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心の熱さを忘れたの  作者: 檜垣梁
20/22

19.本性

 同じバイト先で働いている新川芳樹くんの表情はいつも、少しだけ冷めていた。


 彼は高校に入学するタイミングでバイトを始めた。私は一年先輩で、同じ高校だったし、何度か話しかけようとした。話しかけるといつも普通に応えてくれる。それなのにいつも、どこか一線を引かれているようなそんな感覚があった。


 私は中学のいじめで転校してから、自分の性格を無理やり変えた。人に嫌われない接し方を研究して、高校生活でもそれを使って上手くやっていたと思う。中学の時は妬まれていじめに発展した容姿も高校ではむしろプラスに働いて、誰からも嫌われることはなかったと思う。


 だから、芳樹くんと話す時も、いつものように、彼が求めるであろう行動をとって、愛想よく話しかけたりしていたのだけど、彼は、心を開いてくれなかった。


 そんな彼のことを純粋に気になった。もっと一緒に話をする機会があれば、と思っていたけど、私はおばあちゃんと二人で住んでいて、お金に余裕があるわけでもないから、どこかに誘ったりして話す余裕はなかった。


 だから祖母が亡くなって、その間シフトを代わってくれていたと知った時はチャンスだと思った。


 どうせ私は死ぬと決めていたし、もうお金はいらない。


 そして、彼をご飯に誘った日、それは聞こえた。


 彼の肩に手を置いた瞬間だ。最初、どこかから放送でも流れているのかと思った。割れた金属音のような不快な音が耳に入ってきていた。


 ただ、音が聞こえたことに対する驚きはすぐに消え去ることになった。


 内容が、今私がご飯に誘った彼が一ヶ月後に自殺をするという内容だったから。


 まるで自分のことを言われているみたいだった。


 怖くて話をすぐ終わらせようとしている最中も動悸が収まらなくて、ただその中でもちゃんと私は続いて声を聞いていた。


 彼を救えば、それまでの関係する記憶が両者から消えるという訳のわからない内容が耳に届いていたのだ。小説みたいだ、なんて思う一方で、私はよこしまな――自分に都合の良い解釈を始めていた。

 これはもしかすると天国にいる葉月に対する償いになるんじゃないか、と思った。


 もし今聞こえてきた内容が本当なんだとしたら、そして私も葉月と同じように人を救ってから死ねば、自殺した彼女も少しは許してくれるかもしれない。


 そのための試練なんじゃないか、と。




 体力の限界で座り込む。ずっと墓から逃げるように走り続けていた。


 体が震えていた。疲れて、じゃない。事実を理解して。


 私は思い上がっていた。なにが償いだ、なにが罪滅ぼしだ。


 彼を苦しめていたのは私自身だった。


 私が、芳樹くんの姉を、葉月を、死に追いやった。自殺じゃない、殺したんだ。


 違和感が全くないわけじゃなかった。


 芳樹くんの最寄り駅と、家庭環境。お姉さんは、自殺していると言っていた。その話を聞いたときに、もちろん私の頭の中には私のせいで自殺した親友の顔がはっきりと浮かんでいた。


 たまたま似た境遇を抱えている人なんだ、と思っていた。


 だから、彼の考えていることを理解できると思った。彼が、私と同じように自殺を考えているも、納得できた。彼の苦しみは、自分が一番わかっているだなんて思っていたりもした。


