初話 夢の追憶と物語の始まり
――――これは、夢か。
記憶は曖昧。
僕は、竹林を駆けていた。
手で、足で、獣のように地を蹴り上げながら。
これは、どれほど前の記憶だろうか。
いや、
僕の手にはもう、地を駆ける感触と、人の首を効率よくかき切る技術しか持ち合わせてはいない。となると、いつの記憶かということを探るのは問題じゃないのかもしれない。
ただ、地を蹴り、前へと進んでいた。
追っ手に追われていたのかもしれない。
それも、いつもの事だ。
ただ必死に地を蹴り走っている。
不意に、視界が開けた。
目の前にはこじんまりとした庵が立っていた。
濡縁に一人の男が座っている。
黒い、法衣を着た男。整えてあるのか無いのか分からないぼさぼさ頭。
「なんだ?狐か。 ……いや人だな」
のんびりとした口調でそう言った。
「そんな所で、なにをしてるんだ」
男は濡縁から立ち上がり、ゆっくりと歩み寄ってきた。
人の言葉など忘れてしまった頃だ。
僕はうなりながら、男を威嚇した。
「ほら、ここに来たのなら客人だ。上がって茶でも飲まないか」
そう言った。
はじめ、男が何を言ったのか分からなかった。
客人?
上がってこい?
けだものの僕に向かって?
何を考えてるんだ、こいつは。
僕が、怖くないのか。
「ほら」
男が手を伸ばす。
危害が加えられると思い、僕はその手にかみついた。
男は少しだけ顔をゆがめたが、すぐにさっきの飄々とした表情に戻った。
「……おいおい、何をしてる。お前はれっきとした人間だろう?それはけだもののやることだよ」
「……!」
人、と
男は、僕のことをそう言った。
人として、接してくれた。
僕は人と認められた。
僕は噛みついていた男の手を離した。
「お……れは」
久しく忘れていた人の言葉。
「人……なのか?」
僕は男にそう尋ねた。
「当たり前だろう」
男は即答した。
「さ、人となれば客人だ。
客人を外に放っておくのは気が引ける。
入ってくれ。丁度いい、今日は、うまい茶と菓子があるぞ」
にっこりと笑って男がそう言った。
子供のような無邪気な笑顔だ。
思わず頷いてしまった。
そのとき、僕の来た方向から、一人の男がゆっくりとした足取りで現れた。
追ってきた、という様子ではない、
が
この場所は、来ようと思って来れる場所ではない。
人里から離れすぎているのだ。
しかも、
僕はこの男にも見覚えがあった。
否――見覚え、ではない。
僕はこの男を、生まれた時から、知っていた。
何度も、幾度とも、この男と僕は、「合っていた」
そして――ずっと、僕を、「見ていた」
とっさに僕は近くの物陰に姿を隠した。
男のことを、僕は、知っている。
この男には、関わってはいけない。
――しかし、すでに僕はどうしようもなく、この男と、縁を結んでいる。
この男は、
僕にとって、とても恐ろしい、嫌な存在だ。