3・「氷の令嬢」への片想いを自覚する
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それから残業があった時は、帰りに「氷の令嬢」の店へ寄ることが習慣になってしまった。
夜に開いている店はコンビニしかないので、毎回コンビニスイーツを持っていくのだが、そんな他愛のない品物を嬉しそうに小春さんは受け取ってくれる。
一応は客としての体裁を整えるために、10分で終わる占いをお願いしているが、どうでもいい内容になっていることは否めない。
「今度、服を買うつもりなんですが、どういうものがいいですか?」
「シンプルなものが合いそうですよね。ここのお店とか、どうですか?
方角的に合っていますし」
「じゃあ、今度の休みに行ってみます。あ、隣が有名なパティスリーですね。お土産に買ってきます」
占い関係ないなぁと気づいてはいるが、冬の街灯だけの寒い夜道を歩いていると、小春さんは大丈夫だろうかと気になってしまう。
管理人さんも紹介してもらったので、小春さんの身に何も起きていないことは確認できているのだが。
「……運命の相手が、小春さんだったらなぁ」
思わずそんなことを思ってしまうくらいには、「氷の令嬢」に惹かれてしまっていた。
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奇妙な占い通いをして、半年が過ぎた。
忘れた頃の飲み会の罰ゲーム確認は、「氷の令嬢」の手の冷たさだった。
「あれはびっくりしたなぁ。アイスハンドの異名をつけるべきだと思った」
彼女と「氷の令嬢」の店に行った内のひとりが、結婚が決まったことの報告会を兼ねて、この前と同じ呑み屋に集まった。
「でも占いが当たるから、そっちの方に気をとられるんだよな」
「そうそう。オレ、言われた通りになったもん。『これから3ヶ月の間に決意することがあります。ただし、ご家族の健康に注意してください』って。
そうしたら、オヤジが入院して、色々落ち込んでる時に彼女が支えてくれて。あー、結婚するならこの子がいいなぁって」
「ただの惚気じゃねーか。つつがなく老後を迎えてから家族に看取られて死ね!」
「おー、そうするわ。式は身内だけでやるから、披露宴代わりの二次会には来てくれよ」
酒を呑みながらくだらない応酬をした後、その日は早めの解散となった。
「唯斗も占いで結婚できるって言われたんだから、早く彼女見つけろよ」
「式には呼んでくれよな〜」
「お前、自分の式に俺らを呼ばないじゃないか」
わははと笑い合い、みんなと別れてひとりになると、急に小春さんに会いたくなった。
半年間ずっと心配していたわけじゃない。
だんだんと、それを口実にして会いに行きたかっただけだ。
「……お客さんとして行けば、会ってくれるよな」
すっかり見慣れた「氷の令嬢」の笑顔は、名前の通り小春日和のように優しくあたたかい。
このまま客としての付き合いのままなら、拒絶はされないから。
弱い自分と向き合うのを避けながら、俺は今日もコンビニでスイーツ選びをしている。
でも、このままでいいのか?
いつの日か、彼女の左手薬指に指輪を見つけてしまったら。
あのストーカー客と同じことを絶対にしないと、断言できるだろうか。
客として通うことは、ストーカーと同じになるのではないだろうか。
「……いつまでも、このままじゃ、ダメか」
運命の相手が俺にはいると、あの「氷の令嬢」が言ってくれたのだ。
この恋がダメでも、きっと最後には俺を受け入れてくれる人に辿り着けるから。
でも。
ーーー今は、小春さんのことが、好きだから、やっぱりフラれるのは、キツい。
酔いの消え始めた体は、きゅうっと痛む胸の切なさを誤魔化してはくれそうになかった。
葉桜の下、いつ告白しようかと迷いながらも、足取りはまっすぐに店に向かっていた。
店に入ると、待合室には俺と同じような年恰好の男性客がひとりだけだった。
静かな待合室で、占いを待つ男がふたり。
奥の部屋からはテンションの高そうな女の子の声が聞こえてくる。カップルで来ているようだ。
ーーー俺、恋人と、この店に来ることは……無いんだろうなぁ。
告白してフラれた相手に、彼女ができましたとわざわざ報告に来る必要もないだろう。
