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心の熱さを忘れたの  作者: 檜垣梁
7/22

7.人気

 綾さんが言っていたことは、間違いではなかった。ちゃんと「また明日」彼女に会うことになった。


 約五時間の授業時間を終え、家庭科室に向かう。空いたままの扉から家庭科室に入った僕は目を疑う。彼女が今までもずっといましたよ、という空気感で他の部員に混じって談笑していた。一瞬、自然すぎてわからなかった。


 あれ、バイトは? その疑問が、今の状況の不自然さに圧倒され、覆い隠されてしまう。


 確かに、家庭科部は幽霊部員も多いし、顧問の先生もそういう部員に何か注意をすることはない。けど、幽霊部員は名の通り、その場にいないから幽霊なのだ。


 だから、いくら緩い部活だといっても、今まで全くと言っていいほど参加していない人が、毎回のように出席している部員の中に一瞬で溶け込んでいる様子は違和感でしかなかった。同じテーブルを囲む生徒の中に彼女の友達がいたのかどうかはわからないけど、本当にどうしてそんなにコミュニケーション能力が高いのだろうか。


 同時に、そんなふうに簡単に輪の中に入り込んで楽しそうに笑っている彼女が、いったい何に悩んでいるんだろうか、とも思った。


 家庭科部では、グループに分かれて調理する。僕は彼女がいるのとは別のテーブルに着き、他の部員と当たり障りのない話をする。


 既に、テーブルの上には今日使う材料が揃っている。週替わりのローテーションで担当の人が準備をするようになっているのだ。


 作業の合間、綾さんにに話しかけられるのではないかという懸念は、杞憂に終わった。彼女は他のグループの子との調理を楽しんでいるようだった。


 今日はジャムを作る日だった。


 レシピは前のホワイトボードに書かれてある。りんごの皮をむき、いちょう切りにして塩水につける。そして、大量の砂糖と少しのレモン汁を加え、コトコト煮込んでいく。しばらくすると、鍋から甘い香りが広がる。あとは灰汁を取り弱火で長い間煮込めば完成。


 用意されたクラッカーと一緒に食べると、口の中に優しい味が広がる。


 基本的に作ったものは持って帰らせてくれるので、しばらく試食を楽しんだ後、僕たちはあらかじめ煮沸消毒しておいた瓶に出来上がったジャムを詰めた。


 その後洗い物と片付けを済ませ、家庭科室の掃除をする。


 荷物をまとめていると、綾さんが同じグループにいた僕のクラスメイトと楽しげに会話しているのが見えた。


 どうしてそんな早く仲良くなれるんだろうか、そんなことを思いながら、僕は家庭科室を後にした。


 駐輪場で自転車を取り、学校を出て自宅に向かっていると、一つ目の駅が近づいてくる。突然げらげらと大きな笑い声が聞こえて来て、そっちを向く。と、駅前のコンビニに集まってアイスクリームを食べている学生がいた。


 部活帰りなのだろう、みんな大きなバッグを肩から下げていた。


 彼らはスマホをいじりながら時間も忘れたように談笑している。帰る時間なんて、気にしていないんだろうな、と思ってしまう。


 その醜い思考を遮るかのようにポケットに入れていたスマホが振動し、僕は無意識に自転車を止めて眺めていたことに気づく。


 七時を過ぎると母が心配して電話してくるので、いつも十分前にアラームがなるように設定しているのだ。


 早く家へ帰らねばならない、僕はペダルを踏みしめ自転車を加速させた。




 大半のクラスメイトとは基本的に距離がある。中学の時からそれは変わらないけど、そんな僕にも高校では昼ごはんを一緒に食べる友達がいた。前に綾さんが教室に来た時、もし見られていたら、面白がって直接訊いてくるであろうと予想したクラスメイト、出山のことだ。


 出山と初めて話したのは、高校に入学して数週間経った時のことだった。


 中学生活の後半、つまり姉と父が亡くなってから、あることがきっかけで周りと関わろうとしなくなった僕は、高校に入ってからも、自分からは他の人に関わらなかった。


 遊びに誘ってくれたら行くし、話している時も普通に楽しいと思うことはあるけれど、晩ご飯の時間には家に帰っていないといけないから、遊んでも途中で抜けることが多いし、自分から誘ったりすることもないから友達は自然と少なくなる。ある程度は考えて周りを不快にさせないよう振舞ってはいるから、嫌われてはいないけれど、みんな、徐々に僕じゃないもっと付き合いのいい人を誘うようになっていく。


 そんな中、出山だけは違った。


 別に休日にわざわざ会ったりする仲じゃないけれど、教室で時々、休み時間に僕に話しかけてきた。運動部に所属していてクラスの中でも中心にいることが多いから、最初話しかけてきた時、何か別の理由でもあるのかと思った。


 けど、仲良くなってから話を聞くと、どうやら違うらしいとわかった。彼によると「仲良いって別にいつも一緒にいなくちゃならないってわけじゃないだろ。むしろ、一緒にいなくちゃならないって思い始めると疲れる」らしい。


