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4・思わず「氷の令嬢」を二度見してしまう

 

「こういうことは、よくあるんですか?」

「いやぁ、ないねぇ。このビルは滅多な事は起きないんだよ。なんたって女神様の守りがあるからねぇ」


 はははと笑う管理人さんの後ろから、制服を着た人が入って来たので、視線を向けた。警備会社の名前が書かれた上着を見て、夜間の警備員はこの時間に来るんだなと思った。

 ぽっちゃりとしたメガネの警備員が頭を下げながら、管理人さんに近づいてきたので、俺は仕事の邪魔にならないように簡単に挨拶をして、帰ることにした。


 人通りの少なくなった道を歩きながら、アパートに向かう途中、何度もスマートフォンを見ては、頬をゆるめた。

 小春さんの連絡先を教えてもらえたことが夢のように思えて、何度も画面に表示させては、にやにやとするのを抑えきれなかった。


 ご飯を奢ってもらえるなら、お返しに喫茶店は俺が奢ろうか。

 それなら別の日にまた会うことができるだろうか。


「氷の令嬢」と称えられる小春さんと結ばれることなんて、夢の中でしか叶わないものだと思っている。そこまで身の程知らずじゃない。

 叶わない想いだと自戒しながら、それでもデートらしきことができることが嬉しくて、無性に走り出したい気持ちを堪えるのが大変だった。


 小春さんは今ごろはもう部屋に帰ったのかな。

 コンビニスイーツを帰り際に渡してきたから、店で食べているのかもしれない。


 そんなことを妄想しながら早足で歩いていたら、気がつけばアパートに着いてしまった。

 鍵を取り出そうとして、記憶に何かが引っかかる感じがした。


 去年の秋。

 花束を公園で開けて、気持ちの悪いGPSをコンビニのゴミ箱に捨てた後、鍵を取り出した時に、思わず尾行されていないか周りを警戒したあの夜。

 鍵を見て思い出したのは、あの時小春さんにフラれて俺に花束を渡して来た男。


 細身で花束を持っていても、違和感がない人だった。


 あの時、あの男が、俺に花束を渡したのは、俺も小春さんを狙う男だと、思ったからか?


 小春さんを好きになった今なら分かる。

 あの人を好きになる男は山ほどいるだろう。


 フラれても尚、好きな気持ちが残っていたら?

 フラれた直後に、違う男が言い寄って、それを小春さんが受け入れたら?


