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12.自信過剰で高飛車で高圧的な、素顔の自分

 ジュースを配る高橋政樹から少し離れた所で、岡田にこはぺたんと地べたに座りこんだ。


 政樹から渡されたキャンペーン用の日傘を片手に、自分のノルマをなんとか配り終えてやっとこさ一息着いているのである。

 そこへ。


「お疲れ様ですわ」

「ひゃいんっ!?」


 冷えた試供品のジュースが、彼女の頬に押し当てられた。


「あ、わ。西條さん。ありがとうございます」

「こちらこそ」


 西條百合子は、自分も缶を開けながら、隣に立つ。

 しばらく缶を見つめていた岡田は、意を決して口を開いた。


「あの」

「驚いたでしょう?」

「へあっ!?」

「いきなり、手伝わされて」

「あ、……は、はい……まぁ」

「わたくしも驚きましたのよ」


 百合子は岡田を見下ろしながら、苦笑する。


「いきなり、手伝われて」

「え?」

「去年の夏ですわ。その時もわたくしはこうして、バイトをしていました。そこに、高橋さんが通り掛かりましたの」


 彼女は、政樹に視線を移す。一人ノルマを消化し切れない政樹は、まだ試供品を抱えて右往左往していた。

 汗だくで、真面目に。

 何一つ、自分の利益になりはしないのに。


「いきなり、名前を呼ばれて。振り向いて。彼がいて。頭が真っ白になりましたわ。生徒会長であるわたくしが、校則を破ってバイトをしているなんて知られてしまって。どうしようって、それで呆然となってしまって」


 その時のことを思い出したのか、百合子は自然と微笑んだ。

 視線の先にいるのは、自分を振った相手。


「それではっと気が付いたら、高橋さんはわたくしの隣で、ティッシュを配っていたのですわ。何も、言わずに。そして自分の分を配り終えると、また何も言わずに帰って行ってしまわれました」

「な、なな、な……!!」


 ぽろりと傘を取り落とし、岡田は立ち上がった。

 傘がアスファルトにぶつかって、ばいんと小さく跳ねる。


「なんですかそのカッコイイ人は!! 本当に政樹さんですか!?」

「カッコイイでしょう?でも、この話には続きというか、オチがあるのですわ」

「オチ?」


 首を傾げる岡田に、百合子は頷いた。


「次の日、わたくしは学校で彼に声をかけました。『どうして手伝ってくださいましたの?』と。また、『どうして何もお聞きになりませんの?』と」

「まぁ、気になりますよね」

「そうしたら、彼はこう答えたのですわ。『先輩が言ったからじゃないですか』」

「え?」

「どうやらわたくしは焦りのあまり、自分でもわからないうちに、妙なことを口走ったようなのです。『あなた、ぼうっと見ている暇があるなら、さっさと黙って手伝って下さいまし』と」


 くすくすと口許を押さえて笑い、百合子は政樹の口調を真似て、言う。


「心底迷惑そうに、『先輩にそんな風に言われて、手伝わずに帰ったら角が立つだろうし。俺、平々凡々な学校生活送りたいんで、厄介事とは無縁でいたいんすよ』とかなんとかおっしゃって。わたくし、それを聞いて、もう」

「それは幻滅しますね!!」


 呆然と話を聞いていた岡田が突如大声を上げ、うんうんと激しく頷いた。

 こぶしを握りしめ、いつもの調子を取り戻して熱弁をふるう。


「なんてことでしょう! せっかく格好よく助けたと思えば、所詮は自己保身ですか! しかも照れ隠しですらなく迷惑と! なのに言われるまま従うとかどれだけ権力に弱いんですか! もう、百年の恋も冷めますね! 幻滅です! 軽蔑で」

「わたくし、それを聞いて、もう、感激いたしましたわ!!」

「す………………は?」


 岡田は一時停止した。

 そしてギギギと音がしそうなぎこちない動作で、百合子に向き直る。


「だって、わたくしの言い付けに、文句一つ言わずに従いましたのよ? 普通従いますか、たまたま会った、一つ年上なだけの女の戯れ事に! わたくし、もうっ」


 百合子は自分の身体をぎゅうっと抱きしめ、くねくねと身悶えした。

 岡田は呆然とした様子でそれを眺めることしかできない。


 露出度の高い服装で外国人モデルもかくやという彼女がそんなことをするものだから、すっかり道行く人々の注目の的である。


「その、瞬間でしたわ」


 興奮して荒くなった息を落ち着けるように、彼女は一つ、大きな息を吐き出した。


「わたくしが、恋に落ちたのは」

「こ……恋ですか……」

「ええ」


 彼女は、朗らかに微笑んだ。


「初めてでしたのよ。素の私を受け入れてくださったのは。だから私は、彼の前では素直な、ただの自信過剰で高飛車で高圧的で、見栄っ張りな、普通の女の子で……素顔の自分で居られますの。前生徒会長でも、バイトに励む苦学生でも、皆の憧れでも、カリスマでもない。他の誰でもない、自分自身でいられる。好きな人には尽くしてしまう、素直で分かりやすい女の子でいられるのですわ」

