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心の熱さを忘れたの  作者: 檜垣梁
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4.姉

 母は、熱さを忘れられない人間なのだろう。


 授業と部活を終えて無事に十九時前に家に帰ると、母はリビングではなく、リビングの奥にある和室にいた。


 その和室はもともと姉の部屋で、今は使われていない。が、僕が学校から帰ってきたときに母はよくその部屋で座っていた。僕は姉が亡くなって以来、一度もその部屋の扉を開けていない。


 玄関で言った時は反応がなかったから、リビングまで入って二度目の「ただいま」を言うと、母がのそりと和室から出てきて、「おかえりなさい」と返してくる。


「ごめんね、まだ晩ご飯作ってなくて」


 母は申し訳なさそうな笑いを浮かべる。週に何度か、こういう母の調子が悪い日がある。


「今から作ろうと思うんだけど……どうする? もうちょっと待てる?」

「うん、じゃあ手伝うよ」

「え、でも――」

「大丈夫だから」


 すまなそうな表情をする母に対して被せるように言う。


 料理を作りながらの方が話をしやすいし、何か作業しながら聞く方が、母の精神的にもいいと思ったのだ。


「もう体調大丈夫なの?」

「平気。学校に行ったらだいぶ楽になったし」


 学校という空間が自分にとっては良いものだという言い方をすると、母の元気のない表情に少しだけ微笑みが浮かぶ。


 しばらくは淡々と晩ご飯の準備をし、機をうかがう。


 タイミングが大事だと思ったから、母が姉と父の分のおかずを取り分けている時に切り出した。


「来週の水曜なんだけど」

「ん」


 目論見通り、母は作業をしながら口だけで返事をした。


「バイトの後さ、晩ご飯食べてきてもいいかなって思って」

 もう自分の中では決まっていたけれど、「食べてくるから」というよりは母が許容しやすいと思い、その言葉を選んだ。


 案の定、母は眉をひそめてこっちを向いたが「いろいろ教えてもらってる先輩に誘われて」と、お世話になってる先輩からの誘いで断れないという言い方をする。それが免罪符としてうまく作用したのか、母はしぶしぶと言った様子で頷いてくれた。


「バイト終わってすぐに食べるだけだからそんなに遅くならないし」


 母が一番懸念していることに念を押すよう言い切ると、心配が少し和らぐのがわかる。よかった、ちゃんと良いタイミングで提示できた。


「後、帰りにケーキ貰って帰ってくるから、お腹開けといてね」

「あら」


 今言うか言わずに渡すか考えたのだけど、ここで言っておいて正解だった。母の顔に残った曇りの表情はすぐに柔らかくなる。


「それはお姉ちゃんたち喜ぶわねえ」


 食事中も、母はいつもより機嫌が良かったと思う。


 母の一番の懸念は、僕の帰りが遅くなりすぎることだ。それをわかっているから僕もさりげなく自分から言ったのだ。


 それは、姉が死んだ時間に起因する。




 姉が亡くなった日、彼女は晩ご飯の時間になっても帰ってこなかった。


 中学に入ってから僕も姉も塾に通っていて、その日は僕も姉も塾の講義がある曜日だった。


 僕はどちらかと言うと勉強に不真面目で、塾も親に通わせられていた感覚があったから、自習とかはせずに授業だけ終われば帰っていた。でも姉は違う。僕より一つ年上の姉は勉強に熱心で成績も良く、受験前になると多くの時間を塾で過ごしていたから、家に帰るのが遅くなることが多々あった。


 だから、両親もそれに慣れきって、子供が遅く帰ることに対して何も思ってなかったんだと思う。


 ただ、母が連絡したらいつも返信があるのだけど、その日は姉からの返信がなかったらしい。それで、先に塾から帰って自分の部屋でごろごろしていた僕に、わざわざ訊きに来たのだ。


 でも、母からそれを聞かされた時も僕は全く心配していなかった。姉が塾に残っていると思い切っていたから。


「自習室にまだ残ってたよ」


 帰り際、姉がちょうど自習室に入る姿を見かけていた。


 窓の外に広がる深い藍色を見ながらそう伝えると、姉の頑張りを理解している母は「勉強の邪魔しても悪いわね」と、リビングへと戻った。


 中学校の屋上から姉が飛び降りた、と連絡があったのは、その一時間後だった。


 あの時僕も母と同じように心配していたら、何か変わっていたのだろうか。


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