5-9
◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆
目が冷めると、どこかの部屋に寝かされていた。
白い無機質な壁に、白いファブリックの簡素なベッドには見覚えがある。
ジュスト伯爵様の診療所にある入院室だ。
首の周りに違和感を感じて手をもっていくと包帯が巻きつけられている。
痛みはなかったけど、まだなんだか力いっぱい圧迫されたあの感じが抜けない。
周囲を見渡すけど、どこにも人の姿はなかった。
枕元のテーブルの上にはいつかエジェのところで飲まされたのと同じ妙なオレンジ色の液体の入った瓶と、空瓶が数本載せてある。
何がどうなっているのかわからないけど、このままここにいることに酷く恐怖を感じた。
また、そのドアを潜って入ってきた侯爵様に襲われるかも知れない。
そんな妄想が頭に浮かび上がって消えてくれない。
とにかく一人になりたくなくてわたしはベッドを降りる。
伯爵様の診療所なら階下には誰か居るはずだ。
すがるような気持ちでわたしは階段を降りた。
「……簡単に言ってしまえば、目的はグリゼルタの『子爵家令嬢の戸籍』だったんだよ」
普段居間として使われている部屋のドアの向こうから、ジュスト伯爵様の声がする。
「何だ、それ? 」
あっけにとられたようなエジェの声がそれに続く。
良かった、ここは本当に伯爵様の診療所なんだ。
そう思うと躯の力が抜け、わたしは廊下にへたり込む。
「そもそも侯爵には妻にしたい女性がいたんだ。
ただそれが乳母の孫という貴族の戸籍を持たない女性でね、正式な婚姻さえ結べない間柄だったんだそうだ」
二人の会話は廊下でへたり込んだわたしの耳に容赦なく入ってきた。
「下働きの身分ではこの国の法律上貴族との婚姻は許されていない。
侯爵はこの女性を溺愛していてね。
どうしても正妻の位置につけたかったそうなんだ。
夜会にも堂々と連れ出せない日陰の身分ではあまりに気の毒だとね。
おまけに実力重視だった先々代の国王様と違って現国王陛下は血統第一主義だろう?
愛人の産んだ息子を嫡男に据えても後の苦労が目に見えていることも危惧していた。
そんな時に、グリゼルタのことを知ったようだ。
偶然、その女性と同じ年頃で背格好も同じ、ついでに目と髪まで同じ色の少女。
おまけに社交界で顔をあまり知られていない。
ほら、結婚前でも婚約している娘は婚約者のエスコートなしでは夜会に出られないことになっているだろ。
おまえ婚約中に、グリゼルタ、エスコートして何回夜会に行った? 」
「それは……
ほら、俺こんな仕事はじめたから。
社交界はちょっと、行き難かったっていうか…… 」
伯爵様に責められてエジェがタジタジになって言葉に詰まる。
「もしかして、それにあぐらかいてた俺が悪いってか? 」
「社交界に顔を知られていない、恋人に背格好の似た貴族の女。
少し調べたら、婚約者は家督を継げない伯爵家の三男。
グリゼルタの父親がそこに少なからず不満を抱えていたことまで掴んだらしい。
婚姻を申し入れれば簡単におまえとの婚約が破棄されるのはお見通しだったようだ」
お爺様の決めてくださった縁談。
わたし自身はラッキーだって納得していたんだけど、お父さまの本心は違ったんだ。
ただ、わたしがエジェをだいすきで、貴族から降格することも納得していたから口に出さなかっただけ。
「で?
グリゼルタと結婚してどうするつもりだったんだよ?
グリゼルタ殺せば戸籍も抹消されるだろ? 」
「この先が侯爵の巧妙なところだな。
侯爵はその女に妻のドレスを着せ妻が好んでする髪型に髪を結わせ、妻と同じ化粧をさせ公に連れ出した。
もちろん、子爵令嬢の花嫁と称してね。
国王陛下への謁見まで済ませたって言うんだから、神経が太いだろ?
あとは、できるだけグリゼルタの顔見知りとは接触しないように気をつけてさえいれば、回を重ねるうちにその女が妻だと誰もが認識する。
そしたら、秘密裏にグリゼルタを始末してしまえば、入れ替わり完了。
下働きの娘は侯爵夫人の座を手に入れるって訳だ」
「いや、さすがにそれはないだろう。
知り合いに会わないって、親はどうするんだよ?
兄弟は?
