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心の熱さを忘れたの  作者: 檜垣梁
13/22

13.梅まつり

 梅まつりは家から電車で四十五分、そしてそこからホテルが手配してくれた送迎バスで十五分ほどかかる場所で開催されていた。


 バスの中で横に座る彼女から声が聞こえてくることを覚悟していたけれど、バスには空席が結構あって、一番後ろの五席が貸し切り状態だったおかげで一つ開けて座ることができた。彼女が間の座席にトランプを置いてゲームをしようと言ってきたので、快く頷いた。


 チラシについていたチケットのおかげで送迎バスと入場料の半分が割引される。

 到着後、バスを降りて歩いていくと、大きな看板が僕たちの来場を迎えてくれた。通った途端、目に梅の鮮やかな赤色が映り込んできて思わず足を止めてしまう。


 奥に向かう坂に沿うように、道の両側に梅の木が立ち並んでいる。


 僕と彼女も含め、同じバスで来た人がみんな驚嘆の声を上げる。


 奥へと進むにつれどんどん梅の木が増えていく。


 参加者には特典として梅のジュースがついてくるので、道なりに設置されてあるテントで受け取り、それを飲みながら進んでいく。


 上の方に向かってとぐろを巻くような形で坂が進んでいくから、進むごとに違った景色が視界に入ってくる。


 少し前を歩く彼女が立ち止まり、大きく息を吸う。


「良い匂いですね」

「ね」


 ここに来て分かったことは、梅の花の一番の特徴は香りなんじゃないかということだ。


 ふわっと風が吹くたび、心地いい香りに包み込まれるような感覚になる。何か、安心感のある、それでいて爽やかな空気。


 周りの人も、風に乗って運ばれてくる儚げな香りを味わうようにゆっくりと歩いていた。


 先週のイベントでもらったチケットを使って来場している人が多いのか、参加者の多くは僕たちより上の世代がほとんどだ。だから、自然と僕たちが集団の先頭を歩くことになる。


 綾さんと並んで傾斜のきつい坂を登っていく。


 しばらく歩いて行くと、視界が急に開け、瞬間強い風が頬に当たる。


 一番上の広場に着いたらしい。広場の外周を囲うようにたくさんのベンチが並んでいて、数人が座って休憩していた。


 彼女について風を感じようと広場の端まで歩いて行く。


 息を呑む。雲ひとつない青空と、その手前に見える山、そして自分の足元から一面に梅の花の絨毯が広がっている。


 色の対比に圧倒され、周りを包む優しい景色に、一瞬にして春が訪れたみたいだった。


 風が吹くとその絨毯がふわりと漣のように揺れ動く。


 二人の口からため息が同時に漏れる。


「きもちいいー」


 彼女は、手を広げて斜面から吹き上がってくる風を気持ちよさそうに受ける。何か答えようと思い、僕は――


 言葉を出すことができなかった。


 目を奪われていた。


 色素の薄い彼女の瞳と、微笑みを表す顔の動き。


 風を感じている彼女とその奥に広がる景色。今このシーンを切り取ったら映画のワンシーンにな理想だな、と、そんな柄でもないことを思った。


 出山の言葉が頭の中で聞こえる気がした。


 ふっと彼女の表情の色が戻り、振り向く。


「なに?」

「なんでもないです」咄嗟にそう笑うと、

「ね、あそこ何か売ってるよ」


 と特に気にした様子も見せず彼女が奥にある小屋を指差す。


「行ってみよ」


 彼女の後をついていく。入ると、小さなカフェとお土産屋がくっついたような店になっていた。


 店の中が半分ずつカフェとお土産屋さんに分かれていて、カフェ側に設置されたいくつかのイス全てが先客でうまっている。休日ということもあるのだろうけど、予想以上に賑わっているらしい。


