15.時代は妹です、政樹さん
「時代は妹です、政樹さん」
「…………」
「政樹さんにお姉さんしかいないことはわかっています、しかし親戚でも近所の子でも、政樹さんを『お兄ちゃん』と呼ぶならばそれすなわち妹キャ」
俺が普段家を出る時間より三十分ほど早くに現れ、ご近所迷惑なことにインターホンを連打した挙げ句、それに耐え兼ねて寝ぼけ眼で歯ブラシをくわえてドアを開けた俺への第一声がこれだった。
ドアを閉めた。
「何故閉めるんです!」
開けやがった。
せっかくなかったことにしようとしたのに、俺の朝の平穏な時間をどうしてくれるんだ。
「あっしかもチェーンかけましたね!? 何てひどい人でしょう! 心が痛みませんか!?」
「お前が、言うな」
俺は歯磨きを続行しながら、ドアのチェーンをがっちゃがっちゃと揺らす岡田に向き直る。
「何で今日こんなに早いんだよ、いつもより三十分も早いぞ」
「私、今日日直なので」
「お前の都合じゃないか!」
どこまでも自由なやつだった。
自由なのは勝手だが、頼むからそれに俺を巻き込まないでくれ。
とはいえ、いつまでもドアに攻撃を繰り返されて壊されてもつまらないことになる。
「……急いで用意するから、大人しく待ってろ」
「はいっ!!」
ぺかっと笑った岡田にため息をつき、俺は家の中に引っ込んだ。
さっさとうがいをし、寝癖を直す。
制服を着て、かばんの中身を確認して身支度を整えた。
「あれ? もう行くの?」
「うん、なんかうるさいの来ちゃったから」
「あの子、ここのところ毎日来てるよねー……彼女?」
「やめて。マジでやめて」
変ににやつく母親に、すっぱり言い切ってから、俺はかばんを肩にかけて玄関に向かう。
「いってきます」
そう言って、振り返りもせずドアを開けた。
「さあっさあさあ政樹さん! さくっとしゃきっと私たちの舞台にまいりましょう!! 学校が急展開を携えてお待ちかねですよ!!」
「いつも通りだろ、絶対」
朝っぱらからテンションの高い岡田にうんざりし、後ろ手に門を閉め、歩き出した。
その時。
「待って、政樹お兄ちゃん!!」
背後から、呼び止められた。
振り向くと、家から明がまろび出て来たところだ。
ついつい咄嗟に、最近癖になってきている岡田仕込みの人物観察をしてしまう。
近所の公立高校指定のセーラー服(夏服)に、ピンクのエプロン。白のハイソックスに、今はつっかけ。
肩より少し長いくらいの黒髪は、シュシュでポニーテールにまとめている。
俺より一つ年下で、目が大きくてくりくりしているからか小動物っぽく、いつまでたっても子供っぽい。
「どうしたんだよ」
「お弁当、忘れたよ!」
「あ、ああ。悪い、サンキュ」
明が差し出した巾着を掴み、かばんの中に傾かないようそっと入れる。
「じゃ、いってきます」
「はい、いってらっしゃい」
「へ、ヘェイ、ミスターマサキー?」
今度こそ出発しようとすると、日本人が聞いてもわかるほど日本人らしい発音のつたない英語で話し掛けられた。
もうその言動の意味とかが、まったく不明だった。
「どうした、岡田。日直なんだろ、さっさと行くぞ」
「フーイズズィズ?」
「あれ。お前知らなかったのか? こいつは……」
「シーイズユアシスター!?」
「違う」
「ンーフーン!? ダ、ダッテ、イマコノヒト『マサキオニイチャン』ッテ!!」
「日本語になってるぞ」
俺は頭をかきながら、きいきい吠える岡田に向き直る。
今一人暮らしで家にいない姉のことまで調べているくせに、何故1番近しい人物について知らないのか。
「こいつは、高橋明」
俺は、門の中でこちらの様子を眺めている明を親指で示す。
「俺の母親だよ」
「ハ、ハ……オ……ヤ……?」
「なんで生まれてこの方聞いたことない単語聞いたみたいな反応なんだ」
「ハハ……母……ハハ、はは、ハハハハハハハ!!」
「お、お兄ちゃん、この人何か怖い!?」
「見ちゃいけません」
「息子をお兄ちゃんと呼ぶ母親がどこにいるのです!!」
「ここ」
「なあ」と俺が明を振り返ると、明は「ねえ」と頷いた。
「な、何がどうなって、そ、そのようなプレイに及」
「プレイ言うな」
岡田の頭をぺちんと叩き、首根っこを捕まえて歩き出す。
「話すと長くなるから。ほら、日直なんだろ。遅れるぞ」
「もう、日直なんか、知るかー!!」
「お前、人を急かして準備させておいてそんなこと言うの!?」
暴れる岡田を引きずりながら、俺は登校を開始する。
こいつが学校に遅れようが知ったことではないが、うちの学校では日直は二人組で仕事を行うため、こいつが遅れるともう一人の日直の方に多大な迷惑がかかる。
例えば、黒板を一人で消さなくてはならなくなったり、日直日誌を一人で書かなくてはならなかったり……
……まぁ、たいしたことじゃないのは事実だが。
ともかく、急いで準備した努力が水の泡になるのも癪なので、俺は学校への往路を急ぐことにした。
後に一人残された明の呟きが、微かに聞こえる。
「えと……その子、誰?」




