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◆◇◆ ◆おまけ◆ ◆◇◆
ジュスト伯爵邸の客間は穏かな光に満たされていた。
流行の凝った壁紙に異国渡りの絨毯が敷かれ、そろいの意匠の家具が華やか。
だけど侯爵邸のように必要以上の装飾品が置かれていないからか、落ち着いた印象。
「グリゼルタ、入るぞ」
ドレッサーに向かって髪を整えていると、ドアがノックされエジェが入ってくる。
「な…… お前おきていて大丈夫なのかよ! 」
顔を合わせると同時に言われた。
「もう、平気よ。
包帯も取れたし」
軽くあごを上げて首の周りを示す。
全体に広がっていた赤みは消えている、指が食い込んだところにだけまだ少し黒紫に皮下出血した痕が残っているけど、一月しないうちに消えるって伯爵様は言っていた。
「全く、こんな傷遠慮なくつけやがって」
少し怒った風にエジェが呟く。
「大丈夫、もう全然痛くもないし。
それより、いいのかな?
わたしがこんないいお部屋使わせてもらって」
正直、実家にいたときも侯爵家でも使用人部屋だったから、なんだかこの華やかな雰囲気が落ち着かない。
「診療所の方でも良かったのに…… 」
診療所のベッドで二晩ほど過した後、わたしはこの客間に移された。
「あっちは人の出入りが多くて落ち着かないだろ?
急患も出入りして夜中にだって起こされるしな。
気にするな、こっちはめったに使うことないから、使ってもらえると嬉しいってさ、兄貴が」
「ご迷惑じゃなければいいんだけど」
「使用人も、お世話する人がいて喜んでる」
「なら、いいんだけど…… 」
侯爵家を放り出されどこにも行く場所がなくなったわたしとしては、どこでも置いてもらえるだけでありがたい。
「そういえばエジェ、お仕事大丈夫なの? 」
午後のお茶の時間も済んで、日がもうすぐ沈もうとしている。
エジェのお店の開く時間。
「あぁ、行くけど。
その前にこれ…… 」
エジェが抱えてきた大きな箱をわたしの前に差し出した。
また、ドレスなんだろうな?
伯爵様との連名の。
数年前からわたしが結婚するまでことあるごとに贈ってくれた。
さすがに今回はお世話になりっぱなしだし、こんな高価な物いただくのは気が引ける。
だけど今日のは少し様子が違っていた。
普段ならラッピングされてリボンが掛かっているのに、今日の箱は剥き出しのまま。
どういう趣向なんだろう?
「あけてみろよ」
首をかしげていると促された。
言われるままに箱をあけると白いドレスが顔を出す。
「もしかして? 」
光の加減で僅かに青味を帯びる生地、贅沢にあしらわれ丁寧にフリルを寄せたレースの模様に見覚えがある。
思わず震える手を伸ばして、そのドレスを箱から出して広げた。
「お母様のウエディングドレス!
どうして? 」
「さっきウエディングドレスの注文に行ったら、タイユールが困ってた。
直しを受けたのはいいが、肝心の持ち主と全く連絡が取れなくなったって」
エジェは少し照れくさそうに言う。
お母様のドレス。
お式では着られないってわかっていたのに、お父さま直しに出してくれていたんだ……
「あいつ、そうやってありとあらゆるところとお前の接点切って、お前の存在を無くそうとしていたんだな」
悔しそうに呟く。
そっか、侯爵様がわたし充ての郵便物を握りつぶしていたのって、単に夜会やお茶会の紹介状を目に入れて強請られると都合が悪いからだけじゃなかったんだ。
「ありがとう、エジェ」
わたしはドレスを抱きしめる。
お母様の使っていた高価なベッドカバーや磁器なんかは全てお義姉さまに売り払われて、お父さまの死守してくれていたパリュールも侯爵邸に置いたままでてきてしまった。
取り返しに行きたいところだったけど、お兄様の多額の借金を考えると返してもらおうって方が虫のいい話すぎて諦めるしかなかった。
「あ、式に着るウエディングドレスはきちんと新しいの作ってやるからな」
付け足すようにエジェが言う。
「ううん、これでいい」
「遠慮するなよ。
二度とも人のお下がりじゃ、かわいそうだろ?