 逆側には様々なものが売っていた。


 梅のジャムから、いろんな種類のお菓子まで。コンビニでも買えそうな文房具なんかも置いてあった。


「ほら見て、可愛い」


 僕の認識としてこういうところでその場所でしか買えないお土産は少ないというイメージがあったが、意外にも豊富なお土産揃えられていた。


 梅の花をデザインにしたキーホルダーとか、アクセサリーとか。


「すごいね、いっぱいある。ちょっと見てくるね――あ、これ渡しとく」


 彼女は僕にホテルでもらったチラシを渡した後、ひとつずつ何かを探しているみたいに眺め始めた。


 並べられた商品を、ざっと見ていく。


 と、一つの商品が目につく。薄い板が梅の花の形に切り取られたしおりだ。


 手に取る。買った本に挟めるしおりをちょうど探していたのだ。


「あ! それ」


 彼女が僕の手に持ったしおりに反応する。


「裏見せて、ホテルのロゴ入ってるやつだよね」


 言われてしおりを裏返すと、確かに小さくホテルの紋様が焼き付けられている。


 その模様が似合っている。


 それを見た瞬間、買うことに決める。


「前一回同じイベント行ったって言ってたでしょ」

「ああ」


 確か、秋に。


「その時は紅葉狩りの割引券ついててさ。で、友達と一緒にそれのもみじバージョン買ったの。ホテル監修の商品って大体ロゴがでっかく載ってたりするからあまり好きじゃないんだけど、このくらいの大きさだったらむしろ可愛いよね」


 彼女は僕の思っていたことを代弁してくれる。


 彼女からの称賛も受け、購入することを決める。


「これ買ってきますね」

「はーい」


 カフェのレジとお土産を買うところが同じだから、レジ前には客の列ができてしまっている。僕は最後尾に回り込む。急に割り込まれてぶつかられると困る僕は、前の人と少しだけ距離を離して立つ。


 数分待った後、やっと僕の番が来る。


 商品をカウンターに置くと、店員のお姉さんが営業スマイルを崩さないまま顔を上げて質問してくる。


「ホテルのチラシお持ちではないですか? もし持っていらしたら、店内の商品全て一割引きになるんですが」


 そんなことまでしてくれるのか。ああ、それで。


 言われた通りに綾さんから預かっていたチラシを彼女に渡すと、五十円引きになった。


 購入を終え、綾さんの姿を探そうと思い振り返ると、彼女は僕を待っていたらしく、すぐ声をかけてきた。


「やっぱり私もこれ買う」


 手には、僕が今購入したのと同じ栞。


「あれ……」

「……前のは引越しの時に無くしちゃって。最近はずっと本屋で無料でもらえる紙の栞使ってたんだけど、ちゃんとしたやつのほうが読書の時の気分上がるし」


 そういうことか。それに、その感覚はなんとなくわかる。あとは、ちゃんとしたブックカバーを被せたり。


「ちょっと待ってて」


 それだけ言い残し彼女は列の最後尾に並ぶ。


 彼女が並んでいる間、別に他に見たいものもないので、僕は人の動きがなるべく少ない入り口付近で待つことにした。


 しばらく見ていると、彼女の番が回ってくる。彼女が持っていた商品を渡して、チラシを手渡し、その後何か店員のお姉さんに話しかけているのが見て取れた。そして、対応していたお姉さんの表情にさっき僕に見せた営業スマイルとは別の自然な笑顔が浮かぶ。


