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ベッドの端で焚かれた蝋燭の炎がゆらゆらと揺らめいている。
その光を頼りにわたしは枕に頭を預けたままのエジェの顔を見つめていた。
あの日からもう三日、エジェは眠ったまま全く起きる気配すらない。
伯爵様はただ眠っているだけだと言うけど、人間が三日も眠りつづけるなんてありえないと思う。
病床のお父様が重症の時だって、一日中ベッドの中で寝ていても時々は目を開くし寝返りも打っていた。
だけど今のエジェは目を開くどころか身動きさえしない。
呼吸もすっごくゆっくりで浅く、うっかりすると人形が横たわっているんじゃないかな、なんて思えてしまう。
伯爵様は全く問題ないというけど、ここまで目覚めないとさすがに心配になってきた。
「グリゼルタ、まだ休んでいなかったのか? 」
体温の落ちた冷たいエジェの手を握っていると、突然伯爵様に声を掛けられた。
「言っただろう?
エジェオはただ眠っているだけだって。
魔力の消耗って言うのはね、身体に負担をかけるんだ。
故に身体が動かせなくなる。
魔力が戻れば自然と目が覚めるから心配しなくていいよ」
「戻るって何時?
どうすれば戻るの?
お薬とかないの? 」
眠るエジェをできるだけ刺激しないようにわたしは声を落として訊いた。
「残念だけどね。
エジェオの場合は睡眠が一番の薬なんだよ。
眠って魔力を回復させているんだ。
それよりグリゼルタ、君もう三日も寝ていないよね。
いい加減に休みなさい。
入院患者として預かっているんだ、倒れられたりでもしたら子爵に申し訳が立たない」
少し強い口調で言われてしまった。
「ごめんなさい!
でも、もうちょっとだけ、いいでしょう?
ベッドに入ったってどうせ寝られないもの」
わたしは握っていたエジェの手を放さずにお願いしてみる。
正直もう三日も寝ていないなんて思えない。
まるで握っている手からわたしの睡魔がエジェの移ったかのように、眠気は全くなかった。
「仕方ないね。
もう少しだけだよ。
次に私が見に来た時にまだベッドに入っていなかったら、強制的に眠る呪文かけるからね」
ため息混じりに言い置いて、伯爵様は背を向けた。
「ね、エジェ。
いい加減起きてよ。
でないとわたし、お礼も言えないうちに家に帰らなくちゃならなくなるわ」
ベッドの中にそっとつぶやく。
その声に応えるかのようにエジェの躯が僅かに動いた。
「エジェ? 」
自分の目が信じられなくてわたしはベッドの中の顔を見つめ呼びかけた。
「ん…… ? 」
身動き一つしないで、ひたすら寝つづけていたエジェの身体がもぞもぞと身動きをした。
「エジェ……
エジェオ! 」
更に呼びかけると、ようやく目を開ける。
「エジェ、良かった気がついたのね…… 」
視界が滲む。
気が付くと涙が一粒リネンのシーツにこぼれ落ちた。
「えっと、グリゼルタ? 」
エジェはのろのろと身体を起こすと戸惑うようにわたしに訊く。
混乱しているのか、エジェは言葉なく額に手を当て何かを思い出そうとするかのように目元を顰めた。
次いでまるで寝起きのようにベッドを降りようとする。
「待って、急に動いちゃ駄目よ。
あなた暴走した馬車に突っ込まれて三日も意識がなかったのよ。
今、伯爵様、お兄様を呼んでくるわ」
それを慌てて押しとどめ、わたしは部屋を駆け出した。
廊下を挟んだ部屋に駆け込もうとした途端スカートが足に絡まり、躓きそうになる。
ドレスの裾が足に絡むのがこんなに面倒だと思ったことはない。
とりあえず足を止め、スカートをたくし上げた。
「伯爵様! 」
部屋のドアを開けるとわたしは夜間なのを忘れて声を張り上げた。
「グリゼルタ? 」
その慌てぶりに異変を察したように伯爵様はむかっていた書き物机から顔をあげこちらを振り向いてくれる。
「どうかしたかい?
そんなに慌てて」
「エジェが、エジェがね。目を覚ましたの! 」
「だから言っただろう?
魔力が戻れば目が覚めるはずだから、心配はないって」
言いながらも伯爵様は立ち上がる。
部屋に戻ると、エジェは何か珍しい物でもみるかのように部屋の中を見渡していた。
「よ。エジェオ。
目が覚めたか? 」
伯爵様がベッドの中を覗き込みながら訊いた。
「あぁ、セルジェ兄さん。
心配をかけて済まない」
まだ状況が飲み込めないみたいで、エジェは首を傾げている。
「何時から俺の兄弟は外国人になったんだ?
それ以前に俺に兄弟なんか居ない筈だ」
次いで妙な言葉を口にする。
「何言っているんだ?
もしかして頭でも打ったか? 」
その言葉に慌てたように伯爵様がエディの顔を覗き込んだ。
「あ、いや……
兄さんだよな? 俺の…… 」
何度か瞬きしたエジェは自分でもよくわからないみたいで、戸惑った顔をしている。
「俺の髪、黒くなかったか? 」
「何言っているんだ?
お前の髪もともとその色だろう。
それとも遊学中羽目を外して黒く染めて遊んだか? 」
呆れたように伯爵様が言う。
やっぱり妙。
兄弟仲のすっごく良い、エジェがお兄さんのこと忘れるわけないし。
髪を染めて遊ぶほどお洒落じゃなかった。
「どうかしたの、エジェ? 」
もしかしてエジェじゃないとか?
なんて思えて、わたしはエジェの顔を覗き込んだ。
「悪いね、グリゼルタ。
もしかしたら事故のショックで少しだけ混乱しているかも知れない。
とにかく、君はもう休みなさい。
エジェオも気が付いたし、君ももう気が済んだだろう?
明日は送っていくからね」
「ねぇ、伯爵様。
もう少しここにいちゃ駄目? 」
目が覚めてくれたのは嬉しいけど、こんな上体のエジェを残して帰ったりなんかしたらやっぱり心配になる。
「駄目だよ。
エジェオが目が覚めるまでという約束だっただろう?
次にここに来られなくなってもいいのかな? 」
「伯爵様、意地悪だわ」
我儘だってわかってる。
だけど、あとすこし、もう少しだけここに居たい。
せめてエジェオのいつもの笑顔が見られるまでここに居たい。
帰らなければいけないとわかっていながらも、そう思う。
「そうだよ。
知らなかった? 」
少し困ったように笑って伯爵様は言う。
こんな笑顔されたら、言うこときかない訳に行かないような気になってくる。
「意地悪ついでに、そろそろ部屋に戻ってベッドに入ってくれないかな?
目の下真っ黒にしたその顔で、明日帰すことなんてできないし。
少しエジェオを休ませたいんだ。
周りであれこれ問い掛けると、余計思考が散漫になるだろう? 」
伯爵様は言って促すように私の肩を叩いた。
「……わかりました。
そうします」
わたしはしぶしぶ立ち上がる。
どうしても朝になったら帰らなくちゃいけないんなら、それまで側に付いて居たいけど。
休ませなきゃって言われたら、これ以上抵抗なんかできない。
「お休みなさい、エジェ。
お大事にね」
挨拶を済ませるとわたしは部屋を出た。
※スピンオフ -1-