ヒトナナにーさん
特に何もすることが無いので、その日も取り留めなく思い耽る。塹壕の中から頭を出すという行為が恐ろしく感じなく為ったのは、一体いつ頃からだっただろうか。今ではもう、仮令、南部のキツツキが鳴り響く中でも、八十八粍の砲弾が、流星群の如く降り注ぐ中であっても、平気を保つことが出来るように為ってしまった。……慣れという奴である。だけど、未だに敵の砲撃を受ける時だけは、安全な退避壕の中で縮こまっていたとしても、俺の背筋は、ずーとゾクゾクと震えてしまう。遅れ馳せながら申そう、俺は軍人だ。
それは、決して恐怖の類いでは無い。では、何故かと問われれば、それは俺の記憶が呼び起こす、高揚感という奴なのだ。俺は空気を滑空して飛んでくる砲弾の音を、赤ん坊が笛ガラの音に反応するように、楽しんでしまっているのだ。
着弾音は、花火に似ていた。それは将に夏の夜。父上と病弱な母上、そして俺よりも6個以上も歳の離れた2人の兄たちと、まだ話も出来ない妹と、家族総出で隅田川の河川敷で見た花火の様だった。
火花が蒼穹高く上り…光った。と思った次の瞬間に、轟いた響には、俺の全身から熱気を全て出させるだけの、迫力と力があった。俺はそれを見た幼い時から、突然皆が揃ったように「ワッ」と、感声を上げる花火の色、光、模様よりもその後の噪音にこそ美しさを、敬意を覚えた。だから俺は今この戦場にいても、尚何かにつけて爆発音を心地よく感じるのである。
そういえば、父上とも暫く会っていない。最後に見たのは本土を離れる際に、横須賀で別れを告げた限りだったか。母上もだ。しかし母上の病も少しは良く為っているのだろうか。まぁ、上海の湊で、偶々一番上の兄に会って、一緒に茶を交わした時に、家の事情を簡潔にだが訊いていた。別段、家の事で気にする事は無いのだそうだ。それよりも、兄上が心配していたのは欧州情勢がどーのこうので、複雑怪奇、乱れているとかなんとか。まぁ、母上がイザという時に限ってはもう片方の兄者で医学生の時から天才だと言われ続けて来た唯兄様が、東京の大先生の病院から早馬で駆けつけて来て、他の誰にも母上の看病をさせず一人で何とかしてしまうのだろう。
一番上の兄は、地頭が良く祖父が始めた事業を継ぎ今なお拡大し続けている程の商人で、二番目の兄は子供の頃から鋭敏にして学識高く遂には若くして医者に為ってしまった。二人の兄と違い、特に目立った実力の無い俺が、こうして軍人に為ったのは、天命とも言えるべきものなのだ。
父は生粋の帝国軍人だった。その父、詰まり祖父も、関東の大地震を経験し乍ら商業を展開するだけの実力があるもの、事業を起こす前には帝政ロシアとの戦争にもやはり従軍している。俺が軍人に志願したのも、この二人に少なからずの憧れを持っていた、というのも否めないだろう。
では、IFとして。そんな家族にめぐり合う事が無かったのなら、俺は何に為っていたのだろうか。俺は、花火技師に為っていたのだろうか。いや、今でも為りたいのではないだろうか。拳ほどの弾に、火薬と染料、そして自分が磨き上げてきた技術を詰め込み、たった一瞬の輝きを描く芸術家に、俺は今でも夢を描いているのではないだろうか。鬱屈だ。
いや待て。こんな事を今話した所でもう、どうにもならない。俺は花火師に為る努力を何一つしていないし、
—————そうだ。ここは戦場だった。
俺はその事を思い出した。すると突如閉じ込めていた筈の恐怖が扉を突き破るように、体中を巡るのだ。
今迄、どれだけの戦友が自分語りをして、そして死んでいったと思っているんだ。
忘れてはいけないのだ。
……その時の俺は、
体が火照ってきていた。心臓が弾けん許りに心悸が高まっていた。
落ち着け、心よ、鎮んでくれ。
けれど、そんな切望にも応えず、動悸はさらに激しく為ってゆく。
いろいろな事を考えるのを止めようとして、俺は後に為って後悔した。
戦場の渦中で、思い出の回想やら瞑想をする事など、一時的な安息により安堵しているだけに過ぎないから、行くところまで行けば、この様に何時かは、狂気が忍び寄って、蝕んで来るのだ。
俺はそれを知っていたというのに。
俺は必死に、平常に戻る為に、息を荒くしながら集中した。
持っている銃を地面へと刺し、頭を銃床で抱えて只管に黙祷する。何故なら頭を動かす程、気持ちが不安定になるからである。自分に只管、大丈夫、大丈夫と話しかける。小さい頃、母がしてくれた様にだった。
大丈夫。そう俺は死なない。まだ死んでたまるか。今までもそうだったし、これからもそうだ。恐怖なんて糞くらえだ。
そう思いながら繰り返し言い続けると、俺はいつの間にか口に出して云ってしまっていた。
「それに、こんな短い所で、終わる訳がないじゃないか」
やっと平安を取り戻せた頃だった。だから、俺は、周りの状況どころか、誰かの跫音にも気づく事が出来なかったのだ。それが不幸にも、頭を上げ、目を開けると、人影が自分の眼に映っている。誰かがそこに居ると漸く気づいたのだった。独り言を聴かれてしまった。これほど恥ずかしい事は無い。
けれど、敢えて幸運だったのは、そこに立っていたのが、父上のような人間では決して無かった事だった。と自信を持って言える。
*
栗林貴吉という男を一口で語るならば、高潔にして聡明というのが、一番似つかわしいだろう。彼の質が、生まれたのは彼の幼少期に起因するところが大きいだろう。いや、もしかしたら、産まれつきの性分という奴かも知れないが。
彼の半生というのは、物心ついた時から、国の頂に立つ為の貴族的な教育と、御国の役に立つ為の愛国的な教育を施された。彼の家系も、遡れば鎌倉まで血脈が残っており、先祖たちの努力によって築き上げられた名家というのだった。それ故に彼もまた、言わばノブレス・オブリージュの一環として、軍人の道を自ら選んだのである。
ただ、彼の先代がいくら武士として勇ましく名を揚げていようとも、彼自身が益荒男で、軍略や軍才、戦巧者としての気質が在ったかと言われれば、これはまた話が変わって来るものなのだ。
彼の少年は、旧幼年学校を主席で卒業したのち、士官学校に入っている。しかし、その学童時代が黄金的であったのに対し、学生時代は、士官学校最初の試験で上位を逃して以来から華やかな成績を収めた事はない。それでも、座学は悪くはなく、士官学校を経て青年将校に就っているのを踏まえれば、優等的な部類に入る事に間違いはないだろう。
そして、その士官候補生時代が輝かしい物でなかったと言っても、決して色が無かったという訳では無い。彼は童顔ではあるが、爽やかな顔つきで、且つ背が高い。隊列を組めば独りだけ蒼穹にはみ出しているのと、節制な性格な為を評されて、旗手を務めていた。旗手と言えば、陸軍の花形の一つだ。
また、彼は非常に顔が利く。
戦友に恵まれ、部下には尊敬を受け、上官からの人望も厚い。将来の出世の為に、手蔓を作っていると思われるかもしれないが、実際のところ、彼は単純明快。人から特別愛されやすいだけなのだ。勿論、それを面白くなく思う者も少なからずいたが、彼には、その全てが、心底どうでもいい事だと思っていた。
それは、彼の心情が、半ば絶望していた為である。それが唯一の欠点とも言える。彼はこの世に生を受けた時から既に、物事、出来事、仕事においても、何もかもにおいて、縛られ雁字搦めにされるのを非常に嫌っていたからである。彼を何にも縛ってはならなかったのだ。
彼が女関係で話が挙がらないのも、嫁を取るとか、男女の縺れとかが、厭なだけで、本気で出世をする気が無かったのも、階級が上がれば上がるほど、強い制約が圧し掛かって来ると、本気で思っていたからである。勿論それだけの能力を持ちながらだ。
彼が、その天性の本姓とも言えるべき自分の質に気付いたのが、士官学校最初の試験という訳である。
それでも、彼は何か良い打開策はないかと、先の見えない真の自由に向けて、孤軍奮闘していた。ある時は、悟りを開こうとさえした。無理だったようだ。
結局、彼は諦める事にした。ずっといろいろな強制によって受けた気疲れを、根性で我慢していたのが、いよいよ爆発仕切れずに、生きる意義をさえ見失いかけたのだった。彼は、軍歴を持つように為ってからすっかりと替わった。悟りを開こうなんて事はもう考える事が無くなり、全てを諦める決意を固めたのである。
生きる為には、仕事をしないといけない事は、流石に教育を受け始めた頃から知っていたし、士官とは軍人の事で、ならば軍人とは戦いに貢献しなければならないのだ。だから、彼がこの志那の、この最前線に来たのには、若干二十三歳の将校としての任に当たる為であるのだ。
志那に送られることは、士官学校の時から何となく予感しており、その推察をすること事態は色々な状況から容易に出来るのである。けれど、最前線勤務などは、余程の戦争狂でない限り、余り気が進むという職場ではないだろう。
しかし、彼も将校としての自負があり、生きて内地へ戻れるという曖昧な確信が在った。彼は当に死ぬ気など無かったのだ。
だからこそ、前線に着任した時には隠しきるのが大変な程の驚愕が彼の身には生じた。道を歩けば確かに、一兵卒達が自分に向かって敬礼をしてくれる。その後に、それに応えるようにして同じく敬礼を返すのである。でも一兵卒がしてくれる敬礼は尊敬を込めたものでは無く形式的なものであるのは、見ていると凄く解る。そのこと事態が彼もよく解っていた。何故なら、階級では下の、熟練の曹長なんかは、彼と親子程の差があるし、通り過ぎていく皆が皆、彼よりも戦争に闌けているのである。彼もまたこの職に就いた時から自分が上に立つ事が決まっていたが、新兵は新兵でしかないので、自分が未熟者であるという事も解っているし、彼は自分が軍では、年少の部類に入ると思っていた。まだまだ青年でしかないとも思っていた。
だから、彼がこの部隊にやって来て直ぐ、自分よりも幾ばくか歳が低い隊員が居ると、耳に入れたのは早かった。
それ故に、そんな若年将校が、その興味本位に突き動かされ、最前の前線、この塹壕の中に入って来たのには、この様な理由があったからなのである。
*
俺は最初、非常に困惑していた。どれぐらい困惑していたかと言うと、信長を打ち取った明智光秀が、落ち武者狩りの農民に背後から刺された時ぐらい狼狽した。
まぁ他人からしたら意味も解らないような恥辱言を聴かれていたようだったし、佇む長身の男が、次に何を云ってくるのか正直怖かったし、仕事上の癖で、反射で肩を見たときに、其処に示す階級が、俺よりも随分と偉いのが解ったからでもある。
透かさず俺は、規律に添った形式的挨拶を行う。
「少尉殿。自分は、貝塚伍長であります。こんな、最前線にどの様な用事でありましょうか」
猫が初めて口をきいた時ぐらいの、少し噛んだような口調で話した。姿勢を正し直立し、敬礼をしながら云った。毎日歯を磨く事よりも、慣れたものである。
その少尉殿の顔は、俺よりも頭一個分以上、うえにあり、俺は首を見上げなくては目視する事が出来なかった。やけに背が高いや。
俺はこの様に初対面で話すのがとても苦手である。特に軍に入隊してからというもの、それが顕著に為った。
