第十三話 是非始因己 唯覚一場痴
「是非始因己 道固不若斯 以棹極海底 唯覚一場痴」
是非善悪を始めから己が勝手に決めているが、もちろん仏道はこんなものではない、自らの見解で真理を極めようとするのは、まるでその場限りの愚かな行為である。
大愚良寛 (漢詩の一部を抜粋)
何ぞ必ずしも更に是を分かち非を分かち、得を弁じ失を弁ぜん。
「碧巌録」
「いつまで、そこに立っているつもりだ? さっさと入ってこんか」
方千がそう言うと、がらがらと立て付けの悪い戸が開いた。
――そこには、神妙な顔をした華梁が立っteita
「……華梁」
「盗み聞きとは趣味が悪くなったのう、華梁」
「別にそんなことをしたつもりは無い。
大体、じいさんなら俺が入っていることなんかお見通しだろう?
入り口に張ってあった結界……
あれは、侵入者を見破るための結界だ。
わからないとでも思ったのか?」
「ふん」
「むしろ、人が悪いのはじいさんだろう? 俺がいることに気づいていながら憂には何のそぶりも見せなかったんだからなぁ」
「その必要もないからの」
そう言って、華梁は僕の方へ顔を向けた。
「よお」
「……いつからいたんだ、華梁」
「初めからだよ」
「はじめから?」
――初めから、ここに立っていたのか?
ならば、華梁は……
方千の話をすべて聞いていたということになる。
当然、僕が荒涼神だと言うことも……
「……華梁、俺は」
「そんなことはとうに感づいていたさ」
僕の口をふさぐようにして、華梁がそう言った。
「お前が荒涼神であろうが、何であろうが、俺は態度を変える必要がないだろう。
荒涼神だから幸せになれないことはない。
――それに、お前は人であろうときめたんだろ?」
こくりとうなずく。
「ならば、何の問題もない。荒涼神だから悪だとか、人だから良いだとか……
そんなものは所詮、お前が作り出した勝手な思いでしかない。お前はお前で、ただそこに有るだけだ」
「……」
「そこに善悪の区別をつけて、自分で勝手に苦しむな。苦しむだけ無駄だ。自分で自分の首を絞めてどうする」
はっきりと、何の迷いもないように……けろりとした顔で華梁がそう言った。
何を迷うことがある、と、そういいたげな顔で。
自らの悩みが小さく感じるような、そんな顔で。
――華梁らしい、と思った。
荒涼神と……自らの境遇を恨もうとしていた自分が馬鹿らしく思えてくる。
「それよりも、憂。」
「……なんだ?」
「あの子供の居場所がわかった」
「え?」
「あいつは、あの村から俺たちの去った後、霊元につれさられ、ある場所に幽閉されている。
お前が会ったのは、あの子供の「思い」だ。
実体じゃあない。
ある場所に閉じ込められ、お前に対する憎しみを強くさせられている」
僕への憎しみを――強くするために?
「……お前がいた、あの洞穴。
あそこに夜季はいる
――あいつの親の死体と共に、な」
「――――!?」
「あいつは、連れ去られた後から今までずっと、洞穴に閉じ込められ、親の死体を見せられ続けていたんだ。
お前への憎しみを忘れさせないために、お前への憎しみをより強くするために……」
――ならば、あの子供は
自分の親の死体が腐り、
蛆がわき、
ひからび、
骨になるまで……
ずっと、あの子供は見続けられていたというのか
……それは。
惨い。
――否、
惨いなどと僕が言える立場じゃない。
親を殺したのは……他ならぬ僕なのだ。
あの子に憎しみを背負わせたのは、他ならぬ僕なのだ。
一番惨いのは……僕だ。
「……近くまで行ったが、霊元の張った結界で洞穴の中には入れない。
……だが、な」
そう言って。
「お前の力なら、結界を破れるかもしれない」
華梁は僕をじっと見た。
「憂」
「……」
「もしかすると、いやな物を見るかもしれない。
昔の苦しみをもう一度背負う事になるかもしれない……だが、これは憂じゃなくては出来ない事だ」
「……」
「来てくれ。憂」
華梁が、僕の瞳から視線を外さずにそう言った。
そう、だ。
行けば、自らの罪を真っ向から見つめなければいけない。
行けば、せっかくの治りかけた過去の傷をえぐられるかもしれない。
行けば、子供の悲しみを真っ向から見つめなければいけない。
――また、立ち直れなくなるほどの悲しみを背負うことになるかもしれない。
僕はずっと逃げ続けていた。
つらいことからは目を背けていた。
でも
僕は、
もう、逃げたくは、無い。
逃げても、同じだ。
何も、変わらない。
そしてそれを教えてくれたのが。
華梁だ
「ああ、もちろんだ」
僕は、力強くそう言った