「自信過剰で高圧的なのにですか!?」

「ええ、わたくしにとっては普通です」


 自信過剰に、堂々と、西條百合子は胸を張る。大きな胸をさらに強調するような姿勢だった。


「ですからわたくし、あなたみたいなぽっと出の後輩なんかには負けなくてよ。自分で言うのもなんですけれど、わたくし彼には勿体ないくらいの外見を持っていると自覚しています。他の誰にも負けないくらい、恋しているのです。まだ信じてもらえていないようですけれど、わたくしはわたくしのプライドにかけて、彼とともにありたいのです。だって、わたくしほど彼と相性がいい主人なんて他にいないでしょう? わたくしが主で、彼が従。それってとっても素敵で、お似合いだと思いませんこと?」


 しばらくその笑顔を眺めていた岡田にこは、数回瞬きをして、そして少し表情を険しくすると、疑問を口にした。


「あなたは本当に、政樹さんが好きなんですか?」

「ええ、今お話しした通り、わたくしは彼にぞっこんですのよ。でも、どうして?」

「……だって、あなたの話を聞いていると」


 岡田は、改めて、百合子を上から下まで眺める。

 切れ長の目、ツンと通った鼻、麦藁色のつややかでウェーブした長い髪。

 大きく膨らんだ胸元、ぐぐっとくびれたウエスト、しっかりと張りのあるヒップ、すらりと長く伸びた足。

 それこそ、リアリティのない存在。


 そしてそれと同じくらい目につくのが、彼女が自分自身に対して抱いている自信だった。

 愛に満ちた赤い唇に刻まれた笑み。

 弾力を持ち弾む髪のような希望。

 大きく期待に膨らんだ胸。

 一気に未来へと進むために長い脚。


 そのすべてが、彼女の自信を体現している。

 しかし岡田からしてみれば、その自分自身に対する信頼は、恋愛とは遠く離れた「何か」であるように感じられた。


「あなたは、政樹さんのことが好きな自分が、好きみたいに聞こえます」


 岡田の視線を瞼で受け止めていた百合子は、細く目を開き、答えた。


「……ええ。その通りですわ」

「その通りって……」

「わたくしは高橋さんが好き。それは、高橋さんのことを好きな自分が好きだからです。高橋さんとお話している時のわたくしが好き。高橋さんについつい尽くしてしまうわたくしが好き。高橋さんと会うと胸が高鳴るわたくしが好きなのです」


 艶やかに笑う百合子。その笑顔に圧倒されないように、岡田はぐっと足を踏ん張り、問いを重ねる。


「それって、恋ですか? 本当に、恋してるって、言えるんですか?」

「言えますとも」


 彼女は、鷹揚に頷いて見せる。その所作はどこまでも優雅で。

 計算しつくされた美しさだった。


「あなた、考えてもみて下さいまし。恋している自分が嫌いなら、そんなものやめてしまいたくなりませんこと? 自分が嫌いな自分を『好きになってください』なんて、図々しいと思いませんこと? 私が嫌いな自分を、いったい誰が好きになってくれると言うのですか? どうせ好きになってもらうなら、自分も好きだと思える自分を好きになってほしくはないのですか? わたくしは、高橋さんを好きな自分のことを好きになれた。だから自信を持って、この高橋さんに恋するわたくしを、好きになって下さいと言えるのですわ」

「そんな一方的なことあります!?」

「あら」


 ふふっと、口元に指を添え、百合子は微笑んだ。


「恋は、したごころ。愛は一人ではできませんけれど、恋は一人で勝手にするものですのよ」

「……………」


 言い負かされたように、岡田はしばらく黙りこむ。

 そしてため息交じりに首を横に振って、話題を変えた。


「なぜ……西條さんは、バイトをなさっているんですか?」


 百合子は、岡田の問いには答えなかった。

 その代わりに笑顔のままで、言う。


「岡田さん、わたくしの家に、おいでになりますか?」


 そう言い置いて、百合子は歩き出した。

 その行く先を見ると、やっとノルマを達成した政樹が、こちらに向かって歩いて来るところだった。


 しばらく立ち尽くしていた岡田だったが、一瞬振り向いた百合子の視線を受けてはっと我に返り、傘を拾って二人の元へと駆け出した。


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