しかし、俺は先ほど困惑していたと云ったが、実は、この出会い。この場に於いて、終始驚嘆していたのは、彼の方だった。
それは、顔を見ればよく解った。俺は、思っている事をよっぽどが無ければ、余り顔には出さないが、どうやら彼はそうでもないらしい。いや、よっぽどの事が、彼の眼に映ったからかもしれぬ。
目の前の少尉の整った顔は、先の大地震にでも当たった家屋のように、今は崩れており、確実に言える事は、人間を見ているような眼では無かった。
といった感じか。
まぁそれは言い過ぎだが。
しかし少なくとも、彼がそれ以後は見せなかった怪訝な顔を、その時はしていた事はよく覚えていて、気持ちの良いものでは無かった。
でも、それは仕方がないのである。
彼がその間。そのオニキスの様な漆黒の眼で見下して見ていた、いや見下ろしていたのは若干十七歳の少年の姿だったからだ。
彼にはきっと其れが、常識とは思えなく、相応しくないものに思えたのだ。
その姿は、確かにカーキの軍服と腰よりも長い銃を携えた列記とした、人を殺す兵士だったが、でもそれは、町に出れば、「軍人さん、軍人さん」と子供たちから囃し立てられる様な勇ましい武士の姿では無く、それに憧れている少年の様にも見えるだろう。
けれど、彼は息を呑んだ。毅然とした態度を取った。本来云いたいことを、呑み込むように、生唾を飲み、先ほどへの回答では無く、俺に指摘をした。
「君はさっき、こんな短い所で―、と云ったね。それは、この戦いの事かい、それとも、この戦自体のこと。将又君の人生かね」
やはりか。聞かれていた。しかし、どう答えたら良いものか。
と、少し悩んだ。選択によっては失言に成りかねないからだ。
けれど、おれの癖なんだが、相手に嘘が通じる人間か解るまでは、虚言を吐くことは出来ず、ここは正直に応えることにした。
「確かに、この戦は二年近く続いていて、これを長いとみるかは、自分にはお答えし切れませんが、この場への配属にはそこまで日は経っておらず、これからの戦闘に備えて意気込みを、と思い至った次第であります」
俺は当たり障りのない事を応えると、再びその少尉の口が開くのをジッと待った。でも上官と対面しているのに俺の顔は堅く、顰めっ面をしているのが、どうやら気に触ったようで。
「そんなに、気構えないでくれ。別に、それを訊き調べてそうこうしようという事ではないのだよ。ここに来たのも、そう。君に会うためなのだ」
と念を押して云ったので俺は、自分に、でありますか。と傾げたような声で答酬した。
はてな。俺に会いに来たとは。俺はこんな好青年に見覚えは無かったので、何を云われるのか皆目見当がつかない。
少尉は、その通り。と首肯しながらさらに、
「ここ、座ってもいいかな」と云いながら、既に腰を下ろしていた。
俺は、長く成りそうだなと感じながらも、それに釣られて、尻もちをついて座った。
上を見上げると、塹壕の中から見る、開けたあなの向こうには、やけに高い所に澄んだ蒼穹が、何処までも拡がっていた。黒い雲一つとなく、幸いにも最近は暫く雨が降っていなかったので、地面は座るのに、十分と乾いていた。泥と戦うのだけは、したくは無いのだ。
少尉は塹壕の土壁に凭れ掛かり、長い脚を伸ばせば幅一米の塹壕には入り切る筈もなく、安座の体勢を取った。俺もそれに倣う。
少尉はまるで恥ずかしい話をする時のように、手で軍帽を持って、その中に顔を埋めて話し始めた。最初は、自己紹介からだ。
「私は、栗林貴吉だ。みな栗林少尉と云うけれど、好きに読んでくれ。実は、だな。少し前まで、士官学校に居たんだけれど、その時に、貝塚努少佐には、大変お世話になっている。と、云えば解るかね」
——え、父に‼
以外な名前が出たせいで、思わず素っ頓狂な声で驚いてしまった。少尉はその反応の加減に反応しながらも、俺にある問いを投げかける。
「だが、少佐からは、私と同じくらいの息子がいる事は聞いているんだが、君はどう見ても、二十三と、近いようには見えない。実に失礼なのは百も承知なんだが、君の歳を訊いてもいいだろうか?」
多分。初めからずっと気になっていたのだろう。やっと言葉にしてくれたという感じだ。でも、よくされる質問なので、俺は難なく応える。
「それは、きっと2番目の兄のことでしょう。自分は、父にとって目の上のたん瘤の様な存在ですので仕方ありません。自分は、6個下の17ですよ」
質問された順番で素直に応えていった。
彼はそれを耳にすると、十七!私はてっきり、13、4ぐらいにしか見えなかったのに、そんな馬鹿な。
と、俺よりも荒げた声で吃驚したので、俺は失礼な、という感じで、多少ムキになり、軍人手帳を取り出して見せつけながら、負けじと声を張って応酬した。
それを見るや否や、はー。と考え読むような仕草をしたあと、「見えないですね」と丁寧な口調で言い放った。
何故だろう本来は誉め言葉なのに、こう、腹と胸糞にくるのものは何だろう。
確かに、自分の身長はこの歳にすれば幾分かは足りないかもしれませんが、年齢も身長もぐんの基準値には満たしているので、何処に何の問題が在りましょうか。
少尉はまぁまぁ、と手のひらを見せて宥めながら云った。
「すまない。すまない。まぁ、今までの少佐の八つ当たりだとでも、思っておいてくれ」
それを聞いて、俺は少し冷静さを取り戻した。少尉もきっと父上の事で苦労したのだろう。実の息子が云うのだ、説得力があるだろう。それを、察して俺はすっかり静かになっていた。
少尉はまた口を開いた。
「そうだ、一つだけお願いをしたいのだが。私との会話は、敬語で話すのは止めてくれないだろうか。まぁ、流石に軍の都合上、公共の場では余り良くはないけれど、こういう時ぐらいは、同期の様に接して欲しいのだ。何せ、我々以外は歳よりばかりで、寂しいじゃないか。私達若者ぐらいは、仲良くやりたいのが、せめてもの切望だろう」
彼は終始笑顔だったが横目に覗いてくる眼は真剣そのもで、それが何処か願望とは違う命令の様に思えて仕方がなく、俺は黙って首肯した。
一人称も、「自分」じゃなくても良い。と云うので、俺は失礼して其の儘従った。
——彼はきっと俺に気を使ってくれたのだ。と、勝手に思っている。
―もしかしたら、彼自身が敬語を嫌っていただけかも知れない。
―たぶん彼の生き方が旨いのも、こういう所なのだと、感心する。
それにしても、父上の指導はそんなに酷いものだったのだろうか。
「酷いなんてものじゃないね。あの人は鬼だよ。鬼。普通の訓練でやるような内容じゃなかったよ、あの人の試練は。最初にあの人は実弾を使わせるんだ。経験こそものをいうんだって。週に一度の水泳も緊かった。何せ金槌だったから陸軍に来たって奴もいるんだ。死人をわざと出す気でいるんじゃないだろうか。と思ったぐらいだよ。終いにはまる裸で行軍をさせられたね」
確かにそれは常軌を逸している。正直やりたくはない。そんな父の一面を聞かされて、どうやら俺たち兄弟の躾は、生温いものだったらしい。
「一番緊かったのは、あれだな。防衛訓練と称して砲兵隊の射撃演習の的にされながら、塹壕を掘らされたやつだ。誰が一番早く掘れるか、なんて息巻いていた奴が死に物狂いで掘るもんだから、あの時の記憶なんて残っていないよ」
それは、少し楽しそうだ。……いかん、いかん。そんな事がしたら殉職者が出てしまうじゃないか。
「いや、流石に空砲だったけどな」
うぅ。確かにいかれてやがる。でも、流石に我が父と言った所だ。
「と、云うと?」
彼は懇談中、さぞ困ったような口調をしていたがどこか楽し気な顔で、本当に興味津々とばかりに聞いてきた。
俺は昔話を淡々と話す。
「俺はですね、自分で軍に志願すると父に云ったんですが、幼年学校に行かせてもらえなかったんです。お前みたいなひょろひょろは、兵卒から叩き上げなければいかん。と言われてしまったんです」
「なるほどなぁ。じゃ、君は何時、軍に入隊したんだい」
俺は、2年前、十五に為ってすぐ軍へと志願した。それが最低年齢だったのと、背が限り限り足りるようになったからである。
彼はそれを疑問視して、
「じゃぁ、君は2年で伍長にまで昇進したという事か。私も士官学校で予科から本科の間に伍長として隊付けがあったが、それとこれとは話が別というものだな」
「いろいろ無茶しましたよ。それはもう必死で。今は丁度戦があって武勲を上げる機会は幾らでもありましたし、生きるのに必死でした。でも知恵と運でやってきて、ソビエトの戦車を鹵獲だってしました」
彼はそれを関心している様なもの寂しい様な眼で黙って聞いていた。
「貝塚くん、私は少佐は酷い人だとは思うが父のように尊敬している。どうも私は人間としてというか、軍人としての資質に欠ける所が在ってね。少佐の指導はそれは熾烈なものだったが、私にとっては他の将校の訓練に比べれば自由そのものだと思った。確かに厳しかったが皆生きるのに精一杯で試行錯誤しながら自然の恐ろしさや武器の恐ろしさを人為的に体験した。生きる術を教わった。彼は自分が命令した滅茶苦茶な命令さえ守っていればどんな事をしてでも良いから達成せよと云った。多分君が見ている戦場はあれよりも酷いものなんだろう。あと、何せ気前が良いんだ。あの人。どれぐらい飲み食いを奢って貰ったか考えたくもないね。倒れこんだ奴もいた。嘔吐しながら走っている奴もいた。でも皆彼について行ったんだ。詰まり君と私達というのは遠い兄弟の様なもの何だよ」
俺は今までに無いぐらい集中して聞いていた。誇らしく嬉しかったのもそうだったし、その様に評価された父に憧れて良かったとも思った。
俺の知らない父の顔がそこには在った。
彼は続けて云う。
「そんな私だから云うんだが。少佐にはそもそも、君たち実の息子を軍人にする気何てのは、最初から無かったんだと思う。少佐に息子の話をさせた時に解ったんだ。あぁ私達とは違い、実の子供は違うんだ……って。それは君も例外何て事はないと思う」
それを聞いて俺は喉に何か詰まっている様に声を出すのが出来なく為っていた。家族の話を暫くぶりにしてか、心の内から何かが溢れそうで、息をすることさえ苦しく為っていた。
「私たちは、同じ父に育てられた兄弟だ。兄弟子と弟弟子だ」
と指を交互に刺しながら云うので、俺はこの人の事が、少しだけ分かった気がした。
栗林少尉は、家での父についてを諸々訊きたいというので、他愛もない世間話を、まずは父が本当に馬と鹿の違いがわからなかった時の話をすることにして、彼は大笑いして聞いていた。
花火の事も少しだけ話した。
暫くが立った頃。彼は飽きもせず笑っていたが、頃合いだと思ったのか狐のような眼をして、話を変えだした。
「そういえば、最初に君と会って気に為っている事がもう一つだけ在ったんだ」
俺は、父の面白話を胸の内に仕舞いこんで、何でしょう。と答える。
何にでも応えたい気分だった。
「君の髪。下士官にしては少し、といか可成り長いじゃないか。私はほら、士官だし。多少は伸ばしているが、君のはまるで女みたいじゃないか」
