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「まさか、そんなことが? 」
一通りの話を聞いてばあやは呆然と呟く。
「侯爵様にはっきり言われたわ。
子供の血統はいいに越したことはないけどわたしの子供は要らないって。
要はわたしじゃなくてわたしの戸籍をお兄様から買ったってこと」
できるだけ声を張り上げて明るく言う。
「……それで、お勤め先のめぼしはついていらっしゃるんですか? 」
暫く黙った後、ばあやは諦めたように訊いて来た。
「うん、新聞の求人欄に『商家のお嬢さんの家庭教師』ってあったから、いってみようかなって。
家庭教師なら住み込みだし、おおよそやることはわかっているし、わたしでも勤まるんじゃないかなって。
それに貴族のお家じゃわたしのこと知っている人もいるから、雇ってもらえる以前に騒ぎになるけど、商家なら貴族じゃないし」
「冗談じゃありませんよ。
お嬢ちゃまは何もわかっていませんね。
商家や落ち目の下級貴族のお宅の家庭教師などもってのほかです!
家庭教師など名ばかりで、対象のお嬢様のお勉強を見るだけではなくお子様全部の子守りから子供服の仕立て、挙句の果てには子供部屋の掃除まで全部押し付けられるのが落ちです! 」
「そういう、もの? 」
ばあやの剣幕に首を竦めてわたしは訊く。
「落ち目の我が家だって、ルイーザの教師はルイーザのこと以外何もしなかったから、裕福なお家なら大丈夫かなって思ったんだけど」
「まぁ、お嬢様がご存知なくても無理ありませんけど。
上級貴族ならいざ知らず、乳母と、子守りと、家庭教師を各子供の年齢に合わせてつけられるお宅は少ないんですよ」
ばあやはあからさまにため息をついて見せる。
「わかりました。
お嬢ちゃま、申し訳ございませんけど、少しお待ちいただけますか? 」
「待つって、何を? 」
「このわたくしにお時間を下さい。
お嬢ちゃまにもお勤めできる仕事を探してみましょう」
「……反対、しないの? 」
思い駆けないばあやの言葉に首を傾げた。
さっきの勢いでまくし立てる様子からしたら絶対ばあや、反対すると思ったのに。
「したい、ところですけれどね。
したところで、お嬢ちゃまどうします?
わたくしを諦めたら今度は別の誰かにお願いに行くだけでしょう。
もともと、ジュスト家のご三男様との婚約も、堅苦しい貴族の世界ではなくもっとのびのび生きさせてやりたいという大旦那様のご希望からでしたから、お嬢様が働くときがいずれあるかもとは思っていましたし」
「お爺様の希望? 」
「そうですよ、ご存知ありませんでしたか? 」
「うん、猫の仔やり取りするように家族にひと言の相談もしないで勝手に婚約決めてきたって話だけしか」
わたしは睫を瞬かせる。
「普通に考えたら、少しお年は離れていますけど、同じジュスト家でも嫡男の方に縁付けるはずなんですけど、大旦那様は敢えて下の方とのご婚約を取り付けたんです。
お坊ちゃまとの線引きをするために」
「お兄様と? 」
「ええ、当時からおぼちゃまはお嬢ちゃまに敵意とも憎悪とも取れる感情を剥き出しにしていましたからね。
もともと旦那様と先の奥様はお互いが別にお付き合いなさっていた方がいらっしゃる同士の政略結婚でしたから、あまり夫婦仲はよろしくなかったと聞いています。
しかし先の奥様が亡くなった原因を、あちらの祖父母がお坊ちゃまに旦那様が浮気を続けたために精神を病んでの病死だとお伝えしたものですから。
幼いお坊ちゃまはそれを鵜呑みになさって、旦那様が後添えに迎えられた奥様とそのお方を母親に持つお嬢ちゃまを敵視なさるようになったんです」
「じゃ、お兄様のお母様がお亡くなりになったのってお母様のせい? 」
わたしの顔から少しだけ血の気が引くのがわかる。
物心ついた頃からお兄様のわたしに対する言動はからかいや悪戯の域を越えていた。
嫌われているのは自覚していたんだけど……
「違いますよ。
夫ではない方のお子を宿して、秘密裏に産み落とそうとなさった為に起こった事故だと聞いています。
ですが幼い子供にその真実を伝えるのはあちらの親御様も躊躇われたのでしょう。
それで適当に病だと伝えた言葉をお坊ちゃまは間違った方向に深読みしてしまったんです。
以後誰が説明しても全く耳を貸さず……
むしろ気を病んでお体を壊されたのはお嬢様、奥様のほうだったんですけどね。
その頃はまだ、前の奥様が実家からお連れになったメイドや従者が勤めていましたから。
ことあるごとに泥棒猫だの、妾の子だのと陰口を叩かれ、ぞんざいに扱われて」
ばあやは悔しそうに顔を歪める。
「ですから大旦那様はお二人の間に将来何かあってはとお思いになったんでしょう。
お嬢ちゃまを伯爵家に縁付かせてお坊ちゃまより身分が上になるようなことをなさるより、平民に落ちることがわかっているほうがお坊ちゃまの溜飲も下がるのではないかと、それに将来お二人の身分を離しておくほうがお互いのためになると、お考えになったようですよ」
「そう、なんだ」
「ええ、ですから、最初のご婚約が成立していたとしても、お嬢ちゃまはどこかでお仕事をすることになっていたかも知れませんし。
そのつもりで、お嬢ちゃまにはバックヤードのお仕事でも何でもお教えしたんですよ。
それに……
本当なら、侯爵家でのお気の毒なお嬢ちゃまの扱い自体を何とかして差し上げたいところなんですけど、身分違いのわたくしが口を出せる話でもありませんし。
せめて旦那様が生きていて下されば、そう言った苦情もあちら様に進言できたのかも知れませんのに」
ばあやは深いため息をこぼした。
「こんなことになるのでしたら、お嬢様がお亡くなりになった時、旦那様の提案通りにお暇せず、無理にでも続けてお勤めするべきでしたわ」
「ばあやは、自分から辞めるって言ったんじゃないの?
