17.おなじ
自分が自殺しようとしていることはわかった。正直、そこに関しては、別によかった。ずっと思ってた気持ちを理解できた。
改めて考えると、思う。姉に対するいじめも、父の死に何もできなかった自分も、二人の死自体も、勝手に立ち直ることが正解だと考える人への鬱憤も、何も割り切れてない。でも、割り切れていないことを理解した。それで十分だ。週末、僕がどうなるのかは、考えても無駄だと思った。別に生きることに執着もしていない。
だから、晩ご飯を食べた後、僕は自室でテスト勉強なんかせずに彼女のことを考えていた。
とりあえず、彼女にはもう一度ちゃんと謝らなければならない。自分自身が人との関わりを避けるようになった原因、それと同じことを彼女にしたのだから。
彼女はずっと、周りを見て生きていた。
気を使いながら周りの人と関わってきた。
あれ。ふと何かがひっかかるのを感じた。
ずっと、死のうとしてる彼女が自ら他の人と関わろうとする理由がわからなかった。だから、僕は彼女に対して疑問を持ったのだ。
その疑問は今でも変わらない。死ぬことを理解しているのであれば、関わりを増やす必要は全くない。
消極的な人付き合いに慣れた頭で考えてみる。
人はどういう時に仲良くする?
必要なコミュニケーションを取るために、と言っていた。
必要な時。
彼女の言ったことがその言葉通りの意味なら。
死ぬつもりなのに、必要なコミュニケーションって、なんだ。わざわざ行っていなかった部活にまで参加して人と話す理由って、なんだ。
僕と同じ?
冷たい汗がつつっ、と背中に流れる。
なにか、とんでもない思い違いをしてる予感がおもむろに湧き上がってくる気がした。
ある仮説が浮かぶ。
同じ日に死ぬ、と言っていた。
それなら彼女は――
父の時も彼女の時もちょうど一ヶ月前に聞こえたのだから、彼女が聞こえたのも、初めて僕をご飯に誘ってくれた日なのだろう。
彼女の今までの行動を思い出す。
僕をご飯に誘ってくれた彼女。
帰る前、彼女は財布を持った手を握った。そこで僕は二回目の声を聞いた。彼女も二回目の声を聞いていた。
それ以来、彼女が僕に触れることはなかった。
バスの中では、彼女が席を一つ離すように促した。あれも、遊ぶため以外の理由があるのかもしれない。
それに。
彼女に疑問を持ち始めた頃、ちょうど彼女から誘われたケーキのイベントに行った。何も考えず、せっかく誘ってくれたんだから、と考えていた。チャンスだ、なんて。
その後も、彼女は僕を誘おうとしてくれていた。
思えば毎回彼女が誘ってきた。
いつも、彼女は僕のことを心配していた。
あれだけ人のことを考えて行動する彼女が、他の人から僕の情報を集めることに違和感を感じていた。彼女ならば、それによって僕に及ぶ影響を考えられるだろう。それに、やっぱり彼女の性格なら、なにも考えずバイト先を言うなんてことはないと思う。しかも彼女は、僕が嫌がることを理解しているようだった。
連絡先を聞きにわざわざ教室に来た時もだ。
今から考えたら彼女がする行動には思えない。
そんなにタイミングよく、彼女が誘うなんてことが起こりうるのだろうか。
僕は今までしてきた大きな間違いに気づく。
ずっと、彼女が僕のために関わる機会を作ってくれていたのだとしたら。
僕にとってタイミングが良いのなら、彼女にとってもそうで、その状況は彼女によって作り出されていたなら。
全て、コミュニケーション能力の高さで片付けていた。何も、彼女のことを見ていなかった。
彼女は、僕と同じなんかじゃない。
振り返る。僕はなにをした?