軍人にしては少し長めの御髪を振りながら痛いところを衝いてきた。対して俺の髪は、肩を上げれば付くし振れば風を切る音がなる。
でも俺が長髪なのはこれも又よく聞かれる事の一つだから訳も無いのだが、女みたいと揶揄されるのは非常に嘆かわしい。これが実にだ。
しかし何でも応えると云った手前、俺の幼少期からを赤裸々に語るしかない。けれどこれに関しては実のところ、原因は父ではなく祖父の方に答えがあるのだ。
「そもそも我が家は代々男が多かったんです。どうしてか常に茶の間には男ばかりで、父はそんな事、歯牙にもかけなかったのですが、華が無い。と遂に痺れを切らしたのは祖父の方でした。初孫。次鋒。そして立て続けに男が産まれたものだから、祖父の気儘は蒙むるしかなく、その対処を迫られたのは俺でした。なんと祖父は面倒は見るから俺を、女として育てよと父上に意見したのです。流石の父上も最初は了承しきれていませんでしたが。逆らう事も出来ず、ずるずると事を運んだのです。そのせいで俺は髪を伸ばされ、祖父から大量に送られる女物の服や洋服なんかまでを着せられて生活し、祖父にはよく写真を撮られました。しかし、怖ろしいのが俺はそれを普通だと思っていたのです。男にも関わらず女の様に振る舞うのがです。でも、お爺様は俺にその格好をさせては、色々なところに連れてくれたので、必然的に俺はすっかりお爺ちゃん子に成ってしまいました」
「それはまた、変質的な。しかしそうか。少佐のお父上。となると、成る程・・・・・・閣下の趣味が。実に災難だったな」
全くもって、その通りだ。いやもしかしたら、俺が軍に入ったのもその反動があったからなのかもしれない。
「しかしその写真。実に見てみたい気もするね」
ははっ。冗談だと思いたいね。
けれど俺は、その時苦笑し乍らでいるが、その写真はこれが自分でも怖いくらいに似合っているので、俺とは云わずいつかは見せたいものだ。
「それでも、妹が大きくなるとお爺様も俺で遊ぶのに多少は満足したようで、そのおかげで俺はお爺様から軍へ入隊するお墨付きを得たのです。
まぁ、お爺さまも父と同じ変態の部類ですので俺が死んでもその首は暫く神棚に飾るから、髪は短くするなと云ううえに、軍には、俺の髪について、咎める事が無いよう圧力を掛けたのです。」
「ふ、なるほどそんな事情が。うーん。それより妹がいるのかい」
父親を殺され人質生活をしていた家康公も吃驚する俺の苦労話より、少尉はどうやらそっちの方が興味を唆ったらしかった。
えぇ、いますとも。いて悪いですか。というか文句なら、父上に云って下さい。妹とは、よく遊んでいたので仲がいいんです。未だに、姉さまと呼ばれるのだけは癪に触りますが。俺の事を慕ってくれていて、家事も勉強も上手な良い妹です。兄さま達とは歳が離れていますがしっかりした子ですよ。
俺は少し機嫌の悪そうな仏頂面をしていたようで、彼は申し訳なさそうな顔をとる。
「いや、そういうつもりで訊いたのではないんだけどな」
少尉がそういうので俺は半眼だけを開けたまま、助言する。
「妹は、これがまたお爺様が病的に溺愛しているので、嫁に取るならお爺様の臨終を待たなければなりませんぞ」
「じょ、冗談を。少佐から娘がいる何て聞いて無かっただけだよ。それに嫁何て……取る気なんか、ありはしないさ」
強い口調だった。
けれど音質は、俺に向けて責めているようなものでは無いのが救いで、まるで自分に呆れているような声だった。
彼はまた本気の顔をしていたので、俺は黙るしかなかった。
突如として、真っ逆さまに南極にでも落とされた気分だった。
場が氷漬いたのが肌で解った。
すると、自分の発言で静まり返った空気を何とかしようと、彼はまた一風を吹く。
「因みに、妹さんの歳は?」
ん?……12です。
と応えると、彼は微苦笑して小さくハハッと笑った。
見合い写真を見せるまでも無いような会話だった。
そういえば、俺の服の殆どは妹への御下がりと為っていたっけ。
妹と撮った写真もかなりの枚数があったが、もう暫く撮っていない。あんなに仲が良かったのだから、俺の事を忘れられているなんて考えたくない。もう懲り懲りだと思っていた写真も今となっては懐かしく思う。
あぁ、京。こんど本土へ還ることがあれば、まずお前の顔がみたい。
しかし。嫁を取る気が無い、か。
断っておくが、たぶん決して嫁が取るのが難しくて云っているのではないだろう。何回もいうように彼は女に思慕されるほどの美男子だ。
だが不覚にも、俺も多少持っていた彼への醜い嫉妬というのはこの時少しばかり解消されていた。
俺は人生十七年の中で未だ、女から慕情を懐かれた経験をしたことがない。俺は、小学校に入ってからも同世代の学童と外で遊ぶということをした事がないぐらいなので、ましてや女から好かれる事など一度も無いのだ。
何度か、お爺様に連れられ宴会に連れられた事があった。
そこに居た爺さん達はみな孫やら娘やらを連れてきており、その自慢話をするのが毎回の恒例だった。
言わずもがな、俺がそれに連っていったのは、その為である。
蛇足になるがそこに来ていた大人たちは皆軍人か官僚だったそうだ。
そのお偉いさん方のどうでもいい話を聞くのも、子供の舌に合わない料理を口にするも、嫌になって大人達を放って、子供同士で集まるのが俺達にとっての慣習だった。
けれど俺といえば、同世代の男子たちに混じることができず、祖父の友達の孫娘たちと一緒に遊んだのは苦い思い出だ。たぶん誰も俺が男だと思いもしなかっただろう。
お偉いさん方もそこで出来た女友達でしかない者も俺の事をかわいいかわいいと云ってくれたのが、唯一容姿を誉められた事だろうか。
俺は虚しくなった。
俺は、思い出したように、地面に放ってあった背嚢を取り出して中から小包を一つ取り出して、そうだ、これをどうぞ。と云って少尉の前に突き出した。
なんだね。と勿論訊かれる。
俺は包みを開き、中に入っているものを少尉の眼につきやすい様に上にあげて云う。
「梅干しです。まぁ粋(酸い)というのは梅干しだけにしましょう」
少し笑ってくれた後、
「甘酸っぱいねぇ」と云いながら手を伸ばして口の中へ入れる。
俺も同じくそれに倣う。
確かに4月の寒風が体によく沁みた。
唾液が顎下腺から出てくるのを感じて、二人揃って立ち上がり口にあった種を敵のいる方へと風を斬って飛ばす。
少尉は久方ぶりに立ちあがったので腰を抑え、俺も腕を蒼穹高くあげて、背伸びをする。それでも少尉の高さには届かない。
「こうして、まじまじ観てみると、やはり女みたいだな。声もまだ高いままだ」
俺は珍しく体温が上がるのを感じて、頬をリスのように膨らませて言い返す。
「やめてください。俺は軍人に為っている間は少しでも男でいたいんです」
いつになっても声変わりの起きる気配が感じれない男らしくない声で懸命に返した。
「おっと、いけない。もうこんな時間だ」
左手に付けてあった腕時計を覗いて、少尉は、この時間が終わることを告げていた。俺は腕時計を持ち合わせていないので時間は解らないが、あんなに高い所にあった太陽が今は随分傾いている。
「私は、もう行くとするよ。実に楽しい時間を過ごせた。本当にありがとう。私は作戦立案の会議があるのだ。これから宜しく頼むよ。じゃ、武運長久を」
敬礼をする彼に、お礼を言いたいのは、こっちだ。と言いたかったが照れ臭くて云えず俺は深い事を考えてはいなかったのだが、他愛もない事を逃げるように話した。
「攻勢作戦ですね。どうか頑張ってください」
俺は敬礼を返した。
けれど、思っていた終わりではなかった。彼は進行方向を変え立ち去る事をしなかったのだ。
小官など上官が居なくなるまでは手を下には降ろせいのだ。
それは、俺の見間違いでなければ彼は今日で一番の驚いた顔をしていたからだった。
「手を下ろしてくれ。それよりも今、なんと云ったかね」
戸惑いつつ俺は、全ての指示に従う。でも俺は何か変な事を云っただろうか。どうか頑張ってください。など別段変な掛け声でもないだろう。
「いや。そっちじゃない。攻勢と云ったかね。私は作戦立案としか云っていない上でだ。しかも軍の皆が知る通り我々は今4月からの国民党軍の攻撃を防衛して耐えているところだ。先日も攻撃を受けたばかりの筈だ。どうして攻勢作戦だと思うのだ?」
なんだ。そんな事か。と少し安堵する。
俺は、審尋に対し思った事を思った通りに応えた。
「我が軍は補給が十分整っています。そして敵は再編成したとはいえ武漢も広東も我が軍の手中にあります。それにここは北方。重慶からも離れて連携が取りぬくく此方にも利があります。敵がみすみす攻撃をしてくるのであれば、攻撃こそ最大の防御。我が軍から攻勢に出るのが妥当かと」
俺が熱弁を振るい終わると。そうか。と彼は納得とも取れない声を呟いた。考えるような仕草をした後再び時計を見やる。
「とにかく、私はもう行こう。そしてまた会おう」
彼がそうやっていうと、俺も思い出したように。はい。また会いましょうと。本来なら失礼でしかない別れを告げた。
でも、これで良いのでしょうという様な顔をして、彼もあぁ、それでいいのだ。と云ってるかのように肯うと今度こそ自軍の中央へと帰っていった。
俺は嵐が過ぎ去ったように辺りを見回して、再び地面へと腰をついた。
再び、取り留めもなく思いに耽る。もう一度過ちを犯さぬよう、今度は注意を持って思考する。
また。会おう。とはどういう事だろうか。などと意味的にそして哲学的にも考えてそうしていたが、どうも今日は頭を使いすぎたようだった。
いつの間にやら、考える事をやめて、
「渡るにやっすきー、安城のー、名は徒のー、ものなるか、……」
唄を歌っていた。そして、思い出してしまい、不意に涙が流れる。
塹壕の中から、女のような声が響いて、俺は気づいた。
―俺はいつのまにか軍人だったのだ。
最近、よく続く晴天のおかげで塹壕を立て直す必要がないのが俺にとっての、幸福だった。その日の幸せもそれで終わりだと思っていたのが、やはり良いことが起こる前兆だったのだ。願って手に入るものには限りがあり幸福とは得てして棚から牡丹餅の事が多い。
そうだ。今日こそ軍職史上最高の日だったのだ。
昭和十四年。(1939年)昼食後。
「貝塚伍長。本日4月26日付けをもって、支那派遣軍第十三師団、第103歩兵連隊、山本中隊の第3小隊、小隊長補佐に任命する」
「拝見いたします」
と、云いながら俺の前に立つ男。父上の同期ながら未だ大尉として燻っている、俺の直々の上官から一枚の紙を受け取り先ほど耳に入れたのと同じような事を眼にいれた。
「わたしも、君と部隊を離れて清々するよ。君に悪気がないのは解るが、わたしはあの男がどうも本当に嫌いだ。君の事をお願いされた時は開いた口が塞がらなかったものだが、立場上、引き受けざるをえなく。やっとこれで肩が軽くなる」
肩を回してまで、随分と嫌味なことをいうものだ。まぁいつもの事だが。
「しかし、自分には小隊軍曹など荷が重すぎると思いますが」
「はて?栗林君、直々の具申によるものだったがね。聞いておらんのか」
俺はそんな事一つも聞いていない。つまり少尉が、俺の転属を推薦したという事か?
