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2-3

 

 馬車に揺られながらわたしは何度目かのため息をあからさまについて見せる。

 雲ひとつなく晴れ渡った空、乾いた空気が心地いい最高の朝なのに、心の中はどんよりと暗雲が垂れ込めている気分だ。


「やっぱり私が送るんじゃ不満だったかな? 

 悪いね、エジェオにはまだできるだけ動いてもらいたくないから」


 向かいの席に座った伯爵様が首を傾げる。


 あからさまに不機嫌な顔をしてため息なんかつくなんてマナー違反なのはわかっている。

 だけど、どうしたって笑える気分にはなれない。


「ううん、そんなこと、ない。

 その…… ありがとうございました。

 ごめんなさい、わがまま言って」


 少し困ったようなその表情に、わたしは慌てて首を横に振った。


「わかっているならいいよ」


 伯爵様は笑みを浮かべる。


 気が重いのはエジェに送ってもらえなかったからじゃない。

 残してきたエジェのことがやたらに気に掛かって仕方がないの。

 目覚めた時のエジェはまるでエジェじゃなかったみたいだった。

 わたしの知らない別の人。

 だから少しでも離れていたら、わたしのことなんか忘れちゃうんじゃないかって、すっごく不安になる。

 だけど、約束は約束だし…… 

 言うこときかなかったら、今度は出入り禁止にされたらと思うと、そっちも不安。


 それに…… 


 三日も家を空けたから、帰りにくいのも、ある。

 お義姉さま、チビたちの面倒放棄してエジェについていたこと、きっと怒っている。

 帰ったら、嫌味の連発だと思うと、気が晴れるわけがない。


 あからさまにもうひとつため息をついた途端、馬車が止った。

 

 馬車の到着を聞きつけて執事のオスティさんが迎えに出てきてくれた。


「お世話になりました」


 駆け寄ってきて送ってくれた伯爵様に頭を下げてくれた。


「お帰りなさいませ、お嬢様」


 次いでわたしに向き直る。


「馬車に飛び込まれたとお聞きして、びっくりしましたよ。

 それでお怪我は? 」


「ありがとう。

 ごめんなさい心配かけて。

 大丈夫よ。

 伯爵様のおかげでもうすっかりいいの」


 わたしは背後に寄り添うように立ってくれた伯爵様の顔を見上げた。


「それは、ようございました」


 オスティさんは安心したように目を細める。


「本当に何もかもお世話になりまして。


 本来なら若奥様がご挨拶に立つべきなのですが、あいにくと頭痛がすると仰って、失礼を詫びておりました」


 オスティさんはもう一度軽く伯爵様に頭を下げた。


「こちらこそ、大事なお嬢さんを事故に巻き込んでしまって。

 申し訳なく思っていると、よろしく伝えておいて」


 お義姉さまの頭痛はあくまでも言い訳だとわかっているのだろう。


 そこの部分をスルーして伯爵様は答える。


「では、私はこれで。

 じゃあね、グリゼルタ。

 診察にはきちんと来るんだよ」


 妙な言葉を残して伯爵は馬車に戻っていった。


 魔術医の治療のおかげか三日の間に傷は癒え、痕すら残っていないから、もう診察に行く必要はないと思うんだけど? 


「さぁ、お嬢様。

 慣れない場所でのお泊りはお疲れになったでしょう? 」


 オスティさんに促され、邸のエントランスを潜りながらわたしは首を傾げた。


「申し訳ございません。

 私がお使いなど、お願いしなければ…… 」


 言葉どおり、申し訳なさそうにオスティさんは顔を歪める。


「気にしないで、わたしがお願いされていないのに勝手にいったんだもの。

 却ってオスティさんの方が怒られちゃったわよね。

 ごめんなさい」


「とんでもない」


 謝るわたしに笑顔を返してくれるけど、お義姉さまのことだから下手をすれば減給になっているかも。

 そう思うと申し訳ない。


「ここまでで、いいわ。

 オスティさんお仕事あるでしょ」


 わたしは一旦足を止めると、部屋まで付き添ってくれそうな執事に言う。


 減給された上、人手不足で多忙なお仕事の手を止めさせたりなんかしたら、本当に謝っただけじゃすまなくなる。


「そうですか? 

 では、申し訳ありませんが」


 オスティさんは軽く頭を下げるとバックヤードのドアのほうへ急ぐ。


 案の定、何かやりかけの仕事を中断してわたしの出迎えに出てきてくれたんだ。


 オスティさんの背中を見送りわたしもエントランスホールを横切った。

 


「グリゼルタ! 」


 パーラーの前に差し掛かると、途端にお義姉さまの金切り声がわたしの名を呼ぶ。


 この声の感じだと、相当苛立っている。

 正直、顔なんか合わせたくはないけど、心配させたし挨拶ナシって訳にも行かないかな。

 わたしはしぶしぶパーラーのドアを開けた。


「ただいま、戻りました、お義姉さま」


 数歩入ってとりあえず頭を下げる。


「それだけ? 