わたしの顔を見るのが辛いからって」
少なくともわたしはそう聞いていた。
「嫌ですよ。
誰がそんなことお嬢ちゃまのお耳に入れたんですか?
違います。
お嬢様いえ奥様がお亡くなりになった時に、まだお嬢ちゃまは小さくてメイドをつける年齢ではなかったので、お暇したんですよ。
レディメイドを務めた者を格下のメイドに降ろすのは忍びないと旦那様が仰って。
お嬢ちゃまがメイドをおつけになる年齢になったらまたお勤めさせていただくお約束でした。
ただその前に旦那様がお倒れになってしまって、そのお話は立ち消えになってしまいましたけど。
わたくし、お坊ちゃまとは折り合いが悪かったものですから。
もちろん、こうして暮らして行くには何の不自由もない手配をしていただきましたから何の不満もありませんけど」
ため息混じりにばあやは説明してくれる。
思い出した……
確かまだ小さくてばあやを恋しがってぐずっていたわたしに、毒を含んだ言葉でそう言ったのは、若かりしお兄様だった。
「ごめんなさい、ばあや」
「どうしてお嬢ちゃまが謝るんですか? 」
「だって…… 」
お兄様がわたしをあんなに毛嫌いしていなければ、ばあやの待遇だってもうちょっと変わっていた筈。
「お嬢ちゃまのせいじゃありませんよ。
それより、さっきも言いましたけど、少しだけ待っていてくださいね。
お仕事ならお嬢ちゃまにふさわしいものを探して参りますから。
くれぐれも痺れを切らして得体の知れない求人記事に応募なさらないで下さいな」
「う…… 」
さすがにばあや。
わたしが次にどうするかなんて完全に見通して釘を刺してくる。
「できるだけ早く見つけて連絡しますから」
「あ、ばあや。
その連絡先なんだけどね。
中央マーケット沿いの飲食店が集まる通りにある『風待ちの風車亭』っていうホストクラブの御者さん充てにしてもらえる? 」
せっかくばあやが仕事を見つけてくれても侯爵邸に手紙を送ってもらったら絶対握りつぶされるのは目に見えている。
あくまでも、どうしても、絶対わたしを人目に晒したくない雰囲気満々だもの。
ま、本宅で暮らしている奥様と夜会で連れている奥様の名前が一緒なのに顔が全く違うなんてばれたら、いくら侯爵様でも不味いって気があるんだろうけど。
「ホスト…… なんですか? 」
聞きなれない言葉にばあやは睫を瞬かせた。
「ホストクラブ。
主に女性客を接待してくれる、お店よ。
そこで働いている御者さん夫婦なら信用できるから」
許可は取っていないけど、多分あの夫妻なら大丈夫。
もちろんエジェでもいいんだけど、そしたらばあやにもエジェにも説明が面倒になる。
「そう、ですか?
なんだか怪しげなご商売ですね、どこからそんな…… 」
納得のいかない様子でばあやは首を捻る。
「うん。お願いね」
とにかく言い切る他はない。
「それより、お嬢ちゃま。
ちょっとこちらへいらして下さいますか? 」
不意に何かを思いついたようにばあやはわたしを奥の部屋に誘った。
「少し、じっとしていて下さいね」
わたしを小さなドレッサーの前に座らせるとばあやはその背後に立ちブラシを手に取る。
そして適当に髪の中に挿してあったピンを抜き取った。
編みこんだ髪を解きブラシを通す。
ばあやの優しい手の感触に懐かしいものがこみ上げてくる。
そういえば、お母様の生きていた頃には時々こうしてばあやに髪を梳いてもらったっけ。
ばあやの手に掛かるとわたしの巻き毛が余計くるんってなって、そこに大きなピンクのリボンを結んでもらうのがとても好きだった。
「さ、できましたよ。
お嬢ちゃま」
声をかけられ視線を上げると、正面の鏡に華やいだけれど落ち着いた私の姿が映っている。
同じ纏髪なのに、普段わたしが自分で結っているのとは全然違う。
いつもより少しだけ纏める位置を高くして、纏め残した髪を垂らしただけで印象が変わる。
ドレスには少し幅の広い手編みのレースの付け襟とモノトーンのリボンを足しただけで今風に見えるから不思議。
「これくらいならお嬢ちゃまにもおできになりますでしょう。
奥様になったとは言ってもまだお若いのですから、このくらい遊んでも大丈夫ですよ」
「ありがと、ばあや」
わたしは振り返るとばあやを見上げる。
装いが少しだけ華やかになっただけなのに、なんだか気分まで華やぐ。
「いくら手を貸してくれる人間がいないからって言っても、お嬢ちゃまはかまわなすぎなんですよ」
「そうぉ? 」
口では首を傾げてみるけど、心当たりはある。
家庭教師が辞めてテオの乳母が辞めて、テオの相手をするようになってから毎日忙しくて、そんなの全く気にしなかった。
その延長戦で侯爵様のお邸に移って山ほどの暇を持て余すようになっても、そこまで気が回らなかった。
そもそも、あんな暗がりに押し込められてお洒落も何もない。
時々婦人誌の記事を読むけど、そんなのわたしには全く縁のないものだと思い込んでいた。
「お仕事をはじめられるというのであれば、このくらいは装ったほうがいいですよ」
ばあやは満足そうに何度も頷いた。
※スピンオフ「ホストの俺が……」114話