「まぁ。お似合いじゃないか、曲者どうしで。私は軍では君のような子供を遊ばせる気はなかったものだが、やはり君もあの糞親父殿の子どもといわけだ。実力は買ってやるから、わたしの所からさっさと出ていきたまえ」
綺麗に整えた髭を触って、大尉は俺を追い出した。
荷物を纏めてさっさと天幕を出て、さて何処にいけばと辺りを捜索していると、昨日見憶えた顔と背の高さの男が俺の方へと手を振っているのを確認した。
「貝塚伍長。どうだね、千林大尉から話は聞き終わったかね」
「申告いたします。陸軍伍長貝塚○○は本日付けを持って、第三小隊勤務に転属を命ぜられ、ただ今着任いたしました」
「よろしい。よろしい。では、立ち話も何だから話しながらでも移動するとしよう」
彼はエスコートでもするように手を伸ばし、膝をおってあざとく誘導した。その方向は本部の天幕から離れており、何処へ着くのやら解らず、初めての転属という事もあって少し期待しながら歩いた。口を開くのを人が通り過ぎるのが少なくなってくるまで待つ。
「少尉。どうして俺が小隊長付きなんですか。俺は伍長ですよ。こういうのは古参曹長なんかがやるべきなんじゃないんですか」
「ほう。やはりそれを聞くかね。自分を卑下して云うのであれば、やめてくれ。君はそれに足りえる能力を持っている筈だ。自信を持ちたまえ。君は年相応だからのその地位にいるが、応分に評価すれば私は、准尉まで顕したいぐらいだよ」
俺は冗談にしても、身に余る言葉を貰い突かれて、彼の速足について行った。
そして俺のしかし、というような顔に向けて続けて云う。
「けれど、千林大尉の、あの二つ返事は何だったのだ。君は、あそこまで嫌われていたのか。だけど安心したまえ。私の小隊は皆古参ばかりだが人情みがあって良い奴らばかりだ。それに基本的な指揮権は副官の小林君に任せてある。君は、私のサポートをしてくれ。期待しているぞ」
腕を立てる彼にどこかホッとして、思いもよらぬ配属に俺はワクワクを隠せずにいた。
ところが彼が、「着いたぞ」と云った場所はさらに思いもよらない、いや出来ない場所だった。
我々が駐屯している内の奥にある広場にその場所はあった。馬のいないこの師団で自動貨車に次いで早いのが、ここに置いてある銀輪だった。
これは、何だ。どういう事だ。
「見て解らんかね。銀輪さ。この足踏桿ってのを踏むと前へ進むんだよ。乗った事はないかね」
「いえ、ありますけど。って、そんな事を云いたいのでは無く、今から小隊本部へ行くのではないんですか」
「そんなもん、後からでもいける、いける。取り合えず、今は2人水入らずで、今を楽しもうじゃないの」
ニヒヒヒヒー。と悪そうに口角をあげ笑っている。
銀輪で荒野を駆け抜ける事30分。車輪がキキィっと音を響かせて到着したのは我々は待機していた所より1個後方の町淑幽だった。
着いてきてくれ。というからには、従わなければならない。
町は本土で云えば村ぐらいの大きさで中華風の建物がぽつぽつと建っていたり、いなかったり。向こうでは煙が何本かたっているのが見える。
彼は道を真っすぐ進み、俺はその背後を追っていく。
支那に来て、驚いた事の一つ何だが、通り過ぎていく者たちは皆、絵などで見る辮髪をぶら下げ、風俗的衣装を身に纏った満州人の姿ではなく、同じような色、同じような大きさの中山服を来た面白くない人間たちだった。
そんな中では俺たちのようなカーキが目立つのは当たり前で、じろじろとではないが、視線が常に付きまとってくる。
ここに駐屯している憲兵なんかが居そうだが見る限り皆、支那人のようだ。
広い道。といっても舗装されていない、只の砂利道を曲がると狭い道にでる。何かが出そうだ。もちろん物の怪の類いも怖いが匪賊に会ったのでは堪ったものでは無い。でも俺たちも武装しているし、それを集団で襲った所でだが。俺は、身構えて手に持った三八式歩兵銃の安全子を押し込みながら右へと回す。
けれど杞憂だったようで少尉はすぐ立ち止まった。
「ここだ、ここ。やっと着いたよ。さぁ、入ろうじゃないか。ん?貝塚伍長、そんなに身を固めるなよ。面倒ごとの元だ、大人しく収めろ」
と云うと俺の銃を取って素早く安全子を回し、機関部を動かし弾だけ抜いて投げ渡した。
「さぁ、店の中に入ろう。入ろう」
少尉が店というそれは、看板はなく花壇が置いてあり窓掛の掛かった窓が点在してある煉瓦造りの建物に、下へと降りる小さな階段があり、その奥に小汚い扉が蜘蛛の巣を張って佇んでいた。
少尉が扉を回して開くと、まだ明るい日の光が上から地下へとまるで綿のケットの様に吸収して注がれていた。その人間ではまず感じることが出来得ない刹那のあと、遅れてチリん、チリん。内部の舌が鐘を叩く音が店内そして外にまで響いた。
鈴の置いてある所に手を置き扉を押さえつけた少尉を見て俺は店自体に吸い込まれた様に中へ入るとまた直ぐに立ち止まってしまった。
わぁー。ちんけな感嘆声を張り上げて自分の眼に映る差異に釘付けに成った。
少尉が手を放して趣深い扉がバタン、と音を立てて元の位置に収まると、追風が颯々と背中を押してくる。
日光が恐れ多いとでも思ったように介入するのを忘れると、空間は鮮明に神秘的な景色を俺たち一行に見せつけてきた。
凡そ天井が建物の中で或ることが解らないほど高く、外に出しても、団体客なんて屁でもなく何の問題もない茫洋さで奥行きがしっかりとある。鹿鳴館ぐらいでしか見ないような(行ったことは無いのだが)シャンデリアとかいうのか、綺麗なガラス製の点燈が部屋を薄暗く照らしていた。入口には広いテーブルと椅子が食事処のように羅列して在ってその向こう側にカウンタの長いテーブルと皮椅子、そして大量の酒が詰まった瓶が敷き詰めて置いてある棚が設置してあった。棚と机の間には店員と思われる、白と黒の恰好をした支那人の男が独り、何やらを手ぬぐいでグラスを拭いているようだ。
「どうだい。西洋的だろう」
まるで自分こそがオーナだ。とでも謂わんばかりの自慢げな若気っ面を浮かべては、迷わず其の儘俺をカウンタ席へと誘いこみ、隣へと座らせる。
少尉は新品の様な牛皮でできた御品書きを手で持って流し見し、手慣れた物言いで酒を二つ誂える。尚、実に達者な北京語を話すので明晰と聞き取れた訳ではない。
「马提尼を二つ。種類は問わない」
店員は、あい解った。何て一言も云わない無愛想で配い、流動体の入った英語で書かれた瓶を何本か取り出して銀鼠色のした鉄製瓶に其れらを混ぜた。どうやらマティーニとやらを作っているらしかった。
「貝塚君。酒はいける口かね。強制する気はないんだが」
猪口を持つ手を作って訊いて、俺に対し確認をとった。俺も弱くはないが、少尉はどうやら上戸の方らしい。自信に満ち溢れた顔をする。
「いけます、いけます。酒も博打も父上の方に叩き込まれました。けれど、〝まぁーてぃいに〟というのは飲んだ事は無く、こんなハイカラな店なんて、それがし初めて訪れまして」
「そうこなくては奢り甲斐がない。しかし君。今の北京語が聞き取れたのかい?」
聞き取れた。と云えばそういう事に為る。俺は北京語と英語は習っていたから話くらいは出来ると自慢して云いたいけれど、それは日常会話にすら到底ついて行くことが出来ない代物で冗談一ついう事ができない。試験の方も余り訊かないで察して欲しい。どちらかと云えば英語の方が得意だったが広言を吐ける程のものじゃあ無い。
「それでも凄いさ。この世にゃ英語どころか日本語すら下手糞な奴がいるんだぜ。そいつと比べりゃ大したもんだ。……それにしても英語か。あれは私も好きだぞ。自由の国。この響には誰でも少しぐらいは憧れるではないか。あと、私が習ったのでいうと、他に独語と仏語もいけるぞ」
やはり優秀だ。と思った。あたり前だ。彼は士官学校を卒業しているんだ。金があって多少の学識があれば態々軍に進む道なんて本来なら取らない。でも支那で一年過ごしても北京語の凡な挨拶すら出来ないのがいる中で、多言語を扱えるというのは抜きん出た伎亮なのかもしれぬ。
「実はここのマスターも、英語は喋れる筈だぞ」
と云いながら彼はまだ酒を振るこの衣嚢からはみ出したハンケチに西洋的に整えた沙羅男の様な髭。サラリーマンとは違う紳士姿に向かい、英式の貴族御用達の舞踏会で話される英語の如き発音と貫禄で疑問を呈した。
「あと、どれぐらいだろうか?」
するとその老紳士ともいえない歳の解らい男はそんなに潜心していたのか閉じていた眼を右だけ器用に開けて「おーるもうすと・れでぃ。もう少し」と低いが芯のある拉げた声で応対した。
しかしどうして、こんな支那の辺境に東京でも滅多にないような店が存在するのだろうか。
「あぁそれなら、この前、初めて来た時にマスター教えてもらったのだけれど昔英軍が作った店をその儘運営しているらしい。この近くに石ころ目当てに海外の企業が点在して進出しているらしくて、今こそ客は少ないが、知る人ぞ知る酒場の穴場らしい。私はこういう店を探すのが趣味でね~、そういう店は、多少の銭さえ握らせれば教えてくれるものさ」
酒は飲めればいいものではなく、こういう店を地道に探せば旨い酒に有り付けるのだ。と付け加えて云うぐらいなので余程の味なんだろう。
云うが早いか、直ぐに酒は出てきた。足の長いグラスだけれどガラスとは思えなく中身が浮いているかのように映った。シャンデリアを介して降りてくる光がさらにグラスの中身を介すのでテーブルが動いて輝いている。まるで液体の宝石のようだ。
私の隣で彼は右手でグラスを持ち顎を上げ唇を尖らせマティーニを注ぎ入れた。感想も何も云わなかった旨そうに楽しんでいたのは、その表情と息遣いを観れば解る。
俺はその姿に不思議そうな顔で見つめているもんだから、それに気づいた彼が俺を嘲る。
「何だね伍長。初めて見る酒はやはり怖気づくかね」
やはり子供か。みたいな顔をして虐めるので、よせばいいのに、何を。と向きに為ると、目下の手元のを、両手で持ち上げて口へ近づけるとぐびぐび飲み干した。
確かに、旨い。少し苦くて辛いがコーヒーすら喉を通さない子供舌の俺でも甘味が感じるおかげか胃の中へ楽に流れていく。俺は度数35ぐらいの酒を飲み終える。
「さて、改まってそろそろ本題に入るとするか。まあ、こんな酒の場でしか語れない話もある。今日はいっぱい、飲むつもりだからな。こんな時は口を滑らせてしまう事だってあるだろう。いやいや、仕方がない」
おそらく、今立ち上がって手洗い場の鏡を見たら、朱色に為っていそうな顔で真面目な顔を作り、耳の穴を拡げ全ての空気の振動を拾う。
せめて、酔いが廻ってくる前に早い所終わって欲しいものだ。
「昨日、君が云った事についてだ」
ごくん。と俺は生唾を呑み込んだ。
「まったく驚きだ。君が云った通り、あの後の会議で、小隊長は集められ中隊長どのから作戦の概要を知らされた。本当に驚いた。確かに、反転攻勢だったよ。第三師団からの情報だが敵さんは近々軍を集結させ、一大攻勢に出るらしい。我々は、出る釘を先に叩く!」
ドン!と手でカウンタを叩いたので飲みかけだった少尉のグラスの中は波立って横に揺れ、少し零れる。彼はそれを見ても放って置ける人ではないのか、漸く飲みほした。
