両箇の月
――ゆっくりと
私は瞳を開いた。
ここは、どこ?
体を起こして辺りを見回す。
薄暗い、寂れた建物。
香の香りがほのかに鼻をくすぐる。
普通の、家ではない。
社とも違う……でも、
違うけれど、似ている気がする。
どこなのだろう?
分からない。
分からないけど、見覚えがある。
分からないけど、私はこの場所を知っている気がする。
――そうか、
これは、体の記憶。
心が空のせいで、頭は何の記憶もとどめていないけれど。
体の方は、覚えている。
このにおい
この手触り
この風景
覚えている気がする。
でも
記憶は、無い
私の最後の記憶は、そう
夏祭り
そう、夏祭り。
私は、神に仕え、神の言葉を人々に伝える役目だった。
私は、神に仕え、人々の願いを聞き届ける役目だった。
その夏祭りの夜も、
同じように神託を、人々に告げていたと思う。
それから…
……そう
皆が引け、寝静まったころ
最後に一人の男が現れたのを覚えている。
男は、怪我をしていた。
一目で手遅れだと分かるような、ひどい怪我。
それなのに、男の瞳は生気に満ち、生きようという意志を感じた。
――いや、生きようというよりも
生きて、何かをやり遂げなければいけないという、使命感の様なものが感じられた。
でも、男の体はもう限界で、生きたところで後数刻も持たない
そうか。
だから、最後の望みを叶えるために、私の所までやってきたのか
私には、望みを叶える力がある。
神に近い力を使うことが出来る。
「……なに?」
私は男にそう問うた。
男は、
最後の力を振り絞り、
私に、願い事を告げた。
それから
……それから、覚えていない。
それから先がどうしても思い出せない。
私の記憶は、ここまで。
ここから先は、心を無くしていたように曖昧。
あれから、どれくらい時間がたったのだろうか?
体を見回す。
見慣れない紅い衣を着ている事以外は、体はあの頃とほとんど変わりは無い。
――いや、
私は特別な存在だったから
あのときからずっと、成長の出来ない体になっていたはず。
だから
私の体は、小さいまま。
ずっと、何十年も、小さいままだった。
神に、従えていたから
神に近い存在だったから
私自身が神に近い存在だと「思った」から
神に、力を与えられた。
不老という、力を与えられた。
そう
私は、神に近い存在だった。
思いが強かったから
私は、普通の人が持っていない、特別な力を与えられた
神に近い力を与えられた
私は、神に近い存在だった。
でも
近いだけじゃだめだった
私は、神になりたかったのだ。
神に近い存在だったけど
神じゃなかった
じゃあ、
私は、何
私は一体、誰?
私は
私は
そう
私の、名前は。
そのとき、
月明かりに照らされた濡れ縁に、一人の男が立っている事に気がついた。
水干を着た、怖い目をした男。
いつの間に、立っていたのだろうか?
男は私を見て、冷酷な笑みを浮かべ、静かに口を開いた。
お前に、今一度望みを告げよう。
男はそう言って、
私に、再び、願い事を告げた。