 他に言うことがあるでしょう? 」


 ドアに背を向けたソファに座ったまま、振り返りもせずにお義姉さまは言う。


「ご心配おかけして、ごめんなさい」


 見えないとわかっているけど、とりあえず頭も下げた。


「本当に、勝手に外出したと思ったら馬車に突っ込まれるなんて。

 あなた何をやっているの? 」


 お義姉さまの声が大きくなる。


 さっき、執事が言っていた頭痛はもうすっかり治っているみたい。


「ご病気のお義父様を心配させるなんてそれでも血の繋がった娘のやること? 

 やっと少しお元気になられたのに、これでまたお加減が悪くなったらどうするつもりなの? 

 あら、でもみたところ元気そうね。

 とても入院が必要だったようには見えないわ」


 ようやくわたしの方を振り返ると、お義姉さまは首を傾げる。


「伯爵様の腕がいいのよ。

 すっごく早く傷が治ったんだもの」


「あら、そう? 

 だったら昨日のうちに帰ってきても良かったんじゃない? 」


 うっかり口走った言葉にお義姉さまが返してくる。


 ……確かにそうなんだけど。

 まさか、婚約者が心配だったから無理にお願いして泊り込んだなんて絶対言えない。

 エジェはわたしを庇って寝付いてしまった訳だけど、そんなのお義姉さまには通用しないし。

 何よりどんな理由であれ婚約者のおうちにお泊りなんて世間体が悪いことだから、お義姉さまはそれを理由に大騒ぎをはじめるのはわかりきっていた。


「着替えて、お父様にご挨拶してきます」


 これ以上話していてもぼろが出るだけだし、お義姉さまのお小言がエスカレートするのも目に見えている。


 その前に退散するに限るとばかりにわたしはパーラーを出ようとした。


「そうそう…… 

 あなたのお部屋なんですけどね」


 思い出したようにお義姉さまが口にした声にわたしは足を止めた。


「ルイーザが使うことにしたわ」


「どういうこと? 」


 お義姉さまの言っていることがわからずに、わたしは聞き返す。


 ルイーザはまだ五歳で、普通なら子供部屋にいるのが一般的な筈。


「あの子には家庭教師をつけることにしたの。

 この家で家庭教師の控え室に使える小部屋が続きであるお部屋ってあそこだけでしょう? 

 あなたはもう家庭教師は要らないわけだし。

 構わないわよね」


 確かに、この邸で家庭教師が寝泊りできるお部屋が繋がっているのは、あの部屋だけだけど。


「じゃ、わたしのお部屋は? 

 何処の客間? 」


 空いている部屋をざっと想像して訊く。


「ああ、そのことなんだけど…… 

 ほらこの邸、お部屋の数が少ないでしょ? 

 少し大人数のお客様をご招待したらお部屋が足りなくなってしまうから、できるだけ空けておきたいの。

 だから、あなたの持ち物はとりあえずテオドールの隣の部屋に運んでおいたわ」


「な…… 」


 驚きすぎて言葉も出ない。


 テオのお部屋の隣って、要するに屋根裏にある子供部屋の隣。

 先日お義姉さまがクビにした乳母の控え室兼寝室だ。


「テオドールのお部屋の隣なら、夜中にあの子がぐずった時にすぐに対応できて便利でしょ? 

 どうせあの子、あなたが相手をしないと泣き止まないんだもの」


 言いたいことを言ってくる。


「テオがぐずるのはそもそも乳母をクビにしたせいだと思うの。

 まだ三歳なのよ? 

 抱っこしてもらって甘えたいのに。

 特にテオは人一倍甘えん坊なのよ? 」


 そんな子が夜中に誰もいない部屋で一人目が覚めたらぐずるに決まっている。


「だから、早いところ乳母に辞めてもらったのよ。

 何時までも赤ん坊のままじゃ困るもの。

 私の方針に口を挟まないでほしいわ」


 お義姉さまは当たり前のように言うけど、実際そのあと成り行きでテオの相手をしているのはわたし。


「それじゃ…… 」


「奥様、お約束していた仕立て屋にむかう時間ですが…… 」


 言いかけたわたしの言葉を、お義姉さまの小間使いが遮った。


「あら、そう? 

 もうそんな時間なのね」


 声に応えて立ち上がるとお義姉さまはそれ以上何も言わずにわたしの横をすり抜けてパーラーを出て行った。

 


 その背中を煮え繰り返った腸を抱えたままわたしは睨みつける。


 多分これ以上何を言っても無駄。

 テオのこともわたしのお部屋のことも、どう言ってもわたしの声なんか無視されるか反対に些細なことに因縁をつけ怒鳴られる。

 ベッドの中のお父様にはこれ以上余計な心配掛けたくないから言えないし。

 もともとわたしを嫌っている腹違いのお兄様は、問題外。

 

「お嬢様? 」


 お義姉さまに続いていこうとしていた小間使いが足を止め、気の毒そうな声で呼びかけてくれる。


「なんでもないわ。

 ほら、早く行って。

 お義姉さま、お着替えしないとお出かけできないでしょ? 」


 わたしは小間使いを追い立てた。

 


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