「あの時。ほら君が今こそが好機だ。みたいな事を昨日云った時だ。今思えばこれは本当に、好機でしかない事なんだよ。貝塚君。我々にとっての敵は、何だと思うかね」
我々の、敵。随分と抽象的に顕したものだ。そんなもの。国民党軍か、毛の共産党軍しかないだろう。
「無論、確かにその通りだ。この事変の名の通りでもある。だが、今回我々が狙うのは、特定だ。君も名前ぐらいは訊いた事があるだろう。中華のハンニバル。湯・恩伯を」
湯恩伯。共産党討伐で惨敗を決し、一時解雇寸前に陥ったものの我が国に留学し、軍事学を習っていた成果により、綏遠の地にて、関東軍が率いた蒙古独立戦争において国民党軍を勝利を導き、出世。支那事変後も我が軍に多大な損害を与え続け、昨年の春。台児荘で大部隊を率いて支隊を包囲し、我が軍の大苦戦。湯恩伯の出現により帝国軍最初の敗北と為った。将に対日戦の専門家である。だが奴は今。重慶にいると噂を訊いたが。
「それが今。あいつは六個師団を率いて、ここ。湖北に向かい大規模攻勢の立て役に、成る気らしい。我々は、それを叩き、奴を捕らえ、首を晒した事に依り、徐州作戦での借りを返した事になるのダ!」
勇ましく。意気軒昂に漲っていたが、少尉の握った拳は確実に震えていた。
俺は耐え忍ばれなく為っていたが、あたり前だ。相手側には圧倒的なまでの人的差が在るはずだ。どの位かは、解らないが。
「敵の規模は凡そ十個師規模。それに対し我が軍が動かせるのは三個師だ」
断っておくが、この事変は、数だけで決まるものじゃない。そもそも練度と兵装が圧倒的に違う。しかもこちらは奇襲を仕掛けるのだ。勝つほうが道理というものだ。
「そうだな。全くもって、その通りだ。よし、じゃあ詳しい作戦内容を伝えるぞ。全部。頭に叩きこんでくれ」
彼のこの時の口調は、年下に策励されたのがやはり気に障ったか、ちゃんと勇気づられていたのか、少し早口で。でもかなり丁寧。業務というよりは授業を聴いて受けている様で、直截簡明な説話を俺の頭に仕舞いこませた。地図を頭の中に浮かべ行軍予定を散々に訊き、やがて話が終わる。
作戦開始は五日後。第三師団の先制から始まる。我らは南から包囲を試みる。けれどこれ以外の事は、意外でもないのだが。俺は訊いて全てを脳に仕舞い込めたかというと、別段そうでは無い。俺は元来、本能の儘に動くのだ。だからこうして、計画建てだの戦略、策略だのは概念上の存在でしかなく、でもその場、その場で臨機応変に。とも違う遺伝性の本能型なのだ。ちっとも入って込ないので、唯々長い時間。たまに首肯を返しながら体を横へ向けた。
本当に暫くが経った頃だった。
「……と云った感じだ。多少は要略を入れ、到らぬ所も在るだろうが、これで全てだ」
到るも、何も。どこが怠っているものすら解りえない俺なのだ。どうもこうも評すること何とも敵わない。
俺は御多分に洩れず定説通りに沿って情けなしに「あい。解り得ました」と応する。
「ま。まぁ。詳しい事は小林君に一任しているからな。うん。取り敢えず飲み直そう」
と云って。興じたいのか、単純に酔いが醒めたのか、今度はまた別のよく名前が訊きとれない酒を頼み、俺に牛皮の品書を差し出す。
さて、俺も何か選んで飲んでみるとするか。と品書を受け取る。唾液の呑みすぎで、喉が乾いて仕様がない。と思って品書きを開くが、最初の頁から頭が痛く成る程の漢字が櫛比していて仮名は無い。仕方なく英語の横字を見やる。
ジントニック。ホワイトレディ。ギムレット。聞いた事も無い様な酒が堅苦しい説明付きで並び、途中には先ほど頼んだマティーニの文字が見える。
しかも下の方に書かれた怖ろしい値段設定をした数字が見えたが、今だけは気にしないようにした。並べられている中で唯一眼につく単語が在った。
「このサケ・オリジナルというのを下れ」
あたり前だが下手な英語で云った。
しっかりと訊き取れた支那人の店員は並行して作ろうとする。
出来るまで、壁に掛かっていた時計を眺め時間を待つ。
時計の針がグルグル、かなり廻った所でやっと。俺のサケは届いた。
同じようなグラス。けれど見た目は透き通った群青色で、日本酒には見えなかった。匂いはどうだろう。うん確かに、ほのかに日本酒がある。けれどそれを覆い隠すほどの果実の香りだ。
俺よりも先に何やら赤い酒がきて、既に飲み始めていた少尉が口を開いた。
「そうなんだ。けれど日本酒は死んでいないぞ。匂いを直に感じ口答えがそれを押し上げる事によって日本酒と外国の酒が初めで共存し新たなる神秘を味覚で味わう。そんな酒。まぁ飲んでみたら解るさ」
と、まるで世界中の酒を飲んできた食道楽家の様な自信をして、俺も乗っかった上で洒落込んで、まずは、一口テイスティングする。
うまい。確かにうまい。俺に語彙が無いせいで、うまい以外のが見つからないので、取り敢えず。本当に美味かった。
成る程。これは少尉の云う通り日本酒は生きている。唯々酒を混ぜたのではない。絶妙な黄金比と巧みな構成は飲んでいる者に態々自己主張をしてくる。それを認めざるを得ないのだ。
「気に入って貰えて良かったよ。そう解りやすく喜ばれれば此方まで嬉しくなってしまう」
その後も、何やらロングがどう。ショートがどうとカクテルの話をしていたが、訊いても尚解らなかったし、やっぱり憶えてもないので割愛する。
俺たちはそうして、だらだら話しをしているのを見たか、見かねた初老のマスタはそっと酒を置くと。少尉に向かって耳打ちする。
北京語を訊きとれなかった訳ではないが、酒のせいもあってか意味までは解らなかった。
けれど、少尉はやけにニヤと笑いこみ、微笑混じりに。そして俺が解るよう英語で告げた。
「彼は男だよ」
驚いた。美味い酒を吐き出す所だった。
この初老はそれを訊いてか眼玉が飛び出るか、顎を引き唇を噛んでいて、俺も酒が入っていた勢いも在り眉間に皺を寄せる。少尉だけが腹を抱えながら高尚無く哄笑していた。
「ふふふ。ほ、ほら、伍長。君宛にオリジナルカクテルのサービスだそうだ。意は、『美しい花は庭でこそ輝く』だそうだ。き、君を私の秘書官か愛人だとでも思ったのではないか?」
どうやら今日驚いて気づいた事だが、俺には女の面影が残っているらしい。こんな穢苦しい男の園で血と泥を浴びて過ごしていても、長く在った本質を取りきるのはどうやら難しい。
「仕方がないさ。君はそう男だと思っても、髪は長いし男らしくない、むしろ、愛愛しいところがあるのだよ」
寒気がした。
俺は男色には流石に倫理的に難色を示さねばならなく、男に可愛いと褒められるのも今では嫌悪したい所があるので、さり気ない抵抗として。けれど軽蔑の眼は向けていたかも知れないが、
「やめてください」と正直に具申した。
「いやいや、別に。私は昔みたいに衆道を望んでいる訳ではないぞ。君を若衆のようにみている訳じゃなくて、えー何だ。そのー」
と慌てふためくので、俺は何とかこの場を収めた。
「ふう、解って貰えて何よりだ。私は女に好かれる事が無いと断言するのも逆に僻まれるから云うが、正直私は持て囃される。けれど前にも云ったが本当にそういのに興味はないんだ。勿論、性欲が無いわけじゃ無い。けれど男色にせよ粋にせよ、私はそういう面倒ごとが兎にも角にも嫌いだ。だから君といると、本当に落ち着くよ。君以外の軍人というのは実に品がない」
そもそも軍人とは元来そういう側面はある。だが、この少尉にしろ俺にしろその軍人像に当て嵌まるわけでもない。やはり俺たちはどこか似ているのだ。
そんな事に同感すると、彼は不意に呟いた。
「あーそうだ。それで思い出したんだが。君と別れたあとどうも時計の針が擦れていたらしい。前で良かったよ。後ろに擦れていたら何を云われたのか堪ったもんじゃない。けれど、そのせいで、君を小隊補佐に推薦具申したこと、伝えるのをすっかり忘れてしまった」
と、云いこれで、転属を少尉から聞いてていなかった訳は解決した。
少尉は狂った針を直そうと店に掛けてある時計を見るが、どうやら解らんらしい。
俺のほうが椅子一個分それに近く、見た儘の数字を伝える。
十七時二十三分ですよ。
彼はその数字にむけ針を調節し、善し。と許容の声を上げる。
すると、彼は駄弁を呈した。まずは序章。
「話は替わるが、私は思慮深いのかなんなのか。こういう時計の数字を見るだけでもある特定の意味を見出そうとしてしまうのだ」
針を直し終わった彼は、一口同じ酒を啜り話を本論へと戻す。
俺も聞きつつ両手でグラスを持っている。
「例えばそうだな。あと少し時間が進むと19:14。先の大戦を思い出す。フェルディナンド皇太子が暗殺された事で人類初の大戦の火蓋が切られた。こんな感じで毎日時計をみて覚えると大切な事も記憶の奥まで覚えれるんだ」
確かに身に覚えがある。数字で語呂合わせをよく作ったのもその内かもしれない。けれど、それじゃあ人類は、2400年までしかその理論を使うことは出来ないな。
「はは。確かにそうだな。けれど俺達はそこまでは生きれないんだ、その歴史は後世の者に託すしかないな」
生きれない。か。確かにそうだ。でもそれは六十までとか長くて七十までとかでは無い。俺たちは明日十七。二十三で死ぬかも知れないという、運命の橋を通るか通り切らないかの瀬戸際にいるんだ。それを思って二人とも黙って硬直した。
「こういう陰気臭い話は良くないな。まぁ飲もう。じゃあ私は春水を」
と云ってさっき見た品書きの中で一つ眼だっていた酒を頼んでいた。
俺も少尉に賛同し反復して注文を云う。
未だに、この時の数字について、語呂の閃きを捻り出しきれてはいない。
それでも俺はこの数字について多分忘れる事は無く、俺はどんなに酒に酔っていたと言われても、自信を持ってこの日だけは、この酔っていた日だけは忘れる事はできないだろう。
彼も私も構わず飲んだ。というか彼は楽しみ、私は格闘していた。
云うだけあって彼は酒に強く、中々倒れる気はないようだった。
呂律もしっかりして、律儀。そして丁寧な言葉しか知らないさまだった。
「そうだ、俺は少し気掛かりな事があるんだ。この大日本帝国皇軍に関わることだ」
彼は大風呂敷で豪語したかに思えた。
「否。本当に真面目な話さ。これを君に云うべきなのか少し悩んではいたんだが。というか、そもそも誰にも云う積りは無い憶測だが。君には伝えたいと思う」
鬼が出るか蛇が出るか。彼は笑い話では無さそうな面持ちだった。
「いや、だがいおう。それはな……」
じゃがじゃがじゃじじゃん。
大層溜める彼の物言いに、没入していたせいで、何事が起きたかと二人して意表を突かれた。
どうやら、マスタがグラスを割ってしまった様だった。けれど店員も人間であるし、誰だった失敗はするだろう。北京語で誤りながら割れた破片を片付けのを見て、謙虚に文句一つも云わないのが日本人の美徳だろう。
そう思っていた俺たちは確かにー〝よっていたのだ〟ー。
彼と俺とは談話に戻った。
「君。我々の敵。そうだな、今回は我々陸軍の宿敵といえばどこだ?」
と切り返し。多分誰でも思い付きそうな応えを返した。