アルコールが抜けてきたせいか、妙に感傷的になる。告白する時は、酒を呑まずに来ようと思っているうちに、カップルが帰り、一緒に待っていた男性客が奥の部屋へと消えた。
「……今日は何を占ってもらおうかなぁ」
この恋が叶いますか、と聞いてみたいけれど、それを言ってしまったら、もうこの店には二度と来られない。
いつ告白しようかと思い悩んでいると、急に物が落ちる音が聞こえた。
一瞬で脳裏に浮かんだのは、小春さんに襲いかかるさっきの男性客の姿だった。
反射的に椅子から立ち上がると、そのまま迷うことなく奥の部屋に続くドアを開けた。
俺が部屋に踏み込んだ時、白いパーテーションが倒れて、その後ろにあるドアから、小春さんが逃げ出す背中が見えた。
「待て、こらぁ!」
怒鳴り声をあげながら、小春さんを追いかけようとしている男に、俺は後ろからしがみついた。
「何してんだ!おまえ!」
「離せ!あの女が余計なことを言ったからだ!」
「占いのせいにするな!決めるのはその人自身だ!」
力任せに前に進もうとする男に俺はそう叫ぶと、後ろにかけていた体重を勢いよく前側へと移動させた。
急な俺の体重移動に対応しきれなかった男は、前のめりで床に倒れた。
俺はそのまま上にのしかかり、見よう見まねで、男の右腕を持って背中に捻り上げた。
「いてぇっ!!はなせよ、てめぇ!」
頭がいっぱいいっぱいになり、俺は何も答える余裕はなかった。
ただ、この男が小春さんを追いかけないように必死になっていた。
男が喚き続けていると、管理人室の前に繋がる裏口のドアが開き、警察官が入ってきた。
その後ろには、泣きそうな顔の小春さんが立っているのが見えた。
***
男が警察官に連行された後、小春さんは店を閉めて、待合室の椅子にぼんやりと座っていた。
俺は勝手にお湯を沸かして、砂糖とミルクを入れた甘い紅茶を作って小春さんに渡した。
ふうふうと息を吹きかけながら、ゆっくりと口をつけた小春さんは、俺を見ると小さく頭を下げた。
「ご迷惑をおかけしました」
「……無事でよかったです」
ようやく俺も肩の力が抜けて、もうひとつ用意していたカップを手にした。
小春さんが紅茶を飲みながら、ぽつぽつと話した。
「今日は裏口の鍵は開けておいたんです。なんとなくですけど、何かある気がして。
管理人さんに遅くても残っていてもらうように頼んで、何かあれば交番に電話するようにしていたんです」
「それも、勘、ですか?」
「はい。やっぱり外れませんでしたね」
ふへへ、と笑う小春さんに、俺はすっかり脱力してしまった。
「なんですか、それ」
「でも、牧瀬さんが来るのは、わかりませんでした」
「役には立ちましたか?俺は」
椅子からずり落ちそうになりながら、投げやりな気分で質問してみた。
すると、小春さんはゆっくりと頬を染めていくと、小さな声で「はい、とても」と答えた。
「でも、牧瀬さんがケガをしないか、とても怖かった」
「……小春さん」
小春さんは俺から目を逸らして俯くと、もっと小さな声で、
「あの、今度、お礼をしたいので、ご飯奢らせてください。だから、その、連絡先、教えてくれませんか……?」
と言った。
俺は間を空けることなく、「はい!喜んで!」と、椅子の上で姿勢を正して返事をした。
それからお互いにスマートフォンを取り出して連絡先を交換すると、ちょっとだけ目を合わせて、すぐに視線を逸らすことを2、3回繰り返した後に、ようやく「それじゃ」「はい」と言って笑い合った。
そのまま店の方から出ようとしたが、管理人さんに挨拶をしていこうと思いつき、裏口から帰ることにした。
以前小春さんが言っていた通りで、裏口のドアを開けると、ガラス戸越しに管理人さんの姿が見えた。
軽く頭を下げると、俺に気がついた管理人さんが戸を開けて、声をかけてくれた。
「先ほどはお世話になりました。ケガはしませんでしたか?」
「はい、特に何も。
あの、さっきの人、なんで熱海さんを襲おうとしたのか、お巡りさんには何か言ってませんでしたか?」
「ん〜。どうやら彼女が小春ちゃんの占いに行った後から、帰って来なくなったみたいでねぇ。
関係はないと思うんだけどねぇ」
年配の管理人さんは穏やかに言って、首をかしげた。俺も小春さんに原因はないように思えたので、一緒になって首をかしげた。