黄金の瞳
なんだ、まだ起きているのか?
まだ寝つけぬのか、我が妻シズクよ。しょうのない、それではお前が眠れるまで昔話を語ってやろう。
昔々のそのむかし、まだ俺がひとりぼっちでこの池底の城に棲もうていたころだ。ある年ひどい日照りが続き、千日近く雨が一滴も降らなんだ。
何を隠そう、俺は暑いのがひどく苦手でな。あんまり暑うて池の水も湯になって、雨が降らない九百九十九日めに俺はとうとう腹を立てた。
今はこうしてお前に合わせて人の姿をしているが、俺の本性は水竜だ。だから俺は自分の力を思う存分発揮して、ここら一帯に大雨を降らせてやったのだ。そうしたらかんかんに腹を立てた一人の青年がやって来て、俺にこう言って訴えた。
「何をなされる大竜どの! 私の立てた日照りの願を、最後の一日ですべてふいにしてしまうとは!」
俺は訳が分からずに、青年に立腹の理由を聞いたのだ。そうしたら青年は涙ながらに訴えた。
「大竜どの、私は今より千日前に花の樹の精に恋をしました。その精も私を好いてくれました」
おやおや、ずいぶん幻想的な話だな。
俺はそう思いながらも、彼の言葉に聞き入った。もっとも竜である俺自身が、だいぶん幻想的な存在かも知れぬがな。はは……。
ともかく青年の言うことによれば、その精は『もともと暑い地方から船に乗り、種の姿でここへ流れて来た』そうでな。『千日日照りが続かんと花を咲かすことも出来ず、あなたの子を生すことも出来ない』といったそうなのだ。
それで青年は日の神の神社に参って願をかけ、自分の手の指と引きかえに「千日日照りを続けさせたまえ」と必死に祈ったそうなのだ。
もちろんその日照りの間に作物は枯れ人は死ぬ。青年は身を切られるような想いをしながら、それでもひたすらに願の成就を夢見ていたそうなのだ。それを最後の一日で、俺が崩してしまったのだと。
そう訴えて男は泣いた。見れば青年の右の小指は、確かに根もとからすっぱり切られてなくなっていた。
これは何とも気の毒だ。聞けば俺の大雨が呼んだ洪水により、愛しい大樹も流されて死んでしまったと……。
これはいけないことをした! といってももう青年の小指も大樹ももとには戻せん。困りきった俺はお詫びに、青年に俺の片目をやったのだ。
なんせ大竜の黄金の瞳、ただの目玉ではないからな。抜き取った目は金のかたまり、それを持っていさえすれば竜の力で天下もとれる。
涙ながらにそれを受けとった青年は、ほどなくしてここらあたりを統治する若き王となったのだ。
さて、その王もやがて老いてゆき、自分が代わりに王となろうとたくらむ者が現れた。その者のたくらみは成功し、老いた王は寝込みを襲われて亡くなった。
だが新しく王となった悪人は、俺の目を手には出来なかった。目の持ち主は一人と決まっているからな。老いた王の枕もとに置かれていた俺の目は、古い王が殺された瞬間砕け散ってしまったのだ。
そんな訳で新王は、まだ池底に生きている俺の片目に狙いをつけた。(黄金の瞳が手に入れば、この地域の民草も自分が王と認めるだろう)と思ったのだな。
……シズク、お前まだ起きているのか? どうしてそんなに震えているのだ?
寝つけぬならば続きを話そう。
そうしてシズク、お前が目玉を奪う役に選ばれたのだ。
竜といってもしょせんは男、かほどに美しい女を嫁として捧げれば、きっと遠からず骨抜きになるに違いない。そうすればもうしめたもの。添い寝をしてあほう面で竜が眠っている時に、嫁のシズクに残った片目をえぐり取ってこさせよう――。
そういう狙いで、お前は俺の妻になった。
なに、初めから何もかも分かっていた。俺の瞳は俺のまぶたにはまっていれば千里眼、どんな場所のどんな出来事もすべてこの目に見通せる。
そうしてお前は、今この池底の城に棲み、俺のそばにいるのだよな。
――ああ、そんなに泣かずとも良い。もう何もかも分かっている。
お前が役目と俺への愛情のはざまに立ち、夜な夜な悩み苦しんで涙していたそのことも、もうすべて分かっているのだよ。
シズク、お前さえかまわなければ、この先もずっと片目の俺と生きてくれ。
お前さえうんと言ってくれれば、俺はふたたびこの地域へ雨を降らそう。千日続く雨を降らして、新王も王のたくらみも何もかも、大水で押し流してしまおう。
そうして俺は残った片目を失わず、何もかもなくなったこの地域のこの池で、末永くお前と暮らそうと思うのだが――。
シズクは美しい顔を涙でぐしゃぐしゃにしながらも、頭をふるようにうなずいた。
その瞬間から池の水面をぽつぽつ雨が叩きはじめ、やがて滝の壊れたような豪雨となった。雨は大竜の言ったとおりに千日千夜降り続け、水に流され何もかも濡れてなくなった。
荒野にはやがてどこかから流された種が芽吹き、その中にはいつかの花の精と同じ種の樹の苗も混じっていたという。
そうしていつかの青年とよく似た姿の若い男が、旅をしてこの地へと流れてきたが――。
その先はまた別のお話。
シズクと大竜の間に生まれた子どもらに、シズク夫婦がそのうち語ることだろう。(了)