2・危機感のない「氷の令嬢」を心配する
*
「結論から申し上げると、あなたの結婚相手はいます」
「あ、そうなんですか?!」
「はい。占いの結果、そのように出ました」
嘘でも偶々でも間違いでもなんでもいい。
その結果に心の底から、ほっとした。
そして相手がいると言われてようやく、ここに来るまでの間ずっと誰にも選ばれない未来を恐れていたことに気がついた。
ーーーそうか。俺は結婚したいのか。
占いを頼むことで、口にしたことへの本気度が自分で確認することができるのか。そういう意味でなら、占い師のところに来るのも無意味ではないのだろう。
予想以上に良い結果が出て、思わず顔がゆるむ。その顔がだらしなかったのか、「氷の令嬢」の表情が急に強張った。
俺はなんとなく気まずくなって、何か適当な質問をしてそれで切り上げようと思った。
「……あの、それで、相手がどういう人とか、出会いそうな時期とか、分かりますか?」
大まかな答えならすぐに出るだろうと予想して訊いてみたが、「氷の令嬢」は眉をひそめて口元をきゅっと結ぶと、とても言いにくそうに答えた。
「……とても、近くにいる、と。
出会っては、いる、のですが……すみません。いつもならもう少し分かるのですが」
「もう会っている人なんですね。いえ、充分に満足したので、大丈夫ですよ」
「……とても、わかりやすいサインが出ているので、相手の方はすぐに分かると思います」
つまり、俺の相手はすでに会っている人で、この人だとはっきり分かるということだ。
それだけでも充分に俺の背中を押してくれる力になった。ここに来る前には分からなかった自分の本音を知ったことと、可能性があると思える気持ちになれただけで、「氷の令嬢」の占いを受けてみて良かったと思えた。
「ありがとうございました。今夜、ここに来てよかったです」
「……それなら、よかったです」
できるだけの笑顔でお礼を言うと、虚を突かれたような顔になった。あまりここまで喜ぶ客もいないのだろう。
料金を払い、待合室の花束を持って帰ろうと席を立ち上がると、
「あの、さっきの花束……家に持ち帰るなら、一度外で包装を解いてください。ひとつひとつの花を見て、あなたが気に入ったものだけを持ち帰ってください。
決して、そのまま持ち帰らないこと。あとはここを出たら、決して何も話さないこと。
……いいですね?」
と、冷たい視線で「氷の令嬢」に言われて、背中がぞっとした。
何が見えているんだろうか。
俺は無言で何度もうなずくと、そのまま店を出た。
***
翌日、仕事を終えてから、まっすぐに「氷の令嬢」の占いの店へ向かった。
昨日より早い時間帯だったが、運良く待合室には誰もおらず、すぐに「氷の令嬢」に会うことができた。
「昨日、花束の中から、これが出てきました」
向かい合わせの席に着くなり、俺はポケットからスマートフォンを取り出して画像を「氷の令嬢」に見せた。
それは黒くて四角いタグのようなものだった。
「これ、財布とか家の鍵とか、失くしたら困るものにつけられる小型のGPSだそうです。昨日の花束の包装紙に貼られていました」
「……そうですか」
「気がついていたんですか?」
あの後、俺は言われた通りに外で包装紙を解いた。公園の街灯の下で、花を一本一本手に取り、嫌だと思うものは捨てようと思って見ていたら、紙についていたセロハンテープが指にくっついた。
手を振ってはがそうとすると、何かがぶらんぶらんとテープにぶら下がっている。
気になったので、それをよく見てみるとアルファベットでメーカー名のようなもが印字されてあった。そして、その文字をスマートフォンで検索してみると。
「GPS、か、どうかはわかりませんでした。盗聴器の可能性もあったので。
それに、ただなんとなくそういうものがあるな、と感じただけなので」
特に驚く様子もなく、冷静に答える「氷の令嬢」に、俺はなぜか苛立ちをおぼえた。
「どうしてそんなに平気そうな顔でいられるんですか。ストーカー被害に遭うところだったんですよ?!」
「いえ、今回はむしろあなたの家が特定される恐れがあったので、牧瀬さんの方が危険だったかと」
「ここから一番近いコンビニのゴミ箱に捨てたから大丈夫です!それにあの人は俺のことに興味も何もないですから!」
取り乱すこともなく、俺を身を案じる「氷の令嬢」に怒りすら感じる。
「あなたはこんなに綺麗で美人で美しいんだから、もう少し危機感を持ってください!」
勢いあまって椅子から立ち上がってそう叫ぶと、呆気にとられたように「氷の令嬢」は俺を見上げて固まった。
「……そんなこと、初めて言われました」
「何言ってるんですか?