 性格は全く違うけど、人との付き合いに関する方向性が似ているせいか、僕と出山は一年生の冬になった今でも毎日昼食を一緒に食べていた。


 提示してくれた誘いには乗る、そのくらいの距離感が心地よかったのだ。


「ほんと新川いつの間に」


 昼休み食堂で、そんな彼に野次馬を真似た顔で尋問されていた。


 さっきの休み時間の話だ。


 この学校では三時間目と四時間目の間の休み時間から購買でパンや弁当が売り出される。昼休みには人気のないものしか残っていないから、その時間には結構な生徒が購買に殺到する。


 出山はいつもこの休み時間中に何かしら家から持ってきたパンを食べている。本人によると、部活で倒れないように栄養が必要らしい。


 ただ、今日は家に用意したパンを忘れてきたらしく、買いにいかねばならなかったらしい。朝礼前の休み時間、一緒に行こうと誘われていた。


 三時間目、社会の先生の静かな声音のせいで寝ていたはずのクラスメイトは、休み時間になった途端息を吹き返したように購買に向かって走って行く。


 いつもはその様子をただ見ているだけだけど、今日はその流れに乗らなければならない。


 出山もやっぱり食欲が睡眠欲に勝つらしく、終わりの号令の後すぐに財布を手に持って僕のもとへ駆け寄ってきた。


「いこーぜ」

「あ、うん」


 僕も寝起きだったせいで、軽く耳鳴りがする。いつもだ。朝起きた時も、寝起きはキーンと音が耳の奥に響く。


 ただその耳鳴りはすぐ治まってくれて、俊足の出山に遅れを取らずついて行けた。


「僕もなんか買おうかなー」

「お、いいじゃん、新川はもっと食べたほうがいいって」


 急いで購買へと向かうと、購買前にはすでに多くの生徒が集まっていた。途端、あの声を思い出し、僕はふと足を止める。


 先週、数年ぶりに声を聞いてから、僕は中学の時のように敏感に人混みを避けるようになった。教室にいる間はそんなに困らないけど、こんな大人数の間に割って入って行くのは躊躇われた。


「あれ、どした?」


 急に立ち止まった僕を見て、不思議そうに首をかしげる出山。


「買わないの?」

「……なんかこの人混み見たらお腹いっぱいになった」

「なんだそれっ」


 苦し紛れの言い訳に、出山は面白そうに笑ってくれる。こういう時に冗談だと認識して話を進めてくれるのが出山で、だから僕は彼と仲の良い関係を続けられている。


「じゃあ、俺はとりあえず買ってくるな」


 彼はそう言って生徒の塊に突っ込んで行く。僕は人混みから少し離れたところで出山を待つことにした。食料の前で人に揉まれている出山の後頭部を見ていると、やっぱり行かなくてよかった、と思う。声は別にしても、あの中に入ったら潰されてしまう。


 そんなことを考えていたら、ふと後ろから自分の名前が呼ばれた。


 振りかえると、綾さんが近くに立っていた。


「よっ、芳樹くん。芳樹くんも買いに来たの?」

「いや」


 人にぶつかるのを避けて買うのを諦めました、なんて言えない。


「友達の付き添いで」

「そっか。私はお昼ご飯買おうかなって思って」

「急がないと無くなってしまいますよ」


 この様子だと、あと数分で人気のパンや弁当は売り切れてしまうだろう、来た時より既に、広げられた商品の種類が半分ほどに減っている。


「いいの、残ったやつ買うから。それに今行っても押しつぶされるだけだし」

「それはわかります」


 ちょうど、食料の確保を終えた出山が、生還してきた。


「お待たせ、新川――」


 出山が息を呑んだのは、気のせいではないと思う。彼の視線は、明らかに僕の横に向いていた。


「友達?」


 出山とは対照的に、綾さんは落ち着いた雰囲気で僕に質問してくる。


「はい」

「初めまして」


 人当たりの良さそうな空気で出山に挨拶をする綾さん。


「……初め、まして」


 普段からいろんな人に気さくに話しかける出山が戸惑っているのが珍しく、思わず笑いが漏れてしまう。


「ちょちょちょちょ、新川?」


 肩を掴まれ、そのまま数歩引きずられる。掴まれる瞬間、気づいて一瞬焦ったけど、ネタを見つけたと言わんばかりの表情をしている出山は死についてなんて全く考えてないらしい。安心する。


「なんだよ」


 僕が焦りを誤魔化すように言うと、


「なんだよじゃねえって」

「じゃあ、また後でね芳樹くん」


 綾さんはそんな僕たちの様子を見守るような表情を浮かべながら手を振り、人が減ってきた売り場へと向かって行った。


 後、という言葉に反応して、出山の力がさらに強くなった。


 そのせいで、昼休み、ご飯を食べに食堂に行ってからもずっと問い詰められていたのだ。


「――なるほどな」


 声のことは省いてバイトのことなどを説明すると、彼はひとまず興奮を抑えてくれたようで、やっとカツ丼に口をつけさせてくれた。衣が完全に出汁に浸り、全くサクッとしない。


