20.心底お前が言うな。
「その後はもう大変だったんですよ、政樹さん。ざわざわしちゃって、小島さんが戻ってくるまで全然静まらなくて」
「その話、昨日の帰りと今朝と今でもう三回目なんだけど聞かなくちゃダメなやつ?」
「いつフェードインしてもいいようにという気遣いです」
「それいつもやってんの?」
「はい。日常です」
「お前の努力って何かもっと有益な方向に向けばすごく良い結果を生むんじゃないかと思うんだ」
PTA総会の翌日、放課後。
もはや岡田がいるのが日常となってしまった俺の教室で、岡田は耳にタコが出来るほど聞かされた話を繰り広げる。
「いや、しかし明さんの行動にはびっくりしましたよ。途中、何で母親になったのかとかいろいろと釈然としなかったですけど。母は強しと言いますか、やっぱりお母さんですねぇ」
「…………」
「でも、おかしいんですよ」
「…………」
「政樹さん、黙々と帰りの準備しないでください。『何がだよ』って聞いてください」
岡田がぐいぐいと腕を引っ張って邪魔をしてきた。
3回目なので、聞くまでもなくこのあと岡田が何を言うか知っている。
あと何回この茶番に付き合わされるのだろうか。それを思うと自然とため息が漏れた。
「……はぁ……何がだよ」
「小島さん、戻ってきた後全然明さんに怒らなかったんですよね。政樹さんは見てなかったでしょうけど、明さんにビンタされてたんですよ? その上政樹さんには皆の前で息子の恥を晒されて、しかも息子のピンチをスルーされてたなんて。普通怒り心頭でしょう?」
「だから、息子のピンチに意気消沈してたんじゃないのかって言ったろ?」
「何回も言ってるだろ感出さないでもらえますか、繋がらなくなるんで」
「何がだよ」
「今じゃありませんよ!」
妨害にめげず帰り支度を済ませ、俺はかばんを持って立ち上がる。
「高橋」
その時だった。
声をかけられて顔を上げると、机の向かいにクラスメイトの小島がいた。
いや、小島がいること自体は全くおかしなことではない。
おかしかったのは、小島の風体だ。
頭には包帯がぐるぐる巻き、頬にはでかい絆創膏。腕を三角巾で吊っていて、松葉杖をついている。いわば満身創痍だ。
そんな風体で、小島は立っていたのだ。
今日一日同じ教室で過ごしていたはずなのに、小島の異変には気づかなかった。
いや確かに特に仲も良くないが、こうも気づかないものだろうか。思わず呆然としてしまう。
「政樹さん」
「何だよ」
「どうやら助けを呼ぶのが遅かったようです」
「俺のせいかよ」
「ち、違うんだ」
岡田と俺が顔を見合わせたところで、小島が声を上げる。
よかった、否定してくれて。あまりの惨状に罪悪感が過ぎったところだった。
ずれた眼鏡のブリッジを直しながら、小島は続ける。
「高橋が母さんに知らせてくれたおかげで、僕は助かったんだ」
「とても助かっているとは思えませんが」
「これは、ママに」
「お母様に!?」
「うん」
小島は頬の絆創膏に手をやりながら、笑う。
「お金取られそうになってるとこに、いきなりママがやってきて。いきなりぶん殴られて。僕ぶっ飛んじゃってさ。もうマウントポジションでタコ殴りだよ」
「ひどいことをする人もいたものですね……」
お前が言うな。
心底お前が言うな。
ついこの間、ほぼ初対面の人間にそのひどいことしたのはどこの誰だ。
という言葉を、小島の手前なんとか飲み込んだ。
「大丈夫なのか、その」
「ああ、うん。僕にたかってた人達、ママの剣幕にドン引きしちゃったみたいで。あれから僕のこと見ると逃げてくんだ」
「それはよかったのか?」
「今まで、誰かに言いたくても、仕返しが怖くて言えなかったけど。でもこれで、その心配もなくなったんだ」
「そうか、それならまぁ、よかったな」
「うん」
会話を切り上げて帰ろうとする俺だが、その行動を開始する前に、小島は頭を下げた。
「本当にありがとう。高橋のおかげだよ」
「いや、俺は何もしてないよ」
「え? ……でもママが」
「ほら、帰るぞ岡田」
「え? ちょっと、逃げないで下さいよ」
かばんを持って立ち去ろうとする俺の腕を、岡田が有り得ないほど強い力で引っ張った。
何この力、怖い。
「ママが、高橋によくお礼言っとけって」
「ふむ」
「それで、出来ることなら高橋に仲良くしてもらえって」
「政樹さん、友情エンドのフラグが……って何そんな『THE面倒くさい』みたいな顔してるんですか」
「だって……なぁ」
そもそも大したことしてないのに感謝されても、困るだけだ。
ていうかその「よくお礼を」って、「(次に放置したらお前もタコ殴りにするから)よろしく言っておけ」という含みを持ったやつじゃないのか。
俺は今度こそかばんを手に、教室の出口を目指す。
「ほら、行くぞ岡田。じゃあ小島、……また明日な」
「……うんっ」
「おおお、友情イベント! しかし政樹さん、それよりもまず肝心の恋愛イベントのほうをですね、……って待ってくださいよぅ!!」
廊下を歩いているところに追いついてきた岡田は、いつものようにぐるぐるしながら首を傾げた。
「そういえば政樹さん、変だと思いませんか?」
「ん?」
「小島さんのお母さん、息子を殴るようなタイプにはとても見えなかったんですよね。どちらかというと溺愛してそうというか、小島さんもマザコンぽいですし」
「ああ、まぁ、そう言われりゃそんな気もするな」
「なのにあんなに怪我するまで殴るなんて、想像つかないですよ」
「小島が貧弱なんじゃないのか?」
「それもあるかもしれないですけど。……それで私考えたんです」
岡田が不必要に神妙な顔をして、声を低くした。
「明さんが小島さんの奥さんを殴った瞬間に、明さんの手から闘魂が注入されてですね」
「人の母親に変な特殊能力つけようとするな」
それからも繰り広げられる岡田の妄想をBGMに、俺は下校の途につく。
「そういえば、あの子一体誰なんだろう」
教室から顔を出し、そんな俺達を見ていた小島の呟きが、かすかに聞こえた気がした。




