1.現実なんだから当然だろ
「ごめんなさい……もしかしてピンチになったら政樹さんの秘められた力が覚醒するんじゃないかと思って……悪気はなかったんです、すみません」
濡らしたハンカチで切れた俺の口元を拭ってくれながら、彼女はしょぼんとしょげ返る。
悪気がないのにフルボッコにされて血まで出したとなると、かえって納得がいかないのは何故だろうか。
悪気があったほうがマシな気がする。
「もしかしたら世界的なものの平和的な何かしらを守ったり守らなかったりする秘められた能力的な何かがある系の主人公っぽい雰囲気のキャラかと思ったものですから……」
「どんだけ漠然とした理由で傷害事件起こしてるのお前」
やはり危険人物である。
こちらにつむじを向けながらうなだれるその危険人物と出来れば係わり合いになりたくなくて、俺は言う。
「まぁ、ほら、初犯だし。反省してるみたいだから、今日のところは何もなかったことにしておくからさ。でも次にこんなことしたら、学校なり警察なり、必要な機関に訴えるからね」
「私は」
てっきり謝罪の言葉を聞けると思っていた俺に、彼女は何故か滔々と語りだした。
「高校生活への期待に胸を膨らませて、ここへ来ました」
「…………」
「ちなみにEカップです」
「…………」
「嘘です、Cカップです」
聞いてない。
俺はお前が何カップだろうが全く興味がない。仮にIカップだと言われても興味はない。
興味ゼロの顔を見ようともせず、話は続く。
どこか自分に酔ったようなその様子は、俺ではなく自分自身と話しているような有様だ。
「幼なじみと運命の再会をする入学式、スカウトされてマネージャーになる部活、抜け出して二人で花火をする合宿、影で悪の組織と戦う委員会、フォークダンスで指を繋ぐ体育祭、露店を開き他校のヤンキーを成敗する文化祭、ずっと好きだったと告白される卒業式。他にも、いろいろ」
「…………」
「私の希望は、入学式開始十分で見事に打ち砕かれました」
「そりゃそうだ」
また泣き出しそうになりながら、彼女はぽつりぽつりと言葉を落とす。
俺にはもうどうすることも出来ず、一つ一つにただ返事をする。
「入学式には幼なじみどころか友達が一人もいませんでした」
「それはお前に友達がいないだけじゃなくてか」
逆にいなくてよかったとさえ思う。
こいつの友達をやれるのであれば、そいつもきっと同類だろう。学校に何人もいてたまるか、こんな後輩女子。
「学校紹介ビデオによれば、部活にマネージャーをあてがうという制度すらありません」
「スポーツそんなに強くない公立なんてどこもこんなもんだろ」
「部活に合宿もありません」
「スポーツそんなに強くない公立なんてどこもこんなもんだろ」
我が高校の部活動を思い浮かべる。
毎年地区予選敗退の野球部を筆頭に、バレー、バスケ、テニス、どれもぱっとしない。
唯一ダンス部だけは、数年に一度県大会まで進んでいる実績があるが……ダンス部の女子、怖いんだよなぁ。
目の前の後輩女子とは気質が合わないだろうことは容易に想像できた。
「影で生徒会と戦う悪の組織もありません」
「悪の組織って、何。主に何をする営利団体なの」
営利を求めるのならば、こんな田舎の公立学校などではなくもっと合理的に稼げそうなところを狙ったほうがよいと思う。
うまみがなさ過ぎる。非営利団体なのだろうか。
非営利の悪の組織って何だ。
「体育祭春だし」
「秋だと文化祭と被るだろ」
「体育大会とかいう名前だし」
「祭じゃないんだろうな」
「フォークダンスないし」
「今時やってるとこのが少ないだろ」
逆にやりたいか? フォークダンス。
俺はやりたくないけどな。思春期だし。
「文化祭露店ないし」
「公立高校の文化祭には、普通ない」
「文化発表会とかいう名前だし」
「祭じゃないんだろうな」
「そもそも午後だけで一日使ってやらないし」
「秋は受験近いからな」
言っていて、受験のことを思い出した。
推薦枠がもらえることが確定しているとはいえ、極端に成績が落ちるようでは白紙になる可能性だってある。
もう中間テストも近いのだし、こんな後輩に関わっていないで、そろそろ勉強をしておかなくては。
「そのくせ何故かマラソン大会は律儀にやるし」
「律儀にやってもお気に召さないのか」
「卒業式は原則下級生立入禁止だし」
「学校休めるからいいじゃないか」
「全然思ってたのと違います!」
ぶんぶんと派手に頭を振る。そんなに振ったら頭が取れるんじゃないか。
もしくは脳みそがカラコロ言うんじゃないか。
「私が漫画やドラマや小説で見たのと、全然違います!!」
「現実なんだから当然だろ」
「私は絶望しました! そして、憤りました!!」
「つまらないことで憤るな」
「しかし私は希望を捨てませんでした!!」
「絶望どこいった?」
「まだだ、まだ戦える」
「誰の真似、それ」
「たかがメインイベントをやられただけだ!!」
「だから誰の真似だよ、それ」
また漫画か何かの台詞を言いながら、彼女は「キッ!!」と俺を睨む。
「私の希望は、あなたでした、政樹さん」
「え、俺?」
「正確には、生徒会長でした」
しばらく視線も鋭く俺をねめつけていたが、やがて心底呆れ果てたようにため息をつく。
「こんなにつまらない学校でも、きっと生徒会長は素晴らしい人で……この学校を根底から改革して、魔法学校にでもしてくれるんじゃないかと思ってたのに……」
「お前生徒会長にどんだけ過度の期待してるんだよ」
「私の期待は裏切られました」
「期待が過度なんだよ」
「箱を開けてみれば、生徒会長はあなたのような平々凡々取り立てて取り柄もないただのモブキャラ……あなたに私の絶望がわかりますか!?」
「お前が相当ひどいことを言ってるってのは分かる」
つられて出たため息と共に俺は肩を落とす。
現実と空想をごっちゃにするのは勝手だが、それに巻き込まれる方はたまったものではない。
「だから私は、生徒会長に立候補しようとしました!!」
「豪気だな」
「しかし……先生が……『イヤァしかしねぇチミィ。生徒会長選挙はこの前終わったばかりだしねぇ。それに一年生のうちから生徒会長というのは前例もないことだし。まぁ、そういうことだから、今回は諦めなさい、イヒヒ』と……」
「うちの高校にそんな胡散臭い教師はいない」
私怨による勝手な脚色が多分に含まれていた。
「こんな横暴があっていいのでしょうか!!」
「いや、横暴っていうか」
「いいえ、よくありません!!」
「反語法!?」
「故に私は、あなたを認めるわけにはいかないのです!!」