 彼も、さっき購入したまま結局食べられなかったパンをかじり始める。横にはランチの大盛りも置かれていた。よく食べる。


「何事かと思ったわ」

「たまたまバイトが同じだけなんだって。そんなに驚かなくても」

「いや、だってあの吉水先輩だぞ」


 なんとなく、彼の言い方には含意があるように感じた。


「おお、出山じゃん」


 その理由は、横から口を挟んできた生徒に教えられることになる。


「おお、お前が食堂使うの珍しいな」


 出山が軽いノリで声をかけてきた相手に手を上げる。


「いや、弁当食べたんだけどまだお腹すいてたからなんか食べようと思って」


 両手に一つずつパンの袋を持って話しかけてきたのは、高身長で、出山と同じ部活に入っている隣のクラスの生徒。僕と出山が一緒にいるときに何度か話しかけてきたことがあるから、なんとなく覚えていた。


 それにしても、出山もだけど運動部員の胃はどうなっているのだろうか。人混みに近づくだけで満腹になる僕には想像もできない。


「ちょ、それよりさ、出山って吉水先輩と知り合い? 聞いてないぞ」


 吉水、というのは綾さんの名字だ。もしかして。


「いや、そういう訳じゃねえよ」

「さっき話してただろ、購買のとこで」


 見られていたらしい。


「さっきが初対面だって」

「は? なんだよそれ」


 僕の隣でリズムよく会話が進んでいく。


「――ん? あ!」


 彼が僕の顔を見て、指差した。


「君も一緒にいたよね! さっき吉水先輩と話してた?」

「えっと……うん。そうだけど」

「あ、出山じゃなくて君が知り合いってこと?」

「……まあ」


 彼は、わかりやすく驚いた表情を見せた。


「ええっ、なんで? いいな!」

「ええっと――」

 どう返答するべきか考える前に話を重ねられる。


「いいな〜、紹介してよ」

「やめてやれ」


 出山がどんどん加速して行く彼を手で制する。


「ああ、ごめんごめん」


 出山のおかげで彼の熱はおもむろに収束し、そしてそのまま二人は部活の話に切り替わった。僕は心の中で出山に感謝を送る。


 話し終えて教室に帰っていく彼は、去り際、「訊けそうだったら彼氏いるのか訊いといて〜」と、全力の笑顔をこっちに向けた。


「放っといて良いよ。あいつ美人に目がないだけだから」と出山が呆れたようにため息を漏らす。


「なんか、突風みたいな人だね」

「はは、確かに。いつもあんな感じ」

「すごいね……」

「まあ、悪い奴じゃないんだ」

「なんとなく分かるよ」


 ただ思ったことをそのまま口に出すタイプ。僕とは真逆だ。


「綾さんってそんなに人気なの?」

「そりゃ」


 だから、さっき僕が綾さんと話していた時のあの反応か。なるほど、僕がただ女子の先輩と話していることに対しての驚きじゃなかったのか。


「やっぱ知らなかったのか。十月にあった体育祭のリレーでさ、学年別のやつね。あれで俺らの部活のマネージャーも二年のリレー出てたから応援してたんだけど、それに吉水先輩も出てて、その時にみんな名前知った」


 あまり興味がなかったから、出山が出場する回しか意識して見ていなかった。もちろん僕が出場することもなかった。


「で、綺麗な人だからみんな盛り上がっちゃって」

「なるほど」

「二年の中でも結構人気らしいぞ。人当たりよくて」

「まあ……想像はつく」


 出山は僕の肩をとんとんと叩いてにやける。


「だから、気をつけろよ」

「なににだよ」

「だって仲良いんだろ?」

「別にそんなに仲良いって訳じゃないって。ご飯もこの前初めて行っただけで、それもバイト交代したお礼に、って感じだし」

「へーえ」

「そういうことじゃないって、ほんと」


 もっと大きな問題がある。


 ふーん、と興味なさそうに返事したくせに、出山は無理やり不名誉な話のまとめ方をしてきた。


「……そっかー。まあ、いつも周りに興味ないですよー感出してるお前が誰かのことに興味を持ってくれて俺は嬉しい」


 もう一度訂正しようか迷ったが、これ以上反論したら面倒になりそうな気がしたので「親か」とつっこむに留めておいた。


 まあ、仲がいいとかの話は別にしても、出山の僕に対する認識はあながち間違ってはいない。


 出山は僕の性格をよくわかっている。


 理由は何にせよ、確かに彼女と関係を築くことに対して積極的じゃない、とは言えなかった。既に僕は、彼女に対する興味を、それが良いものか悪いものなのかは別にせよ、持ってしまっていたのだ。

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