 くだらない。馬鹿だ。ただの、思い上がりだった。


 私が彼の苦しみの一番の元凶なのに。


 苗字。新川……芳樹。いつもバイト中の名札でいつも目にしている。

 新川、それは間違いじゃない。


 逃げる前に聞こえた彼の言葉を思い出す。


 ああ、そうか。


 私のせいだ。私が、彼から全てを奪った。


 私のせいで、彼の苗字も変わって。


 自殺に追い込んだんだ。


 心臓が、捻れる。


 そうか。この声が聞こえるという状況。なんで私たちだけが、なんて思ってたけど、二人とも、原因が同じだから。


 彼も気がついただろう。もう近くになんていられない。私にはどうにもできない。どうせ何もできなかったのだ。


 わからない。もう私は一人で。彼には生きてほしい。もし私だけが死んだら、彼は私のことを忘れてくれるはずだ。


 けど。そんなことを願う資格さえ私にはない。


 もう、彼に会うことはできない。






 綾さんが、姉を自殺に追いやった、のか。自分で言っていた。


 ――私が自殺まで追い込んだから。

 ――墓参りに行ってきたんだ


 本当、なのだろう。


 彼女の、本性、とかじゃない。


 ずっと、姉の自殺は仕方ないものだと思っていた。


 姉のいじめに関わった奴全員――とか、考えなかったかと言われたら首を振ることはできない。けど。僕はずっとその感情を抑えていた。それに対面した所で、恨みの感情をぶつけたりした所でどうしようもないんだからって。


 許せないし、納得してないけど、そこは間違ってないと思ってた。


 反省して欲しいのか、お詫びに死んで欲しいのか、そんなことを考えるのも嫌で。


 ずっと、その感情自体、不必要なものだと自分の中で決め込んでいた。そんなことをした所で自分の姉が生き返るわけでもないのだから、と。


 けど、実際、目の前に、生きてほしいと思うくらい近くに姉のいじめの原因になった人物がいるならば。ずっと保留していたから、その蓋を開けられて、停滞していた醜いけど正直な感情が急に動き始めていた。


 だから、彼女の姿が見えなくなってすぐ、彼女を探せなかった。




 内臓が浮いたみたいな感覚の中、僕はある場所に向かっていた。


 心の中、奥底、見えないはずの、これからも誰にも見せないはずの場所にこびりついていたどす黒いものが、ザワザワと騒ぎ出す。


 真っ直ぐに怒りを出しているよりもタチが悪かった。感情の、落としどころが分からなかった。母みたいに、他に影響を与えながらも、自分の感情に正直でいられたなら、どんなに楽だろうか。


 正しい道だと思っていたから、そうやってしっかりしていると言われるような体裁を作ってきたから、それしか方法がなかったから。


 わかってる。綾さんよりもっと悪い人もいると、理解している。


 それじゃあ、このこみ上げてくる感情はなんだ。怒り、焦り――いや、失望、だろうか。


 綾さんが姉をいじめたわけじゃない、わかっている。


 けどそんな話をしている訳じゃない。いつだって手の届く範囲のことしか考えることもできないのだ。だからこそ僕は蓋を閉めて考えることさえも保留にしていたのだ。これからもその蓋は開くことがないと思っていたのに。