 店員さんが笑いながらレジの上に書かれてあるメニュー表を指差す。何か買うのだろうか。


 少し待って奥から出てきた店員からカップを受け取る。


 スリーブをつけた紙カップを抱えてこちらに歩いてくる綾さんは、相変わらず顔に笑みをたたえていた。


 彼女が死ぬ意思を持っていると確信したことで、彼女の行動がなにに基づいているのかがこれまで以上にわからなくなっている。


 だからこそ。


 目的を再確認する。


 彼女から何かを聞き出さなければならない。


 最初からそのつもりだ。ただ、なにを切り出せばいいのか全くわからない。


 誰かみたいに思ったことをまっすぐ言えればいいのに、と思う。こんな時に人と深く関わってこなかった自分の弱点を思い知らされる。


 だからその後、彼女がその笑顔のまま会話を踏み込んだ内容に持っていってくれたことは、少々の驚きと同時に良い機会だと思った。


 歩いてきた彼女は両手に持っていたカップのうち一つを僕に見せる。


「あげるね。レモネード飲める?」


 もちろんレモネードは好きだ。ただ、前から綾さんからは貰いっぱなしなので、申し訳なかった。


「悪いですって」


 言って財布が入った鞄の中に手を入れる。


「いいよこのくらい。あ、じゃあさ――」


 彼女はもともと用意していた言葉のようにさらっと言う。


「君のこと教えてよ」


 そして、柔らかい笑顔のまま僕のことを見据えた。


「前も言ってくれましたけど、なんでそんなこと―ー」


 言いかけて止まる。想像してみても、死を考えている人がどうして他人のことに興味を持つのかわからなかった。それとも、僕が周りの人と不必要に関わらないように過ごしてきたからわからないだけで、彼女のような性格であればそんな風に思うのだろうか。


 ――いや。


 僕は、このタイミングで彼女に乗ろうと思った。


 心の中を出せば、彼女の心のハードルも下がるかもしれない。中学の時に話しかけてくれた委員長と樺さんから学んだことだ。


「わかりました。その代わり、綾さんのことも教えてくださいね」


 彼女に乗っただけなんだから、別に変じゃないだろう。


 彼女は表情に少し驚きをにじませた。そして悪だくみの顔で手に持った紙カップを揺らす。中の液体がたぷんと音を鳴らすのが聞こえた。


「あれ、釣り合わないよ。このジュース分お釣り出ちゃう」

「だから払いますって」

 彼女が自然な笑い声をあげる。


「うそうそ。いいよ、飲んで。店員さんが一番美味しいって教えてくれたの。蜂蜜梅レモネード」

「ありがとうございます」


 綾さんに続いて僕たちは店の外に出て、並んだベンチに座って休憩することにした。ベンチの脇にも木が植わっていて、陽の光が梅の花に遮られ、肌寒い。


「相変わらず、すぐ人と仲良くなりますね」

「うん、そうしようって決めてるからね」

「そう決めて、その通りになってるのがすごいんですけど……」

「ちゃんとできてるなら良かった」


 彼女が本気で安心したようにそう言うのが、僕には意外に思えた。同時に、その言い方に引っかかる。ちゃんと「できてるなら」良かったって。なんか、母を前にしたときの僕みたいだ。


「もしかしたら、私ってすごく話しかけやすいのかも」


 そんなことを考えていたから、彼女のおどけたその言葉に微妙な相槌しか打てなかった。


「そうなのかもしれないですよね」

「いや、真面目に返さないでよ恥ずかしい。せっかく冗談言ったのに。ってか、喋りにくくない? 芳樹くん」

「――え?」


 何が?