侯爵の奴、ウエディングドレスまで愛人のお下がりを着させる周到ぶりだったんだからな」
「好きでもない女性に、さすがにウエディングドレスは作る気にはならなかったんでしょう? 」
「それだったら、それ着させればよかっただろう? 」
エジェはわたしの腕の中にあるドレスを指す。
「徹底してお前のこと替え玉にするつもりだったんだよ。
あのヤローの愛人の溺愛っぷりはほんとに半端なくて、お前との婚約が決まった途端にお前の名前でその女と中央大神殿で式まで挙げてるんだぞ。
結婚式は女性の夢だから叶えてやって当たり前ってな。
その愛人との式を挙げた時にドレスを誂えたのが運のつき。
最初お前との式は端折るつもりだったらしいけど、ティツアーノ親族の手前例え内輪でも式を挙げないわけに行かなくなった。
そしたらお前の兄嫁にドレス見られることになるだろう?
式の時のドレスの詳細をお前の義姉さんに社交界で喋ったりされると、タイユールに作らせたドレスと違うって話になる。
世間の目を誤魔化すにはドレスは一着にしておかなければならなかったって話だ。
まあ、続けて違う相手と二度目の式を挙げるなんて、神官達が黙っているわけがない。
誠実を旨とする神官達を説得するには随分金も手間もかけたらしい」
「だからあの時指輪も使いまわされたんだ」
特にあの指輪はミリアムも口にしてたほど、社交界で話題になっているらしい。
ドレスだって異国渡りの高価なレースが多量にあしらわれた高価そうなものだった。
お義姉さまのことだからきっと夜会なんかで自慢気に喋りまわったんだろうな。
「そう言うこと」
「あのね、エジェ。
遠慮じゃなくて、ドレスは本当にこれがいいの。
これを着るのお父さまも楽しみにして下さっていたし、わたしもこのドレスお父さまに見せられた時から他のドレス着ることなんて考えてなかったから」
だから侯爵様の方から一方的に押し付けられた時もそのドレスのサイズが合わなかったことも、心底がっかりした。
「まさか、このドレスが戻ってきて、自分のお式で着られるなんて……
ありがとう、エジェ」
感謝の気持ちを込めて、一歩エジェに近付くと軽く唇を寄せる。
「な…… 」
エジェが戸惑ったように目を見開いたかと思ったら、そのまま抱きしめられた。
後頭部に腕を廻して離れかけたわたしの顔を抱き寄せる。
重なった唇からこぼれるエジェの吐息が熱くて、どう応えていいのかわからなくて思わず逃げようとした。
だけど頭に回るエジェの腕がそれを阻んで、キスが深くなる。
流れ込んでくるエジェの熱に誘発されるように背筋が疼く。
何か得体の知れない欲の芽が、吹いてその先を求めるようにこみ上げてくる。
「も…… や……
はな、し…… て」
吐息をこぼす合間にかろうじて口にして、エジェの腕から逃れようともがいた。
その声がエジェの耳には届かなかったのか、聞き入れてくれる様子はない。
もうどうしたらいいのかわからない。
身体中に広がった疼きが痺れに変わって手足の力が抜けて……
立っていられない。
そう思った時、突然ドアがノックされた。
「エジェオ様、お時間がありましたら晩餐をご一緒にと、旦那様が申しておりますが」
ドアの向こうからメイドの声が響いた。
「悪い、また今度って言ってくれ! 」
ようやく唇を離すと、エジェはドアに向かって声を張り上げ、もう一度わたしに向き直る。
「ごめん、調子に乗った」
小さく呟いてわたしの肩を掴んで遠ざける。
「俺そろそろ行かないと、店開けるのが遅くなる」
よっぽどバツが悪かったのか、徐に視線を反らせて言う。
「悪いけど、晩餐。兄貴に付き合ってやってくれ。
それと、無理しないで寝てろよ。
見かけは大丈夫のようだけど、まだ本調子じゃないはずだって兄貴が言ってたぞ」
言うだけ言ってエジェは忙しそうに仕事に行ってしまった。
「もう、エジェってば心配性」
その背中を見送りながら呟くわたしの顔に笑みが溢れる。
幸せすぎて、なんだか夢をみているみたい。
わたしは手にしたドレスに顔を埋めた。




