一話 狐の子
水滴がぽとりと、僕の頭の上に落ちた。
そこで突然、僕の意識は目覚めた。
……ん、
僕は、眠っていたのだろうか。
暗い。
前方に少しだけ見える月明かりが、かろうじて辺りを見回せる程度にこの場所を照らしている。どうやらここは、どこかのほら穴のようだ。
どうしてこんな所にいるんだったっけ?
……思い出せない。
……いや、思い出せないのではない。
これは
思い出したくないだけなのだ。
以前にもこういう事があった。
いやな思い出があると、僕の頭は思い出すのをやめようとする。
本当に、
本当に僕の頭は弱虫なのだ。
いやなことからは逃げ出そうとし、そのくせ必死に自分を強く見せようとする。
きっと思い出せば、また心が傷つくのだろう。
とにかく、外に出よう。
逃げようのない現実を直視すれば、いやでも思い出すはずだ。
僕は立ち上がり、明かりの見える方へと歩き出す。
足が、痛い。
使い過ぎたのだ。きっと。
暗く冷たい洞窟を抜け、月明かりの下へと歩み寄る。
いやなにおいが鼻をつく。
たとえるなら、そう
鉄の、におい。
――月明かりの下には、幾人もの死体が積み上げられていた。
数は、ざっと数えて三十はある。
全ての死体が、首をかき切られるようにして死んでいた。
見覚えがある。
この傷を僕は、何度も見てきた。
ぼやけていた記憶が、ようやくはっきりとしてくる。
今回の山狩りの人数が、たしか三十だったはずだ。
ここにある死体が三十。
と言うことは、
やはりこの人たちは
僕に…殺されたのだろう。
「よお」
急に後ろから声をかけられ、思わず振り返った。
そこには手に網代傘を持った僧形の男が立っていた。
年は二十後半位だろうか。短く切りそろえた頭に、狐のように細い目をしている。
左目には刃物で切られたような傷があった。
僕は彼に以前あったことがある。
名前は確か、華梁、といったか。
華梁は辺りを見回し、軽くため息をついた。
「……派手にやったな憂」
そう言って、ひぃふぅみぃ……と死体の数を数えだした。
「……三十ね。皆殺しか。
……これでここいらにはもう住めなくなったな」
皆、殺し……
そうだ、この死体は僕が作ったのだ。
それを、改めて実感する。
でも、
でも、僕は、
……何もこいつらを殺したかった訳じゃない。
「…俺は」
「おっと、言い訳はするなよ」
その言葉で僕は口をつぐんだ。
「言い訳なんかして自分のやったことを正そうとするな。
ここにはお前がこいつらを殺した事実しかないんだからな。
お前がどんな言葉で俺の同情を買おうともやったことは何一つ変わらない」
厳しい、言葉だ。
僕がうつむくと、華梁は再び軽いため息をついた。
「……言わずとも事情くらいわかってるさ。こいつらがお前を化け物扱いして殺そうとしたんだろう?」
もう四度目だからな、と小さくつぶやく。
「今度は何があった?」
何が……?
そうだ、僕は……
あのとき酒屋の主人に、
「……顔を、見られた」
言葉を話すとずいぶんと自分がしわがれた声になっている事に気がついた。
まるで、獣の声だ。
華梁は「……そうか」とつぶやき、ぽんと僕の頭の上に手を置いた。
「……暦縁さんから、お前のことを頼まれてね。しばらくお前をかくまってやってくれだとさ」
華梁は僕の目線の高さまでしゃがみ、じっと目を見た。
「どうだ、俺の所に来るか?どうせここにはもういられないんだろう?」
狐の面の隙間から華梁の顔が見える。
華梁の目は片目がつぶれているが、
……その目はとても、とても澄んで見えた。
「……俺は、」
僕は
誰でもいい、
きっと暦縁さんがいない今、誰かのそばにいたかったのだ。
小さくうなずいた。
「決まりだな。こっちだ」
そう言ってにっこりと笑い、華梁は僕を連れて森の方へ歩き出した。