説破
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
智慧よ、智慧よ、完全なる智慧よ、完成された完全なる智慧よ、悟りよ、幸あれ
暗く、狭い洞穴の中で、獣とも人ともつかぬ「もの」が嗤っている。
かか、かかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかぁ・・・
嗤い声とも獣の慟哭とも分からぬものが、くらい洞穴の中にこだまする。
嗤い声も枯れ果てた。
まだ・・・考える事が出来ることが不思議なくらいだ。
もう、とっくに僕の頭はおかしくなっていても不思議ではないのに。
―――僕は、生きているのか。
――死んで、いるのか
死?
死とは――
僕の目の前にある「それ」のことか?
死ねば、僕の目の前にある「それ」のようになる。
もう・・・親だとは思えない。
爛れ、腐り、骨になり、その骨すらも鼠にかじられ、死体とも呼べぬ姿となっている。
これは、人なのか?
人が、これなのか?
そもそも
人とは、何だ?
死とは、何だ?
もしも人がこれならば、どこまでが人だったのだ?
粉々になった今でも、これは僕の親なのか?
いったい、どれが、ひとで、どれが、おやで、どれが、ほねで、どれが、ぼくで、どれが、ねずみで、どれが、ぼくで、どれが、やみなのだ。
いったい、どこまでが、僕の親だったノだらう?
爛れたとき
腐ったとき
それは、僕の親だったか?
骨になったとき
砕かれたとき
それは、人だったか?
少なくとも、
何も知らない者が、「それ」を見たとき、間違いなく人だとは判断しないだろう。
ならば
どこで
何で
僕らはそれを人と判断し
親と判断していたのだろうか。
わからない
わからない
ワカラナイ
ワカラナイ
ワカラナイ
ワカラナイ
ワカラ・・・・・・ナイ
かかかかっかかっかかっっかかかかっっかっっかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかっかかかっかかかカカカカッカカ・・・・・・
いつもここで・・・・・・何もかも分からなくなる。
分からなくなり、何もかもどうでもよくなると、自嘲ともともつかぬ、胸が締め付けられるようなどうしようもない嗤いが体の内側からこみ上げてくる。
僕はもう、狂ってしまったノかもしれない
そのとき、
ざり、と人の足音のような物音が聞こえた。
人の、気配がする。
聞き慣れぬ、足音だ
――あいつじゃない。
この足音は・・・・・・僕をここに閉じ込めたあいつのものではない。
あいつであれば、足音で分かる。
ここに閉じ込められてから、耳に入る音と言えば、鼠が骨をかじる音と、あいつの足音だけである。
その足音を聞き間違えるはずもない。
ならば
なんだ
なんだ
だれ、だ
もう、頭を持ち上げ、相手を見ることも出来ない。
ざりり、と、足音の主は僕の前に止まった。
「―――を問おう」
足音の主が、何かを言った。
・・・・・・まだ幼さの残る、女の・・・声だ。
よく、聞こえない。
問う・・・
何を?
「――汝の願いを問おう」
願い事?
願いごと?
今更・・・
こんな僕に今更、何を願えと云うのだ?
お前は・・・・・・誰だ?
「汝の願いを、一つだけ叶えよう」
「・・・・・・なぜ」
「それが、私の役目だからだ」
ぼう、とする。
何も、考えられない。
願いごと・・・・・
ねがい、ごと?
僕の、願いは、何だ――
今更この洞穴を抜け出ようとは思わぬ
抜け出ても、つまらぬ現実を突きつけられるだけだ
もうこのまま朽ち果ててゆくのが僕の望みだ
・・・・・・・・・ただ、
唯一・・・・・・心残りと云えば
狐
僕を
僕を
僕をこのような目に遭わせたあの狐を
×××××
「私には、お前の願いを叶える力がある」
おまえは
お前は
「――お前は、誰だ?」
「わたしは」
荒涼神だ
声の主は短くそう答えた。
荒涼神?
神?
神か。
ようやく
ようやく
ようやく
神が、現れた。
どれだけ祈ったことか
どれだけ願ったことか
どれだけ拝したことか
「神よ」
僕はすがりつくようにして、神に願いを乞うた。
「力を」
あの、
あの、狐を殺す
「力を、くれ」
声の主はゆっくりと僕の顔を、小さな手で覆った
一瞬だけ、その声の主の顔が見えた。
まだ幼く、あどけなさが残る。
―――人形のような、娘だった。