五話 方千
「……なるほどの」
ほんの少しの沈黙のあと、方千が口を開いた。
「暦縁が華梁にお前を預けた理由が分かった気がするな」
「……え?」
「憂と言ったか。」
「……ああ」
「しばらくの間、華梁の仕事の手伝ってみてはどうだ?」
「――……仕事?」
「そうだ。のう、かまわんな華梁?」
方千――仙人じいさんが、華梁の方に振り返って言う。
「……まぁ仙人じいさんがそう言うなら―― ……丁度人手もほしかった所だからな」
「よし、決まりだ」
そう言うと方千はよいしょと、声を出し立ち上がった。
「さて、わしは帰るとするかの。
……それから、わしのことは仙人じいさんでよいぞ」
縁側から中庭の方へと歩き出した。
ちら、と振り向く
「……お前さんの心は読みやすいの、もっと素直になればよいのに、のぉ「僕」?」
ふぉ
ふぉ
ふぉ
方千は高笑いした。
「後は頼んだぞ華梁、わざわざ呼び立てて、すまなかったな
……後のすべきことは、分かっておるだろう?」
……ああ、と、面倒くさそうに、華梁はつぶやいた。
そのとき、強いつむじ風が吹いた。
思わず顔をそらす。
風が止み、もう一度向き直ると、方千の姿は無かった。
「……何者なのだ、あの人は?」
「……俺も詳しくはないがね、昔仙術を極めたって聞いているが、まぁ、謎のじいさんだよ。」
「……人の心が見えるのか?」
「まさか、そりゃ無理だ。いくら見えたところで人の心なんか確かめようが無いからな。確証がないものは単なる想像でしかない。
……まぁ、読心術の一種だよ、じいさんがやってるのは。確かに、じいさんのは多少神がかっているけどな」
読心術、か。
でも確かにあの人は、
僕のことを「僕」と言った。
僕が自分のことを「俺」と言っているのは強がりだ。単なる見栄、外側だけは強く見せよう
としているだけのことだ。
それを、華梁の言う「読心術」で読んだと言うのか。
それは……いくら何でも、不可能だろう。
僕は読心術というものはどう言うものかは分からないけれど、そこまで読めるのであればそれはもう、人の心が見えているのと一緒ではないか。
方千……仙人じいさんか。
暦縁さんとどういう関係の人なのだろうか……
僕が呆然と、方千の消えた後の庭を眺めていると、
とんとん、と、かすかに肩をたたかれた。
振り返って見ると、折りたたまれた藍色の衣を持った涼美が、静かに立っていた。
そして、くい、と押しつけるように、その衣を僕に手渡す。
「――とりあえず、それに着替えろ、憂。……いつまでも血まみれの衣を着ている訳にもいかないだろう」
縁側に座りながら、華梁がそう言った。
その言葉で、――僕は、初めて自分の姿に気が付いた。
僕の着ていた衣は――もう、元の色が分からぬほど、血の朱色に染まっていた。
「……すまない」
わざと、そんな大人びた口調で言って――僕は衣に袖を通した。
そういえば――初めて暦縁さんに合ったときも、同じように、着替えの衣を持ってきてくれたな……と、そんなことを考えながら――僕は帯びひもを縛る。
僕が着替え終わると同事に、
「さてと、もうそろそろ良いだろう」
そう言って、華梁が立ち上がった。
そして――
ぐい、と僕の右腕を、力強く引っ張る。
「さて、客人にも会ったし、戻るぞ、憂」
強く、そう言った。
「戻るって、何処へ?」
「何処って、決まっているだろう?」
「お前が人殺しをした場所に戻るんだよ」
華梁は、有無を言わさぬ口調で言いはなった
「……は?」
僕の言葉を待たずに、華梁は僕の手を無理矢理引いて――
再び森の方へと歩き出した。