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心の熱さを忘れたの  作者: 檜垣梁
3/22

3.気遣い

 寝ている間に、心臓は元の場所に帰ってきたらしく、混乱した感情も昨日と比べたらずいぶんと治まっていた。


 ただそれは、毎朝する耳鳴りに耐性ができたのと同じようなものだ。衝撃に少しずつ慣れてきたというだけで昨日の出来事が頭の中で整理されたというわけではない。


 だから母に言ってとりあえず午前中は学校を休むことにした。熱もないのに学校を休むことに母が過剰に反応するかと思ったけれど、昨日家に帰ってきたときの僕の様子を見てだろう、本当に体調が悪いと思ってくれたらしく特に何も追及されなかった。


 実際、頭痛といつもよりひどい耳鳴りを感じていた。


 普段だったら二度寝したくて堪らないのに不思議と目が冴えてしまい、寝転んだまま天井を眺めていた。


 仕方なく分厚い羽毛布団をもう一度肩までかけ、昨日のことを思い出す。


 父の生前に聞いてから昨日まで、あの声を聞くことは一度もなかった。


 だから、油断していた。


 その声が聞こえた事実を父が声の通りに死んでなお疑っていたというわけではない。けど、あれは何かの拍子にたまたま聞こえただけだ、と信じてはいた。


 要は、父の時が特殊だと思ってしまっていたのだ。また聞こえるだなんて思っていなかった。だから、父が死んでから中学を卒業するまでの間、人に触れられることを避けていた僕も、高校に入ってからはあまり意識しなくなっていた。


 でも、そんなことより。彼女が、死のうとしているなんて。声が聞こえたこともそうだけど、まさかバイト先と学校の先輩である綾さんに触れられた時に聞こえるとは、思わなかった。


 普段から、楽しそうにお客さんと会話しているのが彼女の印象だったから、そんな彼女と聞こえてきた「自殺」という言葉をつなげることができなかった。彼女が自殺を考えているなんて、思えない。


 それに。


 彼女はどうして僕のことをご飯に誘ったのだろうか。


 いくらシフトを代わったお礼だとしても、死を考えている人間が昨日みたいに誰かを誘うことなんてあるのだろうか。誘われて行くのならまだしも、自分から進んで、なんて。


 もし、自分が同じようなことを考えているとしたら。そのとき僕は誰かとご飯に行こうとするだろうか。ないと思う。


 ――いや。違う。


 別に死を考えていたとしても、周りの人に気づかれないように振る舞うのだ。死のうと考えているしても、僕だって行動を変えることなんてないはずだ。


 僕が人を誘わないのは、ただそういう性格だからだ。


 ああ、そうか。もう知っていた。姉や父も同じだ。


 別に、前兆なんてなくたって、周りに気づかれてなくたって、死のうと考えている人はいる。すでに経験していることだ。


 それに、僕はその聞こえてきた内容が嘘ではないことを知っている唯一の人物なのだから。


 これ以上考えたところで何かがわかる気はしない。


 そもそも、考えたところで、もし本当に死ぬことを選択するまで悩んだ人の気持ちなんか、悩みもない僕にわかるはずがない。


 ずっと頭の血管が悲鳴を上げていた。


 やめよう。とりあえず、既に行くと言ってしまった彼女の誘いには、何も考えずに乗ればいい。僕は目を瞑って思考と光を遮った。


 頭を使わないのは正解だったらしい。僕は知らないうちに眠りについていた。




 目覚めた時、ちょうど昼休みが始まる時間だった。頭痛が治まっていたので学校へ行くことにした。


 ゆっくりと通学路を自転車で進んでいき、学校へとたどり着く。その後、騒がしい廊下を通って自分の教室へと向かう。


 僕が教室内へと足を進めずに空いたままの扉の前で立ち止まったのは、教室が昼休みにしてはなんだか異様に静かだったからだ。


 実際、授業中くらいの静寂が教室内に広がっていて、何事かと思ったけれど、原因は一人の女子生徒が僕のクラスにやって来たことらしかった。


 弁当を食べているみんなの視線が、その生徒がいる教室後ろの扉に集まっていて、前の扉から入ろうとした僕も自然とそちらを向く。


 彼女は誰かを探しているらしく、扉に手をかけて教室内を見渡していた。


 目が合う。


 彼女はこっちを向いたまま笑顔で手を振る。途端、教室中に波が立つのが分かった。


 僕は急いで引き返し、廊下側を通って彼女の所に行く。


 僕の動きを追うようにこっちを向いた彼女に「行きましょう」と言い、その彼女が首を縦に振ったのを見ると同時に階段の方に向かった。


 立った波はどうにもならないけど、あの空間で話をして更に波を荒げたくはない。他のところに行くことが波を荒げないことになるかは微妙だけど、あの空間で落ち着いて話をする自信はなかった。


 階段の踊り場まで来て、振り返る。ついてきた綾さんも立ち止まる。


「どうしたの、重役出勤?」


 おどけたような彼女の声がクリアに耳に届く。昼休みの喧騒からこの場所だけが取り残されているみたいだった。


「ちょっと体調悪くて」

「え、大丈夫?」

「はい、寝不足なだけです」

「……そっか」


 少し、歯切れが悪そうな彼女の口調。昨日の僕の様子を思い出しているのだろうか。


「でももう大丈夫です」


 僕は彼女の思考を断ち切るようにかぶせる。


「……よかった、気をつけないとダメだよ。風邪、流行ってるし」

「はい。それより、どうしたんですか、いきなり教室にくるなんて」

「ああ、そうそう。ごめんね、昨日の帰り、また連絡するとか言っといて、連絡先聞いてなかったなと思って」


 バイトは連絡先を交換したりグループを作ったりしなくても樺さんとだけ連絡先を交換していれば十分なので、今まで綾さんと連絡先を交換する機会はなかった。


 だとしても。


「それでわざわざ来てくれたんですか」


 別に急いで連絡先を交換しなくたって、バイトで同じ時間帯のシフトになった時でいい。それなのに。


「わざわざわざってほどじゃないけどね」


 彼女はなぜか、そんな風に変な言い方をした。クラスに突撃してくるのはどうかと思うけど、でも、せっかく来てくれたので素直に感謝するべきだと思い、僕は頭を下げる。


「ありがとうございます」

「それより、ごめんね、なんか教室に入りづらくなっちゃったりする……かな?」

 突撃はしたけど一応今の状況を正確に理解しているのか、彼女は申し訳なさそうに頭を下げる。


「ああ」


 さっき教室を出ていく時に感じた教室中からの視線を思い出す。けど、面白がって直接訊いてくるであろうクラスメイトはいなかった。


「まあ、大丈夫だと思いますよ」


 バイトのことはあまり言いたくないし、聞かれたとしても適当にごまかしておけば良い。


「そう? よかった。で、交換、いい?」

「あ、はい」


 彼女とスマホを合わせ、連絡先を交換する。


「よーし、芳樹くんの連絡先、ゲット。じゃあ、また明日バイトで」


 彼女に手を振った後、すぐに戻ろうとしたけれど、教室の空気を想像し、僕は方向を変える。トイレで時間を潰してからチャイムが鳴るギリギリに教室へと戻ることに決めた。

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