「それは、ソビエト露西亜でしょう。未だ全兵力を支那に割けないのは補給の面もありますが、北に大国ソビエトが控えているからでしょう」
「あぁ、その通り。だが世界はどうも赤の脅威というのを忘れたようで独国は同盟まで結んだ。西がすめば次にくるのは東。いつか我々の背後を突いてくるなんてのは、国民誰もが心の中で承知している。しかも我々は支那の戦線の事もある。蔣が連邦と手を組む事に為ってはいよいよ我らの大陸は残らない」
そんな事は解っている。早いところ終戦を迎えたいのは尋常だが、蔣がそれを良しとしないのだ。
「けれど我が国でも不穏な空気が流れている。これが私の最も危惧とする事だ。十七師に云った同期から、どうも最近。海軍の動向が変らしいのだ。奴ら。もともと陸が主戦場の支那事変に茶々をいれ、今度は軍艦の増強を図っているのだ。対ソビエトなどこれ以上軍艦は必要ないのにだ」
俺は海軍の動向とやらが今一見えず、彼の次の言葉を待つしかなかった。
「海軍は対英戦を考えているらしい。その話が誠ならば全く不合理としか云いようは無い。確かに、彼の国一行共々も揃って蒋を支援している。私は私怨しか湧かないし、国としても止めるよう強く要求している。けれど、其れでもこれ以上の戦場を増やなんて事は理には適っていない」
と俺には云うが外交など解り得る筈もなく、けれど今の戦力と状況でソビエトや英に歯が立つとも思えない。なればこそ。我々で獅子奮迅し早い終戦になるように努めなければならないのだ。
と、この酒盛りの最後。そう少尉に告げこれにて幕は下ろされた。
昨日確実に飲みすぎたせいで、この日は最悪の朝を迎えた。
昨日のあんな会話をした手前。少尉と一緒の床を共にするのは堪えたが、護衛も、云えばあたり前だが。任務のうちの一つなので、外洋の駆逐艦の思いで朝まで睡眠をとらざるをえない。
俺が早く起きて、すぐ。吐くものを吐いたあと、少尉は我関せず焉として起床を迎えて身支度をし始めたので、俺が格闘していた気持ちの悪さも在って、少尉の事を尊敬してしまった。
少尉は軍服を羽織り軍帽を着だすと、やっと様になった。
俺は既に特注製の軍服に着替え終わって入口の前で敬礼していて、昨日今日の関係だが、部下としての重みを欠かさないでいる。
軽い朝食を取る、といっても何時ものこと貧相だが。けれど少尉は驚きのこと。俺たちと一時の別れをせず、自分の小隊員と共に飯を食う。これは怖らく、仲間を鼓舞する為もあるだろうが、でも見てほしい。少尉の顔の笑みを、作られたものであるとは俺は思いたくなかった。その場にて、小隊で初めて俺についても遇われたが、人生長いと少尉のように根掘り葉掘り訊く事も少ない。隊員は皆少尉より歳が上だ。敢えて不思議に思わ無ければそれまでだが、この部隊では若兵は少尉と俺を除いて独りもいなかった。それをケンさんという人から、後から訊いた話だがみんな死んでいったそうだ。審議のほどは確かではない。けれど、分隊長をしていたケンさん含め、皆団結力があり少尉を慕っている空気が感じれた。逆にいえば、若い指揮官であっても自分の気力で生き残ってきたのがこの猛者達ということだ。
さて、小隊副長についてでもお話ししよう。小林軍曹。彼も又少尉に推薦された身の上だそうだ。けれど若い。といっても子持ちの二十代後半でその位置に収まりのに少しだけ場違いといった所だ。けれど彼の場合。俺と抜本的に違うのは、隊の皆からの賛同があったのが大きい。少尉も指揮は彼に一任していると云っていたし、信用のおける人間ということである。
二十九日。作戦一昨日を前にして、少尉は俺をつれながら彼を飲み誘った。今度は前とは違う店。客数も多く値段もそれなりのごく一般的な酒場である。当然酒場なので酒を交わす訳だが。彼は滅法弱く、三杯ほど、そんなに強くもない酒を飲むと泡を出して倒れてしまった。それまでに尋問して訊けた事であるが、彼の前半生は、ごく一般な農家の三男に産まれ学も金も無いので事の成り行きで徴兵されたものの、兵役が終わっても居心地のよさで其の儘残り。上官にも認められ、若くして、下士官に昇進したらしい。少尉程では無いにしろ、少し変わった人だった。因みに小林くんと呼ばれているのは特に侮蔑しているのでは無く、下の名前を捩っているのだそうだ。
「意気込みはどうだ」酒の席で少尉に訊かれた。
「作戦通り成功するだけです」と作戦の事などまるで理解していない人間が、目の前の軍人らしさの無く、顔面の良い上官に告げた。
少尉は何も云わなかった。作戦前。最後の宴会は静かに終わりの鐘を鳴らし、前日となる翌日は明日に向けての手筈に入った。
さあ。かれこれ、短い五日間はあっと謂う間に終わった。
所属する所の第十三師が、予定通りの作戦を行う日が訪れたのである。
* ここから先は、貝塚伍長の戦闘記録によるところである。尚。作者がそれを加筆修正したものでもある。
場所は襄東。作戦は敵本陣の撃滅。目標は敵指令、湯恩伯。我が皇軍たる小隊も日が昇らない内から行軍を始める。
5月1日。右には藤田第三師団。中央に栗林小隊の入る第十三師。左には騎兵団を引きつれた十六師の体勢で進んでいく。まだ朝霧が懸かり足元の覚束無い、道とも思えない山の中を重い背嚢を持って進軍していると。
花火の様な響きが深山に轟き、小鳥が揃って蒼穹へ羽ばたいていく。
音は北東方向。定時通りに、戦いは第三師の牽制攻撃により発生した。
続いて遠くから小さな発砲音が連なって鳴るのは、我が軍の装備の物だと見られる。奇襲は成功していた。
この時。参謀の、大方の予想は当たっており。奇襲攻勢されるとは思っていなかった国民党軍は微弱な抵抗のみだった。しかし軍上層部の目算に反し、敵は思わぬ一手に出る。敵の抵抗が組織的なものに為った。と思ったのには、敵軍は虎の子を引っ張り出したのである。この時、湯恩伯の部隊が右翼前線に対し陣取ったのである。
そんな事を知らない主力の中央十三師。そして左翼の十六師は、いつ湯と対面するか足を震えさせ歩いていた。山道だ。前を向いて進むのに対し敵にとっては防衛に適した土地ゆえ、誰もが早く通り過ぎたいと思っている。俺は少尉の隣で歩兵銃を携帯している。近くで小林軍曹は偶に何やら指揮を取って右往左往に唇を動していた。少尉は上下に唇を震わせていた。
日が昇り、辺りが鮮明になっても、駐屯していたような農地には出られない。けれど、いつぞや云った様に幸福は突然だが、不幸も突発的に起こりえるのだ。帰する所。我々は接敵の一報を送る事になった。
突然。此方に向けられた発砲音と弾が飛んできたにより会敵した。
おそらく、マウザーと思われる攻撃をうけ進軍方向に陣取られては余儀なしと。直ぐに撃ち返すしかない。
少尉は冷静だった。主に小林軍曹に現場を任せ、小隊全体。初日の士気高く。独りも負傷を出さずにこれを遊撃した。一方で少尉は自ら中隊へ連絡を取り指示を仰いだ。敵の後退をみても息を荒くし、急いで前進を進めた。
その後も時折の会敵を気力を持って凌ぎ続け行軍と僅かな戦闘を経て夜半となった。奇襲に警戒しつつ粗雑な堅い飯を齧る。
齧りながら、少尉は分隊長を集めて云う。
「おそらく。この暗さでは敵も態々山道を彷徨くことはしないだろう。今日受けた襲撃については伏兵だと思われる。できるだけ消耗を抑え明日。この山をでる事としよう。ノモンハンの二十三師のような汚名を俺には着させるな」
少尉は更なる伏兵を危惧していたが2日目に入って、山中に潜んだ攻撃を受ける事は、ついに無かった。けれどそれは単に相手が馬鹿だからではなく、予定通りに深山をでて、平地の広がるのが見えた。
と皆安堵すれば。向かう方向には横にずらりと、敵の防衛陣が我々を向かい撃とうとしていたからだ。
3日目。十三師は其々配置に着き。俺たちは誰やら上の命令でまた塹壕を掘っていた。この日はそれ以上の命令が下りず、どこの部隊も攻撃をしかけるのが禁じられるだけだった。皆。疲れきっていた。飯を口に持っていくのでさえ辛くあるけれど、腹の虫を無視しきる事など到底出来ず仕方なしに手を動かした後。休養を取る。
場の流れが変わり始めたように見えたのは5月4日だった。
中央で待機し進撃予定だった十三師の両横ではそれぞれ三師と十六師が両翼突破を仕掛けていた。敵は確実に消耗したようで両師団多大な犠牲を出しながらも敵の防衛陣が崩れていくのは訪れるべくして訪れた。自明の理だった。
5月5日。伝令と敵の目視による情報を信じ。右翼。中央。左翼。の全ての全軍主力をもって総攻撃を仕掛ける。
随伴する栗林小隊も国民党軍主陣地の突破の任を与えられ決戦の火蓋が切って落とされた。
敵防衛陣は塹壕と鉄条網などにより簡易要塞化されている。地雷に気を配りながら、障害物の後ろに隠れ確実に前へ前へと前進する。
どこかから、聞き覚えのある啄木鳥の鳴き声の様な音が耳に入る。
キツツキの音を聞いて小林軍曹がその小言を云う。
「糞ったれが。敵は九二式を鹵獲しやがった」
敵にか。それとも奪われた味方にか。どちらにか腹を立てていたが仕方がない。気持ちはよくわかる。俺達が携帯している三八式や少尉が持っている南部に比べればキツツキはたしか、二一〇〇円ぐらいで絶対に落として壊すなと口を酸っぱくして云われているのだ。
煙が棚引く中、俺たちが伏せて隠れている所へ、ケンさんが入ってくる。
「駄目だ、堅すぎる。分隊がどうのこうの出来る所じゃない」
指示を求めるケンさんは、一応だと思ったのか少尉の方を見るが、少尉は窶れた顔を向けるだけで言葉を詰まらせていた。
透かさず小林軍曹は割って入って、
「けれど、ここが奴らの突出点なんだ。山と河の地形からみて、ここしか突破できそうな所は無い。守備が堅いのも無理する必要があるだろう」
と云って地図を開いて見せて、ここのつき出た部分から一斉に攻撃しよう。と、作戦を立案していた。
俺は、少尉に話しかけていた。
「少尉。体調が優れませんか。顔が窶れきっています。水でも飲まれますか」と。気苦労をかけると。
「君は、この精神がおかしく成りそうな殺し合いをみても平気を保てるのかい。私はこれを耐えるのも億劫になって、今すぐに撤退の命を出したいくらいだ」他に聞こえないよう小さな声で呟いた。
実戦に乏しい少尉の片鱗が少しづつ露わに見えてきた。酒の席の大口を訊いている分。この小さな少尉を見ていると本当に息がつまりそうだった。
でも。これも補佐の仕事だと思い。励まそうと対話を続ける。
「少尉。確かに、死を覚悟せよとは云いません。皆が経験してきた事を無理にとも、慣れろとも云いません。でも仮にもあなたは小隊を任された軍人です。軍人の頭の一つたるのであれば、胴の上にせめて、真っすぐに立っていてください。勿論倒れそうな時は、自分が手となり支えますので」」
少尉は、整っているけれど泥で汚れた顔を、ぐしゃりと顰めて崩し、歯をぎしりと噛んでは、小林軍曹に対して、物云いした。
「その提案。否だ」
と云うと、何を。と小林軍曹に諮問される前に付け加えて作戦を語った。
少尉の案を聞くと、二人は同調しながらも少しばかりの手直しと付け加えをして、討論の挙げ句。
栗林案が採用された。
5月6日。
