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心の熱さを忘れたの  作者: 檜垣梁
22/22

21.エピローグ

 随分と心地が良い朝を迎える。


 最近、すっかり耳鳴りを感じなくなっていた。最近まで慣れてしまうくらいに耳鳴りに悩まされていたからこそ、それがない生活というのは心地良いことなのだと痛感する。


 いや、それだけじゃないのかもしれない。今日はいい匂いに反応し、自然に目が覚めた。


 自室を出て廊下を進んでいくと、甘いバターの香りが鼻を刺激する。すっきりとした耳には、フライパンが熱される軽快な音が飛び込んできた。


 お母さんがこんな朝早くから料理をしているのは久しぶりだった。


「おはよう」


 少しだけ開いたリビングの扉を開ける。


「おはよう」


 少しだけ恥ずかしそうにそう言う母の挨拶。


「朝ごはん……」


 そこでどう言おうか迷う前に口から言葉が出る。


「いい匂いする。フレンチトースト?」

「……ええ」


 机の上に、皿が四枚並べられてある。その隣に本が置いてあった。僕が買った本。


「芳樹の本、借りてる」

「うん、いいよ」


 すっきり目覚めたおかげで朝ごはんを食べ終えてもまだ時間が余っていた。


 冬季講習期間に入っていたのでいつもと持っていく教材が違う。ただでさえ期末のテストが悪かったから、忘れ物までして本格的に先生に目をつけられてはかなわない。


 変則的な時間割を確認しながら荷物を整理していたら、見覚えのない箱が目に入ってきた。


 見ると、チョコレートの箱だ。リボンが付けられている。


 思い出す。ああそうか、明日はホワイトデーだ。多分部活でも今日はいつもより豪華なものを作るのだろう。


 それにしても。僕は手の中にあるその小洒落た箱を眺める。いつ買ったのだろうか。


 すぐに気がつく。僕はバレンタインの日にプレゼントをもらっていた。彼女のお返しのためにこれを購入していたのだ。


 よかった。忘れていたらとんだ失礼だ。どうしてこんなに大事なものを忘れていたのだろう。


 鞄の中で箱がずれないよう慎重に入れて、ファスナーを閉める。上着を着て自室を出た。




 講習の後、家庭科室でホワイトチョコのケーキと、スノーボールかマフィンを各自作る。


 僕はスノーボールを作った。


 部活が終わって、持って帰るお菓子を詰めてから立ち上がると、ちょうど彼女も家庭科室を出るところだった。


 追いかけて行って、声を掛ける。


 彼女はどこか緊張しているようだった。

 ここだと出てくる人みんなに見られてしまう。僕は彼女を促し、二人並んで校舎を出た。


 いつもならもっと話しかけてきてくれる彼女との間に沈黙が続くせいで、僕もなんだか気まずくなってしまう。その気持ちを振り払うように声をかけた。


「柏井」

「はいっ」


 彼女は少し肩をびくつかせて立ち止まる。


 僕は、鞄の中に手を入れ、中にある箱を探す。その箱に触れた時、僕の手は少し止まってしまう。


「……これ、バレンタインのお返し」


 今、何を迷ったのだろう。


 少し疑問に思いながらも、今朝鞄に入れたそれを取り出し、彼女に渡す。彼女は嬉しそうに受け取ってくれた。


「それじゃあ、また明日」


 彼女が笑顔のまま、早足で帰っていく。


 駐輪場で彼女に追いついてしまわないように、僕は足を緩めた。




 次の日、僕はバイト先の先輩とご飯に行く約束をしていた。少し前、彼女が祖母の四十九日のために休んだ時、バイトのシフトを交代した。そのお礼で彼女が夕食に誘ってくれたのだ。


 僕が先に支度を終えて裏口を出たところで待っていると、綾さんが遅れて現れる。


「お待たせーお疲れー」


 互いに労い合った後、僕たちはレストランに入った。落ち着いた音楽はなんとなく、聴き覚えがあるみたいだった。


「好きなの食べて、今日は私の奢りだから!」

「悪いですよ」

「いいのいいの、お礼なんだから」


 メニューを僕の方に寄せてくれる彼女を見て思う。


 嬉しいけど、バイトを交代したくらいで大袈裟だ。


「デザートも頼んでいいよー、ほら、ケーキもあるよ! 好きなの頼んで」


 彼女はあくまでも全て奢ってくれる気だ。


 閃く。


 そういえば、綾さんは確か昨日マフィンを作っていたはずだ。


 昨日家で食べなくてよかった。


 そんなことを考えていると、僕の顔を覗き込んで楽しそうに笑う彼女が言う。


「私たち、こうやって一緒にご飯食べるのは――あれ」


 首をひねる。


「私……芳樹くん誘ったの、初めてだっけ」

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