ここに来た友人たちはみんな口を揃えて言ってますよ」
「みなさん、占いの結果だけを気にされているので」
そりゃあ占いをしてもらいに来ているんだから、そうだろうけれど。
「現にあなたに交際を申し込んでいたじゃないですか。モテることは自覚した方がいいですよ」
こんなに小さな体では、男に襲われたらひとたまりもないだろう。暴力をふるわれたらどうするつもりなんだろう。
「あの、もう、それはいいので」
「よくないですよ!こんなに華奢でかわいいんだから」
「わかりました!わかりましたから、座ってください!」
「氷の令嬢」にあるまじき大声で怒られて、ようやく俺は我にかえった。
何やってんだ。心配するあまり、失礼なことをしてしまった。
椅子に座り直して、俺は「氷の令嬢」に頭を下げて謝った。
「すみません。大声で怒鳴ったりして。あまりにも不用心で、心配になってしまって……」
「そうじゃなくて……あぁ、もう、いいです。そんなに心配されなくても大丈夫です。一応、夜間は警備員が常駐していますし、管理人さんも住み込みでいます。それに道を挟んだ向かい側には交番もありますから」
「そうですか。それなら……でも、ここ、部屋の中だと何かあったら」
自分で言ってしまってから、さらに不安になった。
「危なくないですか?ここに1人って」
「……今までも特に問題は」
「うーん、でも……」
白いパーテーションの奥には、外と繋がっていると思われる無骨で頑丈そうなドアが見える。
「あのドアから出れば、管理人室の前に出ますから」
俺の視線で読み取ったのか、「氷の令嬢」が言った。
「……帰り道とか大丈夫なんですか?」
昨夜のように遅くまで占いをしていたら、夜道で襲われてしまう可能性がある。
「ご心配なく。ここの上に住んでいるので。エレベーターまで管理人さんか警備員に見守ってもらっていますし、オートロックなので住人以外は入れません。
昨日の方は、確実に、ここには住んでいませんから」
「それなら……大丈夫、かな」
顎に手をあてて考えこんでいると、不意に小さく笑う声が聞こえた。
顔をあげると、「氷の令嬢」が目を細めて笑っていた。
とくん、と、胸が変な反応をした。
「ここまで心配されたのは初めてです。みなさん私の勘の鋭さを知っているので、危険な目には遭わないだろうとしか言われたことがなかったので」
うふふと笑う「氷の令嬢」は、まったく冷たくなく、そこだけ春のように柔らかく輝いて見えた。
「……そんなに勘が鋭いんですか?」
落ち着かない気持ちを誤魔化すように、俺は気がつくとそんなことを言っていた。
「はい。昨日の花束も、なんとなく嫌だなと。家に持ち帰るという行為には不似合いな印象を受けたので。
あとは、縛り付けるようなイメージが。盗聴器かなと思ったんですが、GPSでしたね」
「占いも、そういう感じでわかるんですか?」
「それなりに。
占いの仕方は母から教え込まれているので、感覚は最後の答え合わせのようなものですが」
「そうですか……」
あまりにも穏やかな笑みを浮かべるので、急にこの人もただの女の子なんだなと思った。
砂時計が落ち切ったのを見て、俺は財布を取り出して席を立とうとすると、やんわりと片手で止められた。
「占いはしていませんので、結構です。花束の答え合わせと、GPSの処分代といことで」
「でも」
「そうですね……それじゃあ、自分の勘を信じて言いますと、また来られると思うので、その時は美味しいお菓子をひとつ持って来てください」
にっこりと笑う「氷の令嬢」を見て、思わず「あの、名前はなんていうんですか?」と聞いてしまっていた。
瞬時に下手なナンパかと、脳内でツッコミを入れたが、「熱海小春と申します」と嬉しそうに答えたので、「いい名前ですね」と下手くそな返事をしてしまった。
アパートに帰ってから、返しの下手な自分に悶えてゴロゴロと布団の上を転がった。
そして、「あたうみ、こはる、さんかぁ」と、呟いてしまい、急な羞恥に襲われてもっとゴロゴロと悶え転がった。