砲兵による支援砲撃が行われたのち、防衛側と攻勢とで撃ち合いが始まる。高所をとる国民党軍は、見下ろす形で射撃を行えるので、非常に狙い易いだろう。
第十三師団もそこまで激しく進行しようとしていない。弾幕の射程に入ることが叶わないからだ。
巧みに組まれた防衛線は丘陵と塹壕によって砲弾の被害を最小限に抑えていた。
ドイツ製の機関銃を持つ狙撃手はそこから撃つが敵は何やら慎重な事に気づくだろう。
きっと、昨日の攻勢の失敗をみて消耗戦に移行したと思ったのではないか。
そんな弛緩が。戦場では命取りになると訓練されなかったのには同情するが、それでもここまで上手くいってしまえば、鼻で笑ってやるしかないだろう。今日はせいぜい。獲物が射程に入ってこないことを最期に嘆くんだな。
あとで黙禱でもしてやるからと、俺は、その機関銃手後ろから、その首に目掛けて、
手に握る、三八の先につけた銃剣を、刺突した。
その支那人の大きな体は背を反って悶えながら、ドカンっと、地面へ砂煙をたて倒れこんだ。
銃剣を抜いて次戦へと備え構える。
しかし、日の丸を掲げた少数部隊による背後の強襲は、もちろん俺だけではなく、高地に防衛を構えていた部隊は、残党残さずすでに片付けられていた。俺の後ろにはケンさんの分隊。同じく参加していた多摩小隊の連中もみえる。そして、栗林少尉は、持ってきた旭日旗を手に取ると、自ら塹壕の前へ出て旗を翻るように刺し込んだ。
こうして、起伏の上に設置してあった要塞は呆気なく陥落を迎えた。
すでに後の祭りであるので、書こうと思う。
この時。要塞への突撃は誰もが無謀だと感じながらも、突撃の勢いを利用して無理くり奪取しなければならない事を危惧していた。しかし、彼らは見ることになるのだ。自分たちが向かう目処にすでに自分たちの旗が掲げられいる事に。彼らは陽動だった。
山は曲折かつ不規則な高所と辺りを河と湖。森で囲まれている。しかも地雷と鉄条網が敷かれている。
これ自体。訓練を受けている帝国将兵ならば進軍は難しくないが、時間がかかるため、上からの機関銃で蜂の巣にされる。
そこで我々は森を伝った。森といってもセルバスのような雨林で師団規模では、とても移動できる場所ではない。けれど夜半。我々は森林の中で胸まで泥水をかぶりながらその雨林を細心の注意を払って抜けようとしていた。
雨林を抜けると、要塞の裏側にでた。後ろ手から道沿いにそっていけば頂上の塹壕に辿り着くというわけである。
少尉は、この道の事に気づいた上でこの作戦を立てたのだろうか。
……否。
こんな道が在ったのは偶々であるし、そもそもここを地図で発見したのは小林軍曹である。少尉はただ小部隊で廻り道をして背後を急襲すれば突破できるのではと云ったまでだ。
この要所を発見していたのか。それでもここを警備していなかったのか、国民党軍側に問題があるのだ。
けれど我々は敵戦線を突破した事に変わりはない。
敵は阿呆で。我々が一枚上手だったと思うしかないのだ。
でなければ。俺は栗林少尉を軍人だと思うことが出来なくなるからだ。
さて。重力を思い浮かべ、そこに急にアインシュタイン=ローゼン橋ができたと創造してみてくれ。出来なければ、水の入ったグラスに綺麗な丸い穴が、開いてしまったと思ってくれ。
一体。どうなると思う?
答えは簡単。
栗林小隊の開けた突破部から大量の砲。車。馬。そして軍人がなだれ込んでくるように溢れるのである。
防衛陣を突破すれば後は敵の増援が来る前に補給の許す限り機動を行うのである。
5月6日。夕暮れ。前線の突破に成功した第十三師は山を越えて、敵の拠点。棗陽へと電撃的な進軍を始めた。敵は動転しながらも阻止しようと、捕縛攻撃を仕掛けるものの、立案ない攻撃は火力負けし後退を続けながら我が軍の進軍を許し、戦線は逐一、帝国軍側の優勢で進み、ついに棗陽へと達した。棗陽の包囲が始まったのである。
この時。十三師の師団長の耳にも、栗林少尉にも俺みたいな軽輩の耳にも、敵の総司令、湯恩伯が棗陽に鎮座している事を入れていた。
我々は漸く、敵の支柱を捕らえる寸前まできていたのだ。
5月7日。南から棗陽に攻撃をしかけていた十三師に、この日高城鎮で敵左翼を撃破した第三師は棗陽に向け転進。増加反撃を受けながらも撃退しながら増援に駆けつけようとしていた。
栗林小隊もこの包囲に寄与するなかで、7日になってすぐ、下弦の月がかかった深夜の中。自軍左翼から主戦場より西に沿って前進する部隊があった。
第十六師団。主力にして虎の子。小島吉蔵少将率いる騎兵隊が漢水東岸に沿って北上していたのである。
尚。騎兵隊の撃破と占領。一番の武功であった猪突猛進の活躍については、どうやら新聞に取り上げられたようであるので、割愛しようと思う。
新聞に掲載されていたように十六師騎兵団は、
5月9日。まだ息のあった俺と少尉のいる棗陽にむけて転進した。
これは云わずもがな、後方の滾河・唐河・白河を渡って、補給拠点を占領して敵前線を潰乱させた為である。
5月10日。第十六師団騎兵隊は新野を。第三師は桐伯を陥落させた一報が姿の見えない湯恩伯と戦う棗陽の部隊に入ってきた。
つまりそれは、北の十六師東の三師がすぐそばまで来ている事をしめしていた。
5月11日。今日は暑い日だった。包囲戦の消耗の疲れと夏に近づいているのに未だこの軍服を身に纏っているせいで、体力が余計減っていく。そのせいで、どうも面倒くさく感じ。最近は軍記手帳に戦況を書けていない。
少尉は潰れていた。みんな潰れていた。けれど敵はもっと消耗している筈だと思うのが唯一の感情的支えであった。
少尉は昨日死にかけていた。比喩ならば今もそうであるのだが、これが実際に死ぬ寸前であって伏兵に狙われいる事に気づけずあの儘では撃たれる所であった。でも撃たれる前に撃ったの俺だった。少尉はお礼こそ云ってくれたがあれ以来、窶れ方に様がかかっている。少尉は未だ人を殺せてはいない。
そうして、死ぬか生きるかの撃ち合いをしていても気力が抜きかけていた所にやってきたのが右翼左翼の両師団だった。
間違いない絶好の機会で遂に神は微笑んで、砲弾の女神が炸裂声を挙げると共に、少尉も更に上からの命令であるので突撃の命を口にしないといけない。
俺は何も覚えてはいなかった。前にいる決死隊員達が次々に撃たれるなかで常人ならば記憶をしておけるものではない。
けれど俺は最低で、味方でしかも同じ日本人であるのに、俺はあそこにいなくて良かった等と心の中でそう思ってしまったのだ。思ってしまったからこそ多分ろくな死に方をしないのだろう。
だったらこの時少尉はどう思ったのだろうか。
少尉は人としての尊厳というか本質のような物をこの時はまだ人並ぐらいには持ち合わせていたのだろうか。
そんな感じかは憶えていないが。何やら考えているうちに竹内支隊という所が町の奥へと入って残党を投降させたという知らせが入ってきていた。
俺たちは、何も出来なかった。というより、少尉は何も指示しなかった。
多数の犠牲でかなり大きかったものの、栗林小隊は、この日の死者はやけに少なかったのである。
【さあ、ここからは、駆け足で急ぐとしよう。残りの頁を見てもらえば解って貰えるだろうか。】
昼が過ぎた頃。旭日旗や日章旗が掲げられた棗陽の町に、どこからか喇叭の音色が声高に響いた。
軍人ならば聞き覚えのある音律である。
数も、誰からかも、誰がかも、解らなかったけれど、確かに日本語で皆、声を張り上げているのが、聞こえて、それが集約してだんだん大きくなっていく。
「わがー、しんしゅうの、せい、だいきー。こりーて、さきけん。さくらーばな」
滝廉太郎作の「我神州」だ。と少尉が呟き、曲調に併せて続きを口ずさむ。
気が付けば、俺も。そして、まわりも、全員が歌いだした。将。兵。委細構わず、誰もが歌い、泣きながら、ずぶ濡れになりながら合唱していた。
長い戦いが終わり。参謀本部も目的達成と判断し、勝利の旗が風に吹かれて棚引き、俺たちの進軍は取り敢えずの終了をもった。
これにより、漢水以東の地区は日本軍側の支配下となった。
あとから訊いた戦果がある。敵捕虜千六百、敵死傷者一万五千。大戦果だった。けれど、だれも。少尉も。ケンさんも。小林軍曹も、俺も。湯恩伯を逃がした事をとやかく云う事はなかった。
ここから先の事を書く。けれどその思いを語るのは本当に忍びなく文上では、このように落ち着いたような態度をとっていても、紙の上に濡らしたこの涙を見てもらえば、俺の情緒が自分でも解ってしまう程に発狂しかけていることが解るだろう。俺は最初に書いたとおり、記憶が自分を犯すと、大変な事になるのだ。この歳になっても制御できないでいるのだ。けれど時間がないので書き上げたいと思う。
翌日からの掃討戦が終わった十日ぐらい後で、俺たちは棗陽近くの町に駐屯し占領地の警備をしていた。といっても実際の事務と任に当たったのは云わずとも解るだろう。
なので、俺と少尉はまた酒でも飲むか。という話になるのだ。
少尉は、まだ疲れいた。俺はこれまで以上にそれをすごく心配していた。
それは掃討戦の時。少尉が人生で初めて人を殺したからである。
少尉の弱音を聞いていた分。もしかしたら、人格を失うかもしれない。
けれどその危惧はそこまでのものではなかった。
俺は、人を殺すときには、敵を人間だとは思わないようにしている。
少尉は寝る前、ご苦労にも念仏を唱え合掌している姿を見て、なので俺はもう化け物で、少尉はまだ人間を保っているものだと感じた。
そんな人間とまた酒が交わせるのだから、俺は人間に戻る事が出来るのかもしれない。
そう思った朝だった。
朝起きると、いつもは寝ている少尉がいなかったのだ。夜には、熟睡していた少尉の姿を見ていたから、少尉が早く起きたと考えるべきだ。けれど、部下を置いていくとは怪しからん。少尉の顔に悪戯が出来ないじゃないか。なんていう冗談を考えながら、俺は少尉を探す。けれど小隊員も中隊長にも、所在を拝聴しに行くが、手掛かりは得られず、俺は急に不安になり恐怖の方が増していた。
俺は少尉に依存していた節があったのでないかと、今では思えているが。(それも哀しいことではあるが)そんな事など、考てもいない、十七の少年は、町に繰り出して少尉の姿を探しにいく。
小一時間。下手な北京語で聞き込みをしても手掛かりは得られなかった。
軍服を着ていたせいか、こんな見てくれでも相手にされない事はなかった。
ふと、少尉の助言が頭の隅から飛び出てきた。
人は利己でしか動かない。
俺は少尉が飲み屋を探す時のように、小銭を見せつけ聞き込みを続けると、やっとそれらしき情報が入った。
贋やも知れぬが何かの店の女亭主に圜を渡すとすぐ、情報の店へと大急ぎで向かった。
嫌な予感がしたのだ。本当に今でも、当たって欲しくは無かったのだが。
古い店が隣り合って佇み、入口には簾が掛かっていて、難しい北京語で店の名示をしていた。その為。場所は鮮明に思い出せるものの、店名を思い出す事はもう出来ない。
迷わず中へ入ると外国製の壺や絵やらガラス細工やらが置いてあったが、不用心にも店員はいなかった。これでは盗まれても仕方が無いと思ったが、素人の眼には大した値打ちには成りそうもないように思える。