 なんだ。


 なんなんだ。


 脳味噌が掻き回されているみたいで、自分の感情が理解できなかった。


 彼女のことをずっと知ろうとしてきたけれど、知らない方が、よかったのかもしれないと、始めて思った。


 ああ、そうか、僕たちが同じ能力を持っているのはそういうことだったのか。そりゃ、こんな力、みんなに生まれ始めたらキリがない。


 彼女に会えば、わかると思っていた。彼女を傷つけないために何をすればいいか。彼女に会って話して、選ぶしか方法はないと思った。けど、違った。


 もっと、わからない。


 どうすればいい。


 分からないから、その感情を、一番わかっている人に聞こうと思ったのだろうか。


 家に着くと、昨日よりもふらふらした足取りで廊下を通り、リビングへ。僕はその奥にある姉の部屋の扉を開けた。


「え……芳樹」


 リビングにいた母が、急に姉の部屋に入っていく僕に対し驚愕の声を上げる。


 その言葉は無視して、僕は扉を閉める。


 変だ。今朝は何ともなかったはずなのに、急に胸の奥からもぞもぞと悪いイメージが溢れ出す。


 深呼吸するのも忘れて、僕は久しぶりに姉の部屋を見回す。


 仏壇以外、昔見たものと何も変わっていなかった。


 埃ひとつ積もっていない勉強机。姉は高校に行くためにずっとここで勉強していた。僕はが今の学校に入ることに決めたのも、姉の影響だ。


 机の隣にある本棚に見覚えのある本が入っているのに気づき、心臓が跳ねる。


 姉も、同じ本を持っていたのか。僕も綾さんも持っている本。姉の苦しんでいるサインを見逃していたんだと、今頃になって気づく。


 の、横。


 姉が高校になったらすると言っていたメイク、その勉強のために購読していた雑誌。


 その雑誌の天の部分から栞の紐が飛び出しているのを、僕の目がしっかりと捉えていた。


 ――無くしちゃって。


 綾さんの言葉が頭の中に浮かんできて、気がつけばその雑誌に手を伸ばしていた。


 開くと、確かにそこには紅葉の栞が挟まってあった。


 ホテルのロゴ入りの、紅葉の栞。


 しおりをそのままポケットに入れる。そしてその雑誌を元あった場所に戻そうと――


 視界の端に何かが見え、ことん、と床に落ちる音が聞こえた。


 ――紙?


 白い便箋が足元に落ちていた。手紙、だろうか。


 お姉ちゃんの字……だろうか。今まで注意して見てもいなかったのに、その字体だけで全身が懐かしい空気に包まれる。


『 綾へ 』


 その書き始めで理解する。姉で間違いない。


 そんなふうに始まった姉の手紙は数枚に渡っていた。


 姉がいつ、どういう気持ちで書いたものなのかはわからない。


 一緒にケーキのイベントに行ったこと。


 紅葉を見に行ったこと。


 ケーキを食べたこと。


 勉強をしたこと。


 図書館で話したこと、怒られたこと。

 いじめのこと、救いたかったけど救えなかったこと。


 勉強のストレスのこと。


 したかったバイトと部活のこと。


 綾さんと高校で会うことが目的だということ。


 しばらく周りの世界が泊まったかのようにその手紙を読み続けていた。


 ほぼ全て、知っていることだった。綾さんが、思い出しながら語っていたことが全て、姉の手紙と同じことだった。


 楽しかったことだけが綴られているその便箋を見て僕は。


 もう一度雑誌を開く。


 雑誌の中、いろんなところが丸で囲われていた。


 その全てに、誰かに読ませることを目的としたコメントが記載されていた。手紙と同じ字体で書かれたそれ。


 僕は急いで本棚にしまってある雑誌を見返す。


 そのファッション雑誌は毎月刊行されているもので。


 見ると、姉が死ぬ前の月の号まで全部。


 全てにその書き込みはされていた。


 二人で幸せな時間を共有していたことが、伝わる。ずっと、姉は――


 姉の言葉を見て。


 誰よりも辛いはずのお姉ちゃんのその覚悟を知って。


 どうすれば良いか分からなくなったその自分の心を、姉がそっと支えてくれている感覚になった。


 大きなため息が口から漏れる。


 安心しきっている自分に気がついた。


 今日までずっと彼女と過ごしてきて。彼女が僕のためにこの一ヶ月間考えてくれて。僕が悩んでいるから話を聞こうとしてくれて。僕のことをわかろうとしてくれて。


 そういうことが積み重なって今僕はここにいる。


 姉が死んでから長い間人と深く関わることを避けてきた僕が、彼女を信用できると思った。


 僕が、誰かに会って尊敬するなんて、積極的に人と関わるなんて。


 それも全て、彼女のおかげだ。


 気づく。


 一番大事なことを、まだ僕はわかっていなかった。


 何でこんなにも気づかないのだろう。


 こんなにも単純なことなのに。


 また自分の気持ちを押し込めて、気づかないふりをしていた。


 僕は駆け出す。

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