6・俺と「氷の令嬢」だけの秘密
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勢いに任せたまま、結婚をしてしまったが、交際ゼロ分の俺は、小春さんを送り届けたら自分のアパートに帰るつもりだった。
それを小春さんに言うと、急に小春さんの雰囲気が変わった。
「……牧瀬さん、それじゃ、私にずっとこのままでいろというんですか?」
「小春さん?」
小春さんの声が、じわりと湿度を帯びた声色になった。
「ねぇ、牧瀬さんって呼ぶのもおかしいですよね?だって、私も同じ牧瀬ですから」
「そ、そうでしゅね!」
「ねぇ、唯斗さん、私たち、夫婦になったんですよ?」
触れたら火傷をしそうなほどに熱い指が、俺の顎から頬にかけて、ゆっくりと撫で上げていくのを無抵抗なまま、受け入れた。
「唯斗さん、私、熱いの」
「は、はい!」
「私、唯斗さんと……したいの」
真夜中の誰もいない公園で、小春さんに追い詰められた俺は、なすすべもなく樹木に背中を押しつけたまま、棒立ちになった。
「私、唯斗さんと、いやらしいこと、したいの」
身動きのできない俺を閉じ込めるように、小春さんが樹木に背伸びをしながら両手をついた。
触れてもいないのに、小春さんからの熱が伝わる。
部屋にいた時にはなかった、小春さんから出る匂いが、俺の理性をぶち切ろうとしている。
理性が焼き切れる前に、俺は小春さんに言った。
「……せめて、部屋で、しませんか?」
***
はあはあと小春さんの荒い息が聞こえる。
繋いだ手からは燃えるような熱さが伝わってくる。
なんとか手を引っ張るようにして、小春さんを店のある建物のエントランスまで連れてくることが出来た。
腕時計を見れば、深夜の1時。
意識が朦朧としてきた小春さんから聞き取った内容によると、夫となった人と、子どもができるようないやらしいことをすると、熱がおさまるらしい。
それならばと、俺はコンビニに寄ろうとしたら、止められた。
「子どもができても、いいんです」
潤んだ瞳で小春さんに言われた時、正直その場で押し倒してしまいたかった。
よく耐えたと自分でも思う。
「……唯斗さん、もういいですよね?
私、もう限界で苦しいんです。
……いやらしいこと、したいの」
月明かりに照らされたエントランスで、大きな瞳を潤ませた小春さんが俺を見上げた。
小春さんの目に映る俺は、とても不細工な顔をしていた。どうやっても、小春さんをめちゃくちゃにしてしまいたくて、仕方がなかった。
おもむろに、小春はゆるくまとめていた髪を解いた。
はらり、と白い首すじに、黒髪がひと筋だけ落ちた。
冴え冴えとした白い月光が、彼女の肩から背中に落ちた黒髪に湿度を与えたように、鈍く輝かせる。
「小春さん、……」
「だって、もう、あなたは私の夫なんだもの。しても……いいでしょ?」
声が震えてしまうのを懸命に堪えながら話す小春さんの小さな肩を抱いて、俺はドアを開けた。
***
エレベーターでも耐えた。
小春さんが玄関の鍵を開けるのを待つ間も、耐えた。
扉が開いて、2人分の影が玄関からリビングの方に移動をした後、俺はソファに小春さんを押し倒した。
熱い。
冷えていたはずのソファは、あっという間に熱くなった。
俺はもどかしく思いながら、小春さんの髪に指を差し入れると、ゆっくりと額にキスを落とした。
火傷しそうな熱さだ。
俺にだけ反応する小春さんの体温が愛おしくて、何度もその熱を確かめるように、唇を小春さんの顔につけた。
はあ、と、小春さんが、ため息を吐いた。
「……だめ、足りない。
唯斗さん、もう、待てない」
そう言うと、小春さんは俺のシャツの首元を握りしめると、ソファから上体を起こして、唇にキスをした。
熱い。
火傷になっても構わない。
俺は小春さんの唇が離れる前に、もう一度顔を押し付けて、キスをした。
何度も、何度も。
唇を合わせるだけのキスをする。
熱い息が互いから漏れる。
もう何度目か分からなくなった時、小春さんは唇を離すと、腕を伸ばして俺の背中に回すと、ぎゅうっと抱きついた。
俺は目の前に見える小春さんの首すじにキスをして吸い付いた。
キスマークが残ればいいと思って、舌を這わせようとした時。
急に小春さんの体温が下がった。
ふにゃり、と、力が抜けて、ソファに小春さんの体が落ちた。
「小春さん?!」
「……ふふっ、んっふふっ!やらしいことしちゃった!唯斗さんとしちゃった……!」
顔を真っ赤にさせながらも、だんだんと体温が下がっていく小春さんを見て、俺は宇宙ネコみたいになった。
「……なんで?」
「すごい、いやらしいこと、しちゃいましたね。本当に体温が戻ってる」
にやにやとしながら、俺を見る小春さんに、正直に疑問をぶつけてみた。
「小春さんのいやらしいことって、何?」
「キスですよね?」
婚姻届を出した時に、小春さんの年齢が20歳と1ヶ月という事実を知って衝撃を受けたが、今、俺は別の衝撃を受けている。
「……どうして、キスがいやらしいものだと、思ったの?」
「前に叔母たちと出かけた旅行先で、キスしている人たちを見て、『いやらしいわね』と、叔母たちが言っていたから」
「……子どもの作り方、知ってる?」
「結婚して一緒の布団で寝るんですよね」
これ、多分、文字通りに寝るっていう意味だよな。
厳格な家庭に育ったというよりも、そういうものに興味を持たなかったんだなぁと、俺は小春さんを見て妙に納得してしまった。
一応、20代後半の男の俺が、キスだけで終わるのも癪だったので、どの辺まで手を出そうかなぁと悩んでいると、小春さんが幸せそうにソファに横になった。
「……最近、眠れないくらいに体が熱かったんですよね。
ようやく、熟睡できそうで……す……」
そう言うなり、小春さんはすうすうと寝息をたてはじめた。
「……小春さん?」
軽く肩を揺らしても、ぐにゃぐにゃと揺れるだけで、起きそうにもない。
ちょっと待て。
あれだけ煽っておいて、なんだこれ!!
眠れそうにないんだけど!
今度は俺が!!
レースのカーテン越しに、月の明かりだけが照らすソファで、無防備に眠る小春さんを見つめながら、起きたらどうしてくれようかと俺は悶々としながら朝を迎えた。
***
それから、梅雨になり、真夏日を何度か挟んで、梅雨明けをしたころ。
「氷の令嬢」の牧瀬小春は、俺の前だけで溶ける氷のようになったのは、ここだけの秘密。
熱海家の女性は、とても情熱的なの、と、朝日の中で囁いた小春さんの姿は、とても綺麗だった。
fin.