邸には使用人だっているだろーが」
「グリゼルタの父親が不治の病でもう長くないことも、実兄や兄嫁と不仲なのも知っていたようだよ。
子爵が亡くなってしまえば子爵家との縁も切れると踏んでいたようだ。
さすがに子爵の葬儀や、従兄主催の夜会のときだけは、本人を伴っていったみたいだけどな。
最終的にはそれだって何かしらの口実をつければ避けられると計算していたみたいだね」
「はぁあ、それで夜会に一度か」
「妙な噂は常時あったんだ。
ティツアーノ子爵の令嬢は侯爵家に嫁いだ途端、人が変わったように人嫌いになったってね。
中には顔まで変わったって言い出す者もいたんだけど」
「誰も不審に思わなかったってか? 」
「いや、人の奥方にそんなケチつける人間普通いないだろう」
「使用人は、どうやって騙していたんだ? 」
毎日接しているんだ、夜会で時々顔を合わせる貴族連中より厄介だろ」
「自分と女の暮らす別邸へ数人を連れて行き、残りは邸の改装を理由に大半の使用人に休みを与えていてね。
グリゼルタの面倒と監視は信頼の置ける家令が一人で見ていたようだ。
もろもろの事情で暇を与えきれなかった使用人には、妻の家庭教師だと言って誤魔化していたそうだ。
おまえもあの部屋見ただろ? 」
「ああ、どうひっくり返したってあれは客間より粗末だったしな。
あんな部屋宛がわれたら、事情を聞かされていない使用人なら家庭教師かなんかだと絶対思い込むよな」
「そのうちにグリゼルタを始末したら事情を知っている使用人には金を握らせて黙らせ、それ以外の使用人には暇を出すつもりだったらしい」
「良かったな、間に合って」
「全く、運良く二度も邪魔に入るなんてな。
侯爵相当悔しがっていたよ」
「へ? 二度? 」
エジェの声がひっくりかえる。
「おまえが気にしていたあの耳飾り。
侯爵はあれがなんなのか承知の上で手に入れてグリゼルタに渡したそうだよ。
人の生命力を吸って寿命を縮める魔物。
しかも一対になっていて片方の音声を、遠く離れたもう片方で聞き取ることのできる、シロモノだ」
その言葉に自然とわたしの手が自分の耳朶に向かう。
あったはずの紅い石は意識を失っているうちに取り外されていたらしくて、そこにはもうない。
「侯爵と違って魔力を全く持たないグリゼルタなら自分より早く生命力を吸い尽くされ命を落すと見込んでね。
ついでに片方を自分が持っていれば、本宅に一人放り込んだままのグリゼルタの様子も探れる」
だから侯爵様はあのピアスにこだわったんだ。
おまけにあの体調不良もあのピアスのせいだったなんて。
わたしが仕事を探していたのがばれたのだって、そこからだったんだ。
不思議に思っていたことが全部繋がる。
「なんつー奴」
エジェが悔しそうな声をあげる。
「ところがだ。
偶然おまえがあの薬を飲ませてしまったことで、誤算が生じた。
いい加減衰弱の様子が見えそうなグリゼルタはぴんぴんしていて、自分の方が衰弱してくる。
このままではグリゼルタより自分の命の方が先に潰えてしまうと焦った侯爵は…… 」
「夕べとうとう手を出した、か」
「実際侯爵は、自分の足で歩くのも難しいほど弱っていたよ。
おかげでギリギリ間に合った。
恐らくあれが健康体の侯爵だったら、私たちがあの部屋に踏み込んだ時グリゼルタは事切れていただろうね」
「冗談じゃないっての! 」
怒りをぶつけるようにエジェが吐き出す。
「それで、もちろん上に突き出したんだよな? 」
「ああ、それな。
そうしようとも思ったんだが、相手は王族とも血縁がある侯爵だろ。
犯行も未遂だったし、しがない新興貴族が申し立てても握りつぶされるのが落ちだ。
何しろ今の陛下にとっては血統が最優先だ。
王室公爵家との縁もある侯爵に勝てる筈ないだろう。
だから、このことはなかったことにするのと引き換えにグリゼルタもらって来た」
妙な言葉を伯爵様は口にする。
貰うって、何?
「はぁ?
貰ってきたってなんだよ? 」
わたしと同じようにエジェも首をかしげたようだ。
「言葉どおり。
グリゼルタ、貰ってきたから。
おまえ結婚しろよ」
「なっ…… 」
エジェの声が詰まる。
「侯爵は別にグリゼルタに怨みがあったわけじゃないからね。
どんな形であれ戸籍だけ残して消えてもらえばよかったわけだから。
あっさり応じてくれたよ。
さすがに身一つで放り出すのは気が引けるところだろうが、こっちにはおまえっていう身元引受人もいるし」
「どうして、そうなるんだよ? 」
「もともと、そうなるはずだっただろう? 」
「あれは、じーさん達の悪ふざけで……
そもそも、グリゼルタの気持ちはどうなるんだ? 」
エジェが焦りまくっている。
でもって、きっと。
今度は仕事を言い訳に逃げるに決まっている。
毎日女性相手の仕事をしていることで苦労をさせたくないとか、相手が自分でなくてもわたしを幸せにしてくれる男はいる筈だとか、妙な気を使って。
やだ……
そんなの!
もう、エジェの側にいられなくなるのは絶対嫌。
勢いをつけて立ち上がると、部屋の中に駆け込んだ。
※スピンオフ「ホストの俺が……」16話




