丸、井戸曲輪を次々と占領し、残すは本丸、二の丸、三の丸のみとなっていた。
「金太夫、ここにおったか」
金太夫と呼ばれた男の足元から櫓を登ってくる声がした。
「左近か。本丸にて軍議があるのではなかったのか」
「だからこうして、お主を呼びに来たのだ」
そう言いつつ門奈左近衛門は、ひょろりとした体を櫓の縁に押し付け、海に目をやった。
城内は、武田軍に最後まで抵抗するか、降伏するかのふたつに意見が割れていた。
武田軍の攻撃が開始されてから二十日ほどたった今では、あわや仲間討ちが起きるのではないかと思われるほど、抗戦派と降伏派の溝は深まっていた。
小笠原氏助は徳川家康に援軍要請の使者を送っていた。
その一方で、武田勝頼にも降伏の話を持ち掛けていたが、これは徳川の援軍が来るまでの時間稼ぎであった。
しかし、いくら待っても徳川軍が助けにくる気配はなく、あと十日も持ちこたえられそうにないほどにまで攻め込まれていた。
勝頼も抵抗を続ける小笠原軍に不信感を抱いていたため、攻める手を緩めなかった。
「俺は、降伏派じゃ」
金太夫は姿勢を変えないまま、ぶっきらぼうに言い放った。
「昨日までは、潔く打って出て死花を咲かせ後世に名を残す、と意気込んでおらなんだか」
左近衛門が呆れ顔を金太夫に向ける。
「こうも味方の仲が悪くては、気持ちよう死ねぬわ。それに、見よ。俺の首をくれてやってもよいと思える敵がどこにもおらぬわ」
金太夫は、城外にはためく様々な紋様の軍旗を指さしながら言った。
「お主は死に様のことばかり考えておるのお。江州の戦のおりもそうであったか……」
左近衛門は昔を懐かしむかのように再び視線を海にやった。
「左近、お主ははじめから降伏派であったか」
「ああ、小笠原軍の勝ち目は薄い。わしは少しでも生き延びることのできる選択をすべきだと思うておる。とは言うものの、いずれ天下は織田家が支配することとなろう。同盟国の徳川家におれば、先々安泰だと思うておったが……。再び徳川家に仕える日まで武田の厄介になるのも悪くなかろう」
左近衛門は深い溜息をついた。
降伏派は、なかなか援軍を寄こさない家康に腹を立て、徳川を見限るべきだと主張していた。
しかし左近衛門は、家名を絶やさないための道を常に模索していた。
「お主も生き延びることばかり考えておるではないか」
湿った風が吹き過ぎていくのを待つかのように、二人は暫く黙った。
「再びお主が徳川家に仕えることとなったら、俺の妻と子を預かってはくれぬか」
沈黙ののち左近衛門に体を向けると、神妙な面持ちになって金太夫は言った。
金太夫は四年前の北近江の戦で戦功を挙げると、海辺に広大な土地と屋敷を与えられ、妻子と共に何不自由なく暮らしていたのである。
「ほとほとあきれたやつじゃのお。そんなにも己の死花を咲かすことが肝要か」
左近衛門が言い終わるか終わらないかの時、突然二の丸の方角から銃声が鳴り響いた。
「敵襲じゃ!武田が攻めてきよったぞ!」
金太夫は急いで櫓から降りようとした。左近衛門はその時すでに、櫓を降りて槍を担ぎ、銃声がした方へと駆け出しているところであった。
(あのおりもお主の背中を見ていたような気がするのお)
左近衛門の後ろ姿を追いながら、金太夫は四年前の戦を思い出していた。