奥へ進むと俺は眼を疑った。机の上に何故か十四年式拳銃が置いてあったからである。少尉の物かは、解らない。けれど少尉だったとし、何故またこんな店にと思うし。他の将校の私物やもしれない。
嫌な予感はさらに闇深く強まっていく。余りの暗鬼に視界が霞んできそうだった。
南部拳銃を一応、衣嚢にしまい、三八をいつでも撃てる状態にした。少尉が注意していた事は、今ぐらいは許して欲しかった。もしこの予感が杞憂だというのなら、本来ならそっちの方が幾分かも良いのだから、杞憂が良かった。
けれど、無遠慮に堅い扉を力強く開け、横に続く廊下にでると何やら鼻につく匂いがした。俺はその匂いを大量に吸っている。そしてつい前日まで、それを被ってもいたのだ。今の俺は風呂を浴びた黒髪といい肌といい綺麗だったのだ。
その鉄の臭いに紛れて何やら声が響く。
俺は動揺していたので本来なら駆けつける所をなぜか摺り足でもって歩いた。その光景を出来れば観たくなったし、知りたくもなかった。でも此の儘帰ることも到底出来ずにいて、心悸が人生で一番激しくなっていた。
俺は、扉の横に暫くいて、いよいよ決断して勢いよく中を見た。
銃を構えて俺は長い時間膠着していた。
つい先日の戦いよりも、この戦争自体よりも膠着した。
でも実際にはそれは一瞬のことで、
一瞬の余り、俺の脳は一日の体力を全て使うように働いて、思考が様々に交差していた。
俺が見た光景を今だからこそ表現できてしまうが、その視覚情報を文章化すると、
それは、栗林少尉が拷問されていたのである。
少尉の体は椅子に固定され、血が滴り落ちていてどうやら気絶している。到底生きているとは思えない状態だった。俺はそれだけを眼にすると顔の形が変わった。
憤慨と憎悪が、俺の全てを支配していた。
俺の姿をみた人民服を来た4人の支那人は突然の俺の奇声に慄いたが、直ぐに一番俺に近かった男が撃たれた。それを認識して防衛本能がすぐに働いたのか、左の男が銃を手に取る。俺はそれを見逃さなかった。
再び一発。装填の時間が無かったように脳天をぶち抜いた。
他の二人は手を挙げ降伏の意思を伝えたが俺は迷わず二人を撃ち殺していた。
ドアがぎしりと開く。俺は頭がこれ以上とないとばかりに働いていて、すぐに仲間だと思い。ドアが開ききる前には、影だけ映ったフロストガラスを撃ちぬいていた。
影はそのまま音をたてて倒れた。
ひぃ。という様な声が聞こえた。
まだ、人がいる。と思いながら少尉のもとへ体を寄せ、安否を確認する前には、方を付けようと思った。
すでに五発撃ち終わっている三八を地面へ捨て、少尉の南部拳銃を構える。
もしかしたら、他に人がいるかもしれない。
そう思って構え、ドアを思いっきり開けた。
手前には、俺がさっき撃ち殺した男が血達磨になって倒れていて、部屋の奥にひとり、誰かがいた。
そして、この時。俺は全てを理解したのだ。
その姿。その顔。その髭。俺は忘れていなかったし、今でも忘れる事は無い。
そいつは、一カ月ほどまえ、俺と少尉とが訪れたあの店のマスタその人だ。
マスタは、驚きを隠せない顔と自分が殺されるかもという恐怖で身震いし続けて、俺を憶えていたのか。近づいてきた。
先ほど見た人民服。あれは国民党のものじゃない。あの、赤いエンブレムは共産党の物で間違いはないだろう。俺は大逆事件を思い出していた。
その初老の男は何やら涙を流しながら、口でぶつくさ云っている。
どうやら命語いをしているようだった。しかも下手な日本語でだった。俺は、怒りが最高潮になった。
俺は英語でも日本語でも、勿論支那語でも。話しをする気分にはなれず、わざわざ近づいてくれるので、手にもつ拳銃を額に当て迷わず引き金を引いた。
俺は少尉を忘れてはいなかった。
近づくと少尉にまだ息はあった。
だが云おう。けれど少尉は既に人では無くなっていた。少なくとも俺の知る少尉は、既に死んでいた。
あとから憲兵に聞かされたが、少尉は本来なら死んでいたそうだ。だから少尉の最期は俺の幻想だったのかもしれないが、俺には到底その思考にはなれず、何にも同調できず唯々最後に、少尉の話を聞いていただけなので正確に記憶している筈であり、俺は作り上げたものでは無い事をここに書いておく。
少尉は枯れ切った泉のような声で口を開いた。
「か、貝塚君かい?。わ、わたしはまだ死んでおらんのかね」
えぇ生きています。確かに生きていますよ。今、衛生兵を。
「やめてくれ。昔から自分で解るというだろう。死期というやつさ。貝塚君。最後の頼みだ。俺はもう既に死んでいる。頭が動いていない感覚がするし、ずっとぼやぼやする。そして俺は最低な人間だ。最悪で、人間でもあるのかな。はは。今気づいた事を君にだけ残しておく。後悔は、ないのだ」
意味が解らず、そんなような事を並べているのを聞いた、そして少尉が続けて云う。
「私は、不幸が嫌いだ。不幸とは自由でないという事だ。私は自由を求めて、これまで生きてきた。社会というのは不思議なもので、努力をしたもの程、優遇され年を取ってからやっと自由を得る事ができる。だからこそ私は、軍に入ったが、私はそう思い込んでいただけだったのだ」
俺は自分に当てはめて考えてみたが、その時は理解し得なかった。
「私は、今。死に片足だけ突っ込んだ。そして気づいた。貝塚君や。死は制約あってのものではないぞ。それを考えることすら、不要なのだ。大変自由なのだ」
死を語るその死にかけに、俺は何も云えずただ黙っていた。
「私は、今喋れているのだろうか。いつものように、口を動かしているのだが、感覚がないのだ。眼も開かない。私は今、恐怖を感じているが、そう私はこの恐怖が嫌いだったのだ。もちろん人の気持ちなど全て伝わるとは思っていない。けれど今私が感じているのは本来の意味の最悪といってもいい。そう、人は、本来、こんな感覚を味わう事をしてはならないのだ」
その云いようは、俺の知る少尉のものではなかった。まるで悪魔が少尉の中に入り込んでいるようで、でもそれを追い出させる為に、叩くわけにもいかなかった。
「私は、今。死こそが、本当の自由。正義だと思っている。この世に正義が存在しないのなら、私にとっての正義はたぶん死そのもの何だと思う」
そんな事があってたまるか。俺は少尉に死んで欲しくはないのだ。もちろん体ではない。少尉の人格が現世にとどまって欲しかった。
「貝塚、くん。その考えこそが、不自由なのだよ。私は、今後悔はしていないぞ。私は私を拷問した彼らが私を殺す事になろうと、既に怒りは無いのだよ。拷問を受けた時に、そう気づいてしまったのだ。そうだ。私がだってー、」
少尉は怖ろしいことを云った。俺は顔に付いた返り血をふき取って、体を震わせながら聞き直そうとすると、少尉の鼓動が小さくなっていくのが、耳を胸に当てずとも感覚で解っていた。
少尉は途中で区切ったのち、少し考えるように言葉を詰まって云う。
「あぁ、でもそうか。気づいてしまったからこそ、私は死ぬのか。……いや死なねばならぬのか。そうか、そういう事だったのか」
と、今までで最も意味の解らない事を云った。他の事は彼の思考を考えてよく考察したが、この所だけは俺は未だに解らないでいる。
俺はこの時、これが少尉の本性だと思いたくなかった。
そうして、
「貝塚くん。私が死ぬのは天命だ。大いなる意思。自然そのものだ」
と弱弱しい口調で語り終わると、少尉は口を閉じた。
俺はよく動く頭でも、処理しれない状態に陥り心の平穏をとり戻すのに時間がかかった。
そして、随分あとに、その事実を脳は理解した。
栗林貴吉(大尉)。殉職。享年は23だった。
後日。俺は小隊補佐の任を降りた。けれど、何を目標にしていたのかも忘れ、ただ乱して戦った。誰ともつるむことなく、誰とも解らず人を殺していった。
俺は、今日まで戦死しなかった。
もともと、そうだった。大尉は俺と結局は解り合う事がならず死んでいった。狂気が蝕んでくるのも大尉のような貴公子が戦争で壊れてしまったからだと取り敢えず思う事にして。今は昔のように生き残る事に性をだす方が先決だった。
でなければ、俺は正気を保って生き残れなかったのだ。
ようやく、俺が少尉の最期について瞑想し始めれたのは、詰まらない失敗で国民党に囚われてしまったからだった。
そして、やっとのこと、この文も現在俺がいる場所に辿り着いたという事をこれを読んでくれている者に報告することができる。
はたして、そんな者がいるのか。俺は心から願っている。
昭和二十年。(1945年)
俺は、今。監獄の中にいてこの文を書いている。
場所は移送されても教えてもらえず、ここがどこであるのか解らないが窓からの景色は森しか見えない。
俺はこの個室に監禁されていて、ずっと瞑想していたが遂に俺が死ぬことが解ったので急いでこれを書いている。
先日。俺の裁判のような物が開かれた。
罪は、一般人の殺害である。裁判は早口の支那語で話して進められ、聞き取る気力もなかったので、自分でもよく解っていないが、俺が死刑になることだけは何となくでも解った。
断っておくが、俺はあの大尉の死についてずっと考察していたが、死こそが自由だとは思っていない。彼は、我慢をするという事が元来、病的に嫌いで、自由というものを、あやふやな物を追い求めた結果、あんな狂い方をしたのだ。今では、そう思っている。
俺はまだ、生きていたい。
俺は彼の事が人間として好きだったが、彼とは元々違う質だったと、今ではそう示唆している。
だけど不思議な事に、俺は後悔はしていない。死ぬことにだ。もちろん厭だが。
俺は今でも、あの酒を飲んだ。とても豪酒な栗林少尉には生きていて欲しい。と思っているのだ。
だからこそ。俺は間違った事をしただろうか。
あの時俺は、引き金を引かずにいるべきだったのか。
俺が、少尉の護衛をもっとしっかりと行うべきではなかったのか。
彼らをみすみす殺さず、憲兵に引き渡すべきじゃなかったのか。
人を殺す。軍人になるべきではなかったのか。
最期になって、そればかり考えてしまう。
けれど、本当に。
もう手帖の残りが少なくなっているので、余りは書けなくなっている。
今から書くのは遺書だ。
俺は、死刑を先刻されても。その時間だけは指定するよう懇願し、許された。
いつしか、少尉と酒を飲んだときに時計の数字について話したと思う。
あの十七時二三分は、いまだに何か良い語呂はないか、憶えられるものは無いかと探してみたものの。結局見つからなかった。
なので、俺はこの17:23という時間に処刑される事により、俺はこの時間に意味を見出そうと思う。それが俺が最後にこの世に残せるものだからだ。
この手記も、それの一つである。
しかし、俺の遺留品がこれからどうなるかは、解らない。
もしかしら、中国の田舎の小さなぼろ小屋でその隅で売っているかもしれない。そして、あなたが読んでいるのかもしれない。その時はお願いだ。この手記を買い求め、どうか前に書いてある住所の所へ、この手記を持っていってくれ。そして、父上。母上。兄上でも京でもいい。謝礼を渡してやってくれ。俺が溜めた給料をその人に渡して欲しい。
最後に、家族へありがとう。と伝える。
俺は23に成りました。