川辺の工場跡
集落を少し離れた山中に、小さな川魚の加工工場がありました。近くの川で獲れた魚を加工、冷凍し、集落をはじめとする地元に出荷していました。その工場が閉鎖されたのが、二十年程前の事でした。二十年の時が過ぎ、ネットの普及も手伝って、そこはちょっとした廃墟探検スポットとなっていました、怪談話付きで。
廃墟探検好きの若者達、男女数人が、その加工工場にやって来たのは八月も半ばの事でした。そのうちの一人がツーリング好きで、たまたまその近くを通りかかり見つけたのでした。あとで調べてみると、その工場で同様に肝試しをした若者達が、どうやら心霊現象らしきものに遭遇しているらしいと判りました。詳しくは書かれていないのですが、何かを見た、とか、声を聞いた、とか、その様な曖昧な記述が散見されます。まぁ、廃墟等にありがちな怪談話といって良いでしょう。そんな話をしながら、一行は車でその工場に向かいました。
午後十時過ぎの工場はひっそりとして、周辺に灯りもなく闇の中に沈み込んでいます。ヘッドライトに浮かび上がる工場建屋は、荒れるに任せ黒ずんでいます。こぢんまりとした駐車場は鎖で囲われ、その端に一台のトラックが停められています。荷台に描かれていただろう社名等は殆ど剝げ落ち、タイヤもパンクしている様です。ボロボロになりながら、その一台だけがそこに存在しているのです。路肩に車を停めライトを消すと、各々が手にした懐中電灯を点灯させ若者達は降車しました。山の麓にあって標高もそこそこ高く、山からの風が心地よく吹き、思いのほか快適でした。主催者たる男性を先頭に、他愛もない話をしつつ一行は鎖をまたいで行きました。
まずは建物周辺から見て回ります。裏に回ってみますが、特に目に付く物はありません。ひび割れたコンクリートの床が、丸い光の中に浮かび上がります。各々が懐中電灯で周辺を照らし、間もなく表側へととって返します。建屋の表には大きなシャッターがありますが、当然下ろされています。その横にはアルミ製のドアがあり、トラックはその横に停めてありました。窓ガラスのドアノブに近い辺りが割られており、鍵は掛かっていませんでした。若者達と同類の仕業でしょうか?静かにドアを開け、懐中電灯で屋内を照らしつつ男性陣三人が静かに足を踏み入れます。ドアの前に残った女性陣三人は、トラックの横で待つ事になりました。そのうち二人は小声でお喋りを始めました。一方で男性陣は一歩ずつ暗闇の中を進んでいきます。内部はがらんとして、目を引く様な物は見あたりません。奥の方には、間仕切りで設けられた事務所らしき空間が見えます。窓ガラスの向こうには、何もなさそうです。三人はそちらの方へ歩いて行きました、と、ドアが開け放たれ女性が一人、三人に呼びかけました、一人見当たらない、と。
外で二人がお喋りしているうち、残る一人の気配がないのに気付きました。懐中電灯を周囲に巡らせますが、その姿はありませんでした。そこでひとまず男性陣に声を掛ける事にしたのでした。一行は姿の見えなくなった女性を、手分けして探しました。敷地内をくまなく探し、念のため建屋内も探しました。事務所内を探しましたが、女性の姿はありませんでした。もう戻ったのかと車に戻りましたが、そこにもその姿はありません。途方に暮れた一行は、警察に届けるかと話していましたが、女性の一人がある事に気付きました。トラックを懐中電灯で照らしていた時、荷台の前に室外機の様な機械があるのが見えました。冷凍車なのでしょう。それは錆び付き、動きそうにありません。そのトラックの荷台の両開きドアを照らすと、閉じていた閂が片方開いていたのです。皆、閂は両方とも閉じていた記憶が微かにあったので、開いている方のドアを開ける事にしました。しかし錆び付いているのか、二人がかりでもなかなか開きません。大きく軋む音がし、ゆっくり開いてゆきます。半分程開いたところで内部を照らします。すると。奥の方で倒れている人影が見つかりました。男性陣が荷台に上がり近付いてみると、姿が見えなかった女性でした。一行は意識のない彼女を運び出すと、車で近くの病院に担ぎ込んだのでした。
検査の結果、特に異常は無し、との事で一行は一安心しました。念のため入院する事になった彼女が目覚めたのは、翌日の朝でした。その日再び病院を訪れた一行が何があったのか、と問うのに、彼女はまだ朦朧とした様子で語り始めました。
女性は人付き合いが得意ではなく、その日が初対面といって良い他の女性達との会話にも加われず、トラックにもたれ黙っていました。すると、誰かが呼びかけてきたのでした。『かくれんぼしよう』と。その声を聞いた途端、彼女はかくれんぼをしなければならない、という思いに駆られました。それはまるで夢の中の、訳の判らないルールに従うかの様に。それで、とにかく隠れる場所を探そうと動き出したところまでしか、彼女は覚えていませんでした。それはネット上の噂話にも散見されたもので、彼女がそれを元に作り話をでっち上げた、という可能性も、無いとはいえないでしょう。ですが、それでも不思議な事はありました。あの荷台のドアです。あのドア以外に荷台に上がる方法はなく、男性二人でようやく開く事ができ、しかも大きな軋み音を立てたあのドアを、傍にいた二人の女性にも知られる事なく開け、中に入り込めたとはとても思えないのです。とすれば、何か超常的な現象があった、としか考えられないのでした。
主催した男性は、この一件がどうしても頭から離れず、独自に調べてみる事にしました。倒れていた女性はその後、特に異常はない様でした。二十年以上前何があったのかまずネット検索を掛け、あの工場とおぼしき物件について調査してみると。
二十数年前、一行が生まれて間もない頃の事でした。あの工場の経営者は、近くの集落から通っていました。彼には一人の、当時小学校低学年の息子がおり、工場に遊びに来る事もあったそうです。近所の同級生と隠れん坊をしたり。その日も三人程で、隠れん坊に興じていました。鬼となった息子さんは、一人は見つけましたが、二人目が見つかりませんでした。二人で探しているうち、工場内が騒がしくなりました。商品の配達先で、冷凍車の荷台から少年の凍死体が発見された、というのです。それは見つからなかった同級生でした。段ボール箱の中に隠れているうちに眠ってしまい、その間に冷凍車に乗せられ、そのまま凍死してしまったのだろう、と思われました。幾ら探しても見つからなかった訳です。これらは、古いニュースのアーカイブや、場所などはぼかしてありますが、あの工場についてだろう、その息子さんの話を伝聞調で記した個人サイト等から判明した事でした。個人サイトにはその後の顛末も含めリアリティある記述がありました。工場はその後数年操業していましたが、遺族への補償問題や企業としての信頼性の低下等から結局閉鎖するよりなかった様です。
あの冷凍車だけがなぜ残されていたのか、真相に辿り着く事は出来ませんでしたが、恐らくは処分しようとすると何か障りがあったのではないか、と主催者は考えました。それと、もし凍死した少年が彼女を呼んだのなら、何がしたかったのか?心霊現象の理由など、考えたところで無意味かも知れませんが、彼は考えずにはおられませんでした。恐らく、彼女を凍死させたかったのではないか?もちろんその機能は失われているので無理な話ではありましたが。彼は、この世には触れてはならない物があるのだ、という事を自戒とするのでした。