 嫉妬の炎に身を焦がすのは、容易に想像が出来た。


 さっき見た管理人室にいた警備員。


 メガネと太っている体が先に目が入ったけれど、どこかで会ったことがあるような印象を受けた。


 気のせいなら、それでいいが。

 もし、あの時の花束の男だったのなら。


 俺は急いでスマートフォンを取り出して、小春さんに電話をかけた。

 ワンコールで小春さんが出た。


「は、はい!もしもし!」

「小春さん?!牧瀬です!牧瀬唯斗です!今、どこにいますか?!」

「え、まだ店です。あ、いただいたクリームブリュレ、美味しいですね。今食べていて」

「裏口の鍵を閉めて、待っていてください!さっき管理人室で見た警備員、あの花束の男かもしれません!俺が行くまで待っててください!」


 俺は走りながら、小春さんと電話で話し続けた。話しながら鍵をかけてもらい、切らないで待っていてくれと頼み続けた。


 そして、息を切らしながらようやく店の前まで辿り着くと、警備員に見つからないように、静かに入り口のドアをノックした。


「……こ、こはるさん、開けて、ください!」


 少しだけ間があって、店のドアが開いた。


「……牧瀬さん、そんなに汗をかいて」

「だ、だいじょうぶ、です。こ、こはるさんが、無事でよかったでしゅ」


 噛んだ。

 はあはあ息をきらせながら、噛んだ。

 恥ずかしい。

 死にたい。


 いろんな意味で顔を真っ赤にさせながら、俺は店の中にそっと入った。そして、店の中がやけに暑いことに気がついた。


 暖房をつけていたのかなと思ったが、それよりも問題はあの警備員だ。本来なら味方であるはずの相手が、警戒対象になってしまった。

 しかし、小春さんにGPSつきの花束を渡そうとして失敗をした上に、証拠になるものを俺は半年前に捨ててしまっている。

 このまま交番に駆け込んでも、被害が出ていない上に、偶然ここに配置されただけの労働者を訴えることはできない。


 けれど、小春さんの身に何かあってからでは、取り返しがつかない。


 小春さんに水のペットボトルをもらい、飲んでいる間も考えていたが、どうすればいいのか分からない。ここで俺が注意して相手を下手に刺激してもよろしくない。


 どうすれば。


「小春さん、とりあえず今日は俺がオートロックのかかるところまで送ります。あの警備員がいる夜は呼んでください。

 ……もし、よければ、ですけど」


 口にしてから段々と厚かましいことを言っているなと自覚してしまい、さっきまでの勢いは消えていった。

 俺はただの常連客で、小春さんにとってはただの顔見知りでしかない。

 恋人でもなければ、家族でもない。

 なんの大義名分もない関係だ。


 俺は空になったペットボトルを潰して、身の程知らずな自分を諌めた。


「……すみません。俺、ただの客なのに。踏み込みすぎました」

「牧瀬さん……」

「管理人さんに相談した方がいいですよね。あの警備員が来る時だけ、店を早く閉めるとか、管理人さんに待っていてもらうとか」


 苦いものを飲み下すように、ゆっくりと言葉を紡いだ。

 今、俺に小春さんの生活に踏み込めるだけの立場があれば。


 じゅっ、と、水が蒸発するような音がした。


 何だろうと顔を上げると、小春さんが真っ赤な顔をして、俺を見つめていた。


 小春さんの目から、涙が流れていた。


「小春さん?!」


 そんなに怖かったのか。

 俺は慌てて何か声をかけなければと焦ったが、次の瞬間、文字通り言葉を失くした。


 小春さんの流した涙が、じゅっ、と、音を立てて蒸発したのだ。


「え」

「牧瀬さん」

「はい」

「好きです。結婚してください」

「はい」

「ありがとうございます」

「………ん?ちょっと待って?」


 今、なんて言った?

 好き?

 結婚してください……。


「小春さん?!熱でもあるの?!」


 咄嗟に手を額に伸ばすが、一瞬で離した。


「あっつい!!」

「牧瀬さん、私、牧瀬さんのことを思うと、体が熱くなって……」

「尋常じゃなく熱いよ?!比喩的表現じゃなくて、物理的にものすごく熱いよ?!」


 ほうっ、と、ため息を小春さんがついた。

 妙に色っぽい。

 いや、それどころじゃないな。


「とりあえず、水飲んでください。冷蔵庫から持って来ますから」


 疑問符だらけのまま、冷えた水の入ったペットボトルを渡すが、小春さんが手に持って蓋を開けただけで、中身が沸騰してあっという間に蒸発してしまった。


 体温が100度以上なのかな。


 俺はどうしていいのか分からず途方にくれた。


 困った顔になっていたのか、小春さんはくすくすと笑うと、原因を説明してくれた。


熱海(あたうみ)家の女は、夫になる人と巡り会うと、体温が高温になるんです。

 牧瀬さんにあったばかりの頃は、37度くらいの微熱だったんですが、今はもうお湯が沸くくらいになってしまって。

 あ、しばらくするとおさまるんですけど、今日はちょっと、もう限界みたいです」

「お湯が沸くどころか、蒸発しちゃってるもんね……」

「はい。それを治すには、その方と結婚して、あることをしないといけなくて」


 それで俺にプロポーズをしたのか。

 あれ?じゃあ、それって、つまり。


「……半年前から、俺のこと、好きだった、の?」

「……はい」


 冷たい表情が標準装備の「氷の令嬢」が、はにかむように笑った顔の威力の強さと言ったら……!


「俺、もう、死んでもいい……!」

「嫌ですよ。牧瀬さん。一緒に年老いて死ぬまでは生きていてください」

「……はい!」


 俺は顔を両手でおおって俯いた。

 泣きそうだけど、今は泣いている場合じゃない。


「あの、とても嬉しいんですけど、警備員の奴、どうしましょうか」


 プロポーズされたのなら、もう他人ではない。部屋の玄関まで送ってもいいだろうか。


 すると、小春さんはにっこりと笑うと1枚の紙を俺に差し出した。



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[気になる点] この状態でえっ……なことしたら、物理的に大やけどでは? どうする唯斗。
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