ことはりをとなうもの
「……何ですって?」
「千年以上生き続けている俺を、奴は諭しおったよ。たいしたもんだ」
「……まさか。」
「……俺もお前と同じように死を選ぼうとした事がある。ごく最近のぉ」
――この身でありながら人と関わり、そして、消されそうになった。
わしもその時、――このまま死してもよいかと、思ったよ。
その時は、お前と同じように、生きて、生きて、数千年も生きて、そのあげく、自らの存在を否定しようとしたのだ。
あのとき、俺を消そうとしたのは、荒涼神と言う妖だった。
妖――、いやあれは、今から思えば、人でも妖でも、神でもなかった。
しかし、後の人が、あれを荒涼神と名付けた。
神としか思えぬ、力をもっていたからのう
「……荒涼神」
聞いたことが、ある。
あれも、あの狐のように初めは人だったものが化生に変わったもの。
――荒涼神に消されそうになった俺を、やつは救いおったのだ。
そう、老人は続けた。
――あれから、十年たつ。
まだまだ若造だった奴に、この俺は助けられた。
「あなたがいなくなっても、世に綻びが生まれますよ」
「なに、安心はいつもあなたのそばに有る」
そう、暦縁は言ったのだ。
荒涼神も、憂と同じ、理に反したものを消すために生まれたもの。
世の均衡を保とうとして生まれたもの。
「……まさか、あの狐も荒涼神と同じと言うのですか?」
「まぁ、奴はまだ迷っておるがの。あんな姿になっても、人として生きたいらしい」
「ならば、奴が目覚めれば……」
「お前が消えるか、奴が消える。当然暦縁はそれを知っている。そして、それを止める方法もな」
「止める、方法?」
「ああ」
いらぬ、世話だ。
俺は、生きるのに飽きた。我々は肉体が死滅する事はない。ならば、その理とやらに消されるのを待つしかない。
そのとき
「……暦縁は、わしに安心をくれた。生の苦しみを取り去ってくれた。いや初めからそんなものは無かったと気づかせてくれたとでも言うのかな」
老人は、ゆっくりとそう言った。
呼吸が、止まる思いがした。
安心を、くれた?
出来る、はずがない。
永遠に死など無い我らの身に、安心など無い。
人は死が有るからこそ生きられるのだ。
それはこの八百年の内に学んだこと。安心は俺が、どうしても得られなかった事なのだ
それが、
たった、十数年生きただけの暦縁が、得たとでも言うのか?
あり得ない。
「……嘘です」
「本当だ」
「……あり得ない」
「本当だ」
ならば……
「ならば、私が求め続けた八百年は何だったというのだ!!」
声を、荒げた。
「私は、それを求め続けたんだ、だが結局、永遠の生は苦しみしか生まないことを知った!だから……理から外れようとしたのだ。それ以外の方法が無かったから…それなのに、たった十数年生きただけの糞餓鬼が、それを、得た?ふざけるな!それならば……」
――私の苦しみは、何だったんだ?
声に、ならなかった。
分からない。
分からない。
それは、激しい嫉妬と、虚無感。
それならば、なぜ、俺には分からなかったのだ?
あれほど苦しみ抜いたのに。
あれほど思い悩んだのに。
それが全て無駄?
十数年生きた餓鬼にでも分かったことが、俺には分からなかった?
あり得ぬ。
それは、その事実は俺の八百年を……否定している。
俺は、それだけを求めていたのに。
ぐらりと、目眩がした。
「……は、どのみち私は生きるのには飽きたのです」
負け惜しみのように男はそうつぶやいた。
「好きに、させてください。これは私のなりの考えがあっての行動です」
男がそう言うと、老人は不敵に笑った。
「まあ、わしは何もせんよ。成り行きを見届けるだけだ。何、今のはただのお節介。
お前の邪魔するつもりは無いし、価値をお前に押しつける訳でも無いのでな。
お前の好きにするがいいさ」
そう言って、踵を返す。
「……わしが、今暦縁に関わっているのはは十年前の後始末のためだ。華梁も同じ。そして、憂ともな。それ以外は興味ない」
つぶやくように、そう言った。
そして、静かに、老人はその場から立ち去った。
姿が見えなくなった後、男は地面に崩れ落ちた。
慟哭のような泣き声が、静かに、延々と夜の森に響き渡っていた。