「ほら、そうなのかもしれないですよね、って。違和感。いいよ、そんなに気にしなくて」


 彼女はなぜか早口でまくしたてる。


「そんなことないですよ。年上に敬語抜くの得意じゃないので」

「お姉さんと話すときはどうしてた?」

「それは普通ですよ流石に」

「何歳差?」

「一つ上です」


 綾さんと一緒です、という言い方はしなかった。


「私も普通でいいよ」

「ありがとうございます、けど、普通がこれです」

「そっかー」


 言う割に彼女はあっさりと引き下がる。


「ね、じゃあさ、なんで一緒についてきてくれるの?」

「それ前にも聞かれた気しますけど」

「前よりすんなり来てくれたじゃない」

「それは……」


 言葉に詰まる。死のうとしているのがわかってるから、なんて言えない。だから僕は、前言ってた柏井のことの訂正をすることにした。


「前言ってた話ですけど、僕別に誰かと楽しむのは嫌いじゃないですよ」

「うん」

「そりゃみんなとワイワイするのが大好きって感じではないですけど、それでも普通に遊びますし……ただ」

「ただ?」


 門限と、自分の気持ちも両方姉の死につながっている。僕は余計なことを考えないために、彼女の相槌にかぶせるように言った。


「僕基本的に夜七時には家に帰ってないといけないってだけで」

「えっと、それは……」


 彼女が会話を掘り下げていいのかどうか迷う雰囲気で僕の目を窺う。


 空気が重くなるのは僕も嫌なので、軽い口調を意識した。


 これを誰かに言うのは初めてだと思う。いつも、クラスメイトには母の体調が悪いから、で通していた。


「母が、すごく心配するんです。部活もバイトも終わるの六時半だから、普通に帰ったら七時には家に着くんですけど、帰るの七時過ぎちゃったら酷くて」

「でも、前一緒にご飯食べに行った時……」

「はい」

「バイトの後だったから家帰るのもっと遅くなったよね」


 彼女は少し心配そうに言う。


「あの日は先に言っておいたので大丈夫ですよ」


 まあ、ちゃんと上手くしなければいけないけど。


「そっか」

「はい」

「もしかして、それって……」

「姉が亡くなったからですね」


 多分彼女も僕に合わせてくれているのだろう。さほど大きな反応をすることなく淡々と頷きを返してくれる。


「姉が亡くなるまでは門限とか一切なくて、連絡も母から来たらそれに返すだけ、みたいな感じだったんですよ。けど、姉が飛び降りた夜は母が送った連絡に何も返事がなくて。で、そのまま死んじゃったので」


 僕は努めて明るく言う。


「それがあってから、僕の帰宅時間が遅くなることにすごい敏感になって。前部活で遅くなった時とか、電話鳴りっぱなしでしたよ」

「そっか、それで」

 彼女の頷きを見て、言い切ったはずなのに言葉が溢れた。


「あとたぶん、もう一つ大きいのは僕から誘うことがないからだと思います」

「それはどうして?」

「まだ同級生に対して苦手意識が完全には拭えなくて」


 中学の時と比べたら随分とおさまっているけど、その意識は高校に入学してからもまだ心のどこかに残っていた。


 彼女の相槌に合わせ、僕はその感情に至った経緯を説明する。普段なら絶対に言わないことを、呆れられると分かっているから心の奥の部屋に仕舞い込んでいることを何の躊躇いもなく話してしまっていた。


 彼女が、真剣でいて、僕の負担にならないように考えて頷きや相槌を使ってくれているからだろうか。


 事実、綾さんはその間、おおよそそんなことを聞いたら大抵の人がすると予想されるような表情をしなかった。つまり、そんなことを言う僕に対して、不快な顔や、幻滅した様子を見せなかった。


「――ずっと苦手なんです」


 だから言い方なんて選ぶことなく、そして自分の中にある考えを隠すことなく、安心して全てを彼女にさらけ出した。


「そっか」


 彼女は僕の話を受け止めたように、ゆっくりと呟く。


 僕がして欲しくない反応がわかっているのかもしれないと、そう思った。


 どうして、わかるのだろう、と。


 いつも、どうしてそんな風に相手の気持ちをうまく推し量ることができるんだろう、と。


 だから全てを話し終えた後、僕はそれを彼女に訊いてみることにした。


 彼女は僕の質問に、少しだけ困ったような顔をしてから口を開く。


「私もね、大切な人が死んだの」


 そのニュアンスで、おばあちゃんのことを言っているのではないんだとすぐに理解する。


「私ね、昔学校でいじめられてたの。ずっと一人ぼっちで、周りの人がみんな怖くて。そんな時にね、ずっとそばに居てくれた子がいたの」

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