第五話 呪と思い
気がつくと、崩れかけた様なあばら屋の中にいた。
穴の開いた壁から、外の風景が見える。
夜空に浮かんだ白い月。
――そうだ、
――あの時、あの子供に出会ったのも、こんな月の夜だったな。
そこまで思い出した所で、僕の頭は覚醒した。
――俺は・・・あの子供に、胸を刺されたのだ。
急いで刺された所に手をやると、そこには布が巻かれていた。
どうやら、介抱された後らしい。
「気がついたか?」
声のした方に眼をやると、方千が杯を持ち壁を背にしながら坐っていた。
「・・・方千」
――ここは、方千の家か。
「お前に、あの衣の子がどのようなものか、言っておかねばならぬようだな」
とくとくと、酒を杯にそそぎ、ゆっくりとした口調でそう言った。
ぷんと、酒のにおいが辺りに充満する。
「お前は、あのようなものの事を、どこまで華梁に教わった?」
あのような物。
華梁は最初にあれを見て、なんと言っただろうか?
抑圧された人の思い、その姿。
確か、それは・・・
「ひとの・・・思い。」
僕がそう言うと方千は「うむ」と言って頷いた。
「その通りだ、あれは。人の思いが形になり、この世に生まれ出たものだ・・・故に、本来ならば、実体がない」
――実体が、ない?
そう言えば、華梁も『・・・本当は触れる事すら出来ないのだが・・・』と、そんなことを言っていた。
「その通りだ、触れる事も出来ぬし、同時にあちらが我らに触れる事も出来ぬ。」
――え?
「それならばなぜ、俺は奴に刺されたのだ」
――そうだ、現に傷口はある。実体が無いのであれば、僕に触れる事すら出来ないはずだ。まして、僕の体を貫き通せるわけがない。
「問題はそこだ。」
そう言って方千は数歩下がった。
「言葉で説明するよりも、実際に試した方が早い」
方千は懐から白い紙を取り出した。
「これを持っておれ」
紙をうけとる、と同時に方千は小さく呪を唱えた。
すると、紙は勢いよく炎を放ち燃え始めた。
慌てて、手をはなす。
紙はしばらく床の上で燃え続け、程なくして消えた。
「・・・何をする。」
「どうだ、熱かったか?」
「当たり前だ。」
見ると、僕の手の平には小さく水ぶくれも出来ている。
「ほう?それはおかしいの」
何故かわざとらしく首をかしげる方千。
「今のは幻の炎だよ。熱さなんか感じる訳がない」
「なに?」
「見ろ」
そう言って、先ほどまで紙の燃えていた場所を指さす。
――そこは、焦げ目一つもついていなかった。
「どういう・・・ことだ?」
僕は確かに熱さを感じたし、現に水ぶくれまで出来ている。
なのに今のが幻の、炎?
ならば、僕は何故熱さを感じたのだろうか?
「それが、「思い」だ」
「・・・」
「お前は、炎を見て、頭の中で「熱い」という感覚を呼び起こしたのさ。だから実際にには熱さが無くとも、体がそれに反応する・・・水ぶくれができたのもそのせいだ」
いや、まさか・・・
そんなことが、実際に起こるのか?
信じがたいことだ。
「思い、の強さはそれほどまでに大きい。・・・病は気から、という言葉もあるがあれは迷信ではない。実際に思いは体の症状にまで表れる。」
――お前の、顔のようにな。
そう言われて、思わず顔に手をやった。
さりさりと、顔が半分から獣の手触りになっている。
しかし、これは・・・
これは・・・呪いのせいだ。
「・・・お前が何故、狐の姿になったのかは、俺には分からぬ。が、お前も思いによってそうなってしまったは事実だ。この世にはお前らの言っている様な呪いなど無い。実際に手を出さなければ、人を傷つける事など出来ないさ。呪いで操っているのは、人の心だ。」
「人の心?」
「ただ呪いをかけるだけでは意味がない。大切なのは「呪をかけた事実」と「信憑性」その二つが混じり合うことによって、強い「心の不安」が生まれる。それが、呪いの正体だ。」
ならば、
やはりこの顔は、
僕の、心の不安か?
「前にも言ったとおり、それはお前の心の不安が形になったものだ。・・・そしてあの子供もまた、憎しみという心の思いが世に生まれ出たもの・・・どちらも「思い」によって生まれてしまったものなのだ。呪は、そのきっかけ・・・心の不安を呼び起こすための、ただの引き金に過ぎぬ。」