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闇路妖狐  作者: 狐禅
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閑話 始まりより以前

 薄暗い、和室の家屋の縁側に二人の男が座っていた。


 一人は、奇妙な狐の面をかぶった男。いや…男と呼ぶよりは少年と言った方がその男を表すには適した言葉のように思う。齢にして十過ぎくらいか。顔を隠しているので、年は想像でしかない。薄い緑色の衣を羽織り、見るとは無しに中庭の方に視線をやっていた。


 もう一人は、黒い法衣を着た男だ。年は少年よりも一回りは上だろう。

 

剃髪はしていない。


整えてあるようで無いような、ぼさぼさ頭をしている。 


男の片手には、酒の入った丙子が握られていた。

 

時折、それを口に運びながら、何の気無しに庭の風景を眺めている。

 


 夕暮れ時、辺りは夕焼けのあか色に染まっていた。


 かなかなかなかな


 蜩の鳴き声が、他の鳴き声と覆い被さるようにして静かにこだましている。


 昼間降った雨のせいだろう。夏草は白玉のような水滴をつけ、きらきらと光っていた。

 

 「なあ、憂」


 唐突に法衣の男が狐面の少年に話しかけた。

 憂と呼ばれた少年が、法衣の男の方に顔を向ける。

 

 「人はなぜ苦しむかと言うことを考えた事があるか?」


 そう、問うた。

 

 憂は首を振った。

 

「人は己自身で自分を苦しめる」


 そう言って、手に持っている杯で床をこつり、とたたいた。

 

「今の音、耳には残っているか?」

 

 辺りは蜩の鳴き声しか聞こえない。

 憂は首を振った。

 

「な?これほどはっきりしている」

 

 憂は首をかしげた。

 

 「つまり、この世には今しか無い。

過去と言うのも未来と言うのも全て頭の中の想像でしかない。

……俺が杯でた床をたたいた音はたたいた瞬間にもう終わっている。

それなのに、人は記憶してその事柄に執着する。

終わったことをいつまでも頭の中で反芻する、事実はこんなにはっきりとしているのにもかかわらず、だ」

 

 ふたたび暦縁は杯を口に運んだ。

 

 「大切なのはありのままの自分。蜩の鳴き声は聞こうと思わずとも耳に入る。肌は夏の暑さを感じる、目は夏の庭を見せてくれる。舌は酒を飲めば酒の味がするからな」 


そう言って、憂の頭をなでた。


「この世には、苦しみは残っていないのさ」


「人の苦しみというのは、常に頭の中にある」


「頭の中で悩み、自分自身で、自らを苦しめているのさ」


「だからお前は、何も苦しまなくていいんだ。今のお前を何一つ変えることはない」


 かなかなかなかな…

 蜩の声が辺りに鳴り響く。

 

 ぽとり、と


 憂の膝の上に一粒の雫がしたたり落ちた。

 

 ぽとり

 

 ぽとり

 

 一つ

 また一つと

 憂の膝の上に染みを作っていく。

 

 ぽとり

 一つ

 

 ぽとり

 二つ

 

 憂の視界が、染みを作るたびにぼやけてゆく。

 

 ぽとり

 三つ

 

 ぽとり

 四つ


 ああ、そうか

 

 ぽとり

 五つ

 

 ぽとり

 六つ

 

 これは

 

 ぽとり

 七つ

 

 ぽとり

 八つ

 

 ながく、永く忘れていた


 ぽとり

 九つ


 涙というやつか。


 とお。


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