彼女に触れて声が聞こえ、彼女が死ぬとわかった。自殺するはずの彼女が楽しそうにしていることに疑問を持った。それだけ、それだけだ。
彼女のために何もしてしない。
彼女がずっと僕のために動いていてくれたのにもかかわらず、僕は彼女が掴んだチャンスにおんぶに抱っこだった。
父の時と何も変わっていない。
僕は、またみていただけだ。
自分の感情に気づき、背中に怖気が走る。
どうしようもないと思っていた、それ以前の問題だ。
未だなお、本心で彼女のことを救おうとさえ思っていなかった、のだろうか。
身近に人が二人も死んで、目の前で死のうとしている人がいるにも関わらず、彼女が自殺することを、仕方ないとでも思っていたというのか。
ひとでなしだった。
そうか。自分が死ぬから、彼女が死ぬのはダメだとか言いながら、実際は周りなんて、どうでもよかったのだ。
挙げ句の果てに彼女を傷つけた。身をもって体感したはずの鋭利で優しい言葉を、彼女に投げつけた。
遅いけど。もう、絶対に綾さんを傷つけてはいけない。今更かもしれないけど、せめて今からはもっと彼女のことをしっかり見なければならない。
そのために僕はどうすればいい。
周りから正しいと思われる行動が正しくないかもしれないと気づいている今、僕は何をすればいい。
視線をずらせば彼女に渡そうと買ったチョコレートの箱が机に載っている。僕はそれを見えないところにずらした。
その後、部屋を出てゆったりと歩き、リビングに行く。
食事が終わった後はいつも部屋に篭っている僕がリビングに現れたことに驚いたのだろう、ダイニングテーブルについていた母の声は少し上ずっていた。
「どうしたの?」
「ねえ、お母さん。お姉ちゃんは」
テーブルの上に載っているものが視界に入り、僕はそれ以上言えなくなる。
――お姉ちゃんは、死んで幸せになれたのだろうか。傷ついた心を癒すことができたのだろうか。お父さんは、命を絶つことで逃げたい何かからちゃんと解放されたのだろうか。
母は、最初からずっと割り切っていないのだろう。眼下には昔撮ったアルバムが広げられていた。
普段話さない話題に僕が触れたことで、空気が張り詰めているのがわかる。
「お姉ちゃんがどうかしたの?」
「いや……」
「何よ」
「いや、なんでも」
「最近どうしたの。なんか変よ」
それはそうかもしれない。
母は喉をつまらせたように呻く。
「芳樹まで死んでしまったら……」
「やめて」
僕は話を切る。母が目を見張るのがわかった。
「そういうのはやめて」
ただ、そう言い残して部屋に戻った。
彼女を一番傷つけない方法を、僕は慎重に考えなければならない。
「出山、アイス食べよう」
僕が言うと、「おう」と素っ気なく相槌を打ち、後ろをついて来てくれる。
食堂には、昨日より多くの人がいた。みんなテストへの不満をアイスにぶつけでもしているのだろうか。
どうやら僕の予想は当たっていたらしく、自販機のボタン全てに売切の光がついていた。
「うそー、最悪」
大袈裟に嘆いた後、出山が悪い顔をしてこっちを向く。
「抜け出して駅前に買いに行くか? あ、けどバイトあるから時間無理か」
彼がおどけて走るそぶりを見せる。
「いや、まだ時間ある。行こうか」
聞くことが聞くことだからもう少し、落ち着きたい。
「よっし」
二人して自転車で駅に向かう。
自転車を漕ぎ始めてすぐ、後悔する。
「さっむー」
三月に入ったと言っても、外は肌寒く、自転車に乗ると顔に当たる風が痛い。
けど、全身に当たる冷たい風が僕の心の乱れも取り去ってくれる気がした。自然と口が開く。
「聞いていい?」
「勉強の話じゃなけりゃ何でも」
出山は空気が重くならないように促してくれる。
「……大切な人が死ぬほど悩んで、自殺するって決めたらさ、出山ならどうする?」
「ええ! 新川死ぬの!」
そうなるか。彼の驚きを宥めるように僕は言う。
「ああ、違うよ。そうじゃなくて。昔、近くで死んだ人がいて」
嘘は言ってない。
「ああ、そういうこと」
彼はすぐ、何か納得したように頷き「んー」と考えてくれた。僕は駅に向かって足を回しながら、彼の反応を待つ。
「これ、思ったこと正直に言っていいんだよな?」
しばらく考えた後、彼は口を開く。
「もちろん」
「……じゃ、あくまで俺の意見だけど」
彼は自転車のスピードを緩め、話を始める。
「死ぬほど悩んで自殺するってなったんだから、どうしようもないかなって思うかな。自分の大切な人なら話聞いて一回は止めようとするだろうけど、真剣に悩んだ結果なんだったら、納得してしまうかも」
「どうして?」
「……一回痛い目見たからかな」
僕が黙っていると、彼は訥々と話し出した。
「死ぬとかじゃないけど、部活でも同じようなことあったんだよ。ずっと小学生の時から一緒にやってた友達が高校入学してすぐに大怪我して、一年半は運動できないってなってさ。俺も長い間続けてるからなんとなくわかるんだけど、大袈裟じゃなくて部活が全部なわけ。だから、そいつからしたら生きる楽しみ取られたようなものなんだよ。で、そいつがそんなにブランクできるんだったら続けてても意味ない、って言い出して。俺、その時必死になって引き留めようとしたんだよ。結局、溜まってたストレスが爆発して、そのまま喧嘩してそいつ部活も辞めちゃったんだけど、その時に理解したんだよ。俺が一緒に部活やりたいと思ってる気持ちに嘘はないし、けど、それでも怪我もしてない俺がただ続けようって言うのは、そいつにとっては負担でしかないんだって。続けたいのに一年半棒に振ることになって一番絶望してるのそいつなんだから。で、それ以降ずけずけと人の心に入り込もうと思わなくなった」
そう言って「でもまあ」と付け足す。
「ただ、そんな冷静に言ってるけど、実際命がかかってたら勢いで止めてしまうかもな、どうだろ」
「そっか」
「まあ、正解とかはわかんねぇけど」
出山の言ったことは、真っ直ぐに染み込んでくる。
「出山、ありがとうな」
「なんだよ」
僕はもう一度、大切に大切に、今までで一番心を込めてお礼を言った。




