5-6
押し黙ってしまったわたしに、余計なことを喋ってしまったとでも思ったのだろう。
さっきまで饒舌に喋っていた御者さんの口も止る。
妙に沈んだ空気が広がる。
「お嬢さん、着きましたぜ」
暫く走った先で御者さんがようやく口を開く。
その声に顔をあげると何時の間にか馬車は家込みの中を通り過ぎ城門近くの丘陵に近付いていた。
「ありがとう、ここでいいわ」
一本の大きな杉の木を目に言う。
「目的の場所までお送りしますよ? 」
親切に言ってくれる。
「確かこの辺りなの。
歩いても直ぐそこだから、平気」
止めてもらった馬車から降りる。
「しかし、なんだってこんなところに?
ここにゃ年寄りしかいませんぜ」
御者さんが首を傾げる。
それもそのはずで、ここアッケ地区は貴族のお家で長年働いた家令や執事が引退後居を構えることで有名な場所。
「昔面倒を見てもらったばあやがね、住んでいるの」
「そうでしたか。
で? お帰りはどうします?
待っていますぜ」
「ううん、平気。
ここからなら歩いて帰れる距離だし、何時まで掛かるかわからないから、待っていてもらうの申し訳ないし。
ありがとう、助かりました」
わたしは御者台に笑いかける。
「そうですかい?
じゃ、お帰りは気をつけてくだせぇ」
馬車が廻ってきた道を引き返して行くのを見送って、わたしは側にあった杉の木を見上げる。
「アッケ区、大杉通り奥の3。
住所の番地だとこの辺りなんだけどな」
ついで持ってきたメモを取り出した。
たしか、この木の脇を少し奥に入ったお家がばあやの今の住まいの筈。
周囲を見渡すと杉の木の奥に誰かが立っている人影が見える。
ここは迷っているより訊いちゃったほうが早いよね。
「すみません! 」
わたしは人影に声を掛け走り寄った。
「何か? 」
白い髪の初老の婦人が振り返ってくれる。
「この辺りに…… 」
メモを差し出し顔をあげる。
「マレナばあや? 」
少し老けてはいるけれど、以前良く見知っていた顔に思わず声がこぼれる。
「グリゼルタお嬢ちゃま? 」
婦人も驚いたように目を見開き呟いた。
「そうよ、わたし。グリゼルタ。
元気だった? ばあや」
「まぁま。
久しぶり、すっかりお綺麗になって…… 」
「突然ごめんなさい。
事前に何の連絡もしないで訪ねたりして」
とりあえず謝る。
誰かのお家を訪ねる時は予め訪問を知らせる手紙を書いて、許可のお返事を頂いてから訪問しましょう。
とかいったマナーを教えてくれたのはこのばあやだから。
だけど、手紙を書いたって返事を握りつぶされるのは目に見えていたから非常識を承知で突然来てしまった。
「暇を持て余しているわたくしのような老人は、大歓迎ですけどね」
ばあやは軽い笑い声をあげる。
「……もちろん普段はこんなことはしてないわよ」
「是非ともそうしてくださいな。
お一人ですか?
従者は? 」
わたしの背後を見渡してばあやは首を傾げた。
「馬車には帰ってもらったわ」
ばあやにしてみれば貴族の婦女子が付き添いもなく乗って来た馬車も見当たらないのは想定外のはず。
心配はかけたくないから、もろもろ端折って言う。
「そうですか。
立ち話も無粋ですからどうぞ」
言いながらばあやはその敷地に建つ小さな家の中へ誘った。
ドアを潜ると狭いエントランスホール。
それを挟んで両手にドアが一つずつのシンプルな造り。
ばあやは先に立って右手のドアを開いた。
そう広くはないけれど、落ち着いた配色の家具が置かれ窓から穏かな日差しの差し込む、居心地のよさそうな居間が広がっている。
奥の方にもう一つのドア。
外観が平屋建ての小さな建物だったから恐らく寝室かな?
それだけの家。
だけど隅々まで掃除が行き届いて風が通って気持ちいい。
あの埃だらけの侯爵邸とは雲泥の差。
「お茶を淹れてきましょうね。
かけて休んでいてくださいな」
そう言ってばあやは反対側のドアへ姿を消す。
一人残されて、周囲を見渡すと壁際に置かれた小ぶりのチェストの上に小さな肖像画が飾られていた。
「お母様よね? 」
金色に煙る髪に青い瞳のわたしと同じ位の年の少女が穏かな笑みでこちらに笑いかけている。
「その奥様のミニアチュールは、わたくしが、ティツアーノ邸をお暇するときにお願いしていただいたものなんですよ」
肖像画に見入っていると、背後からばあやが声を掛けてきた。
「いい笑顔よね」
振り返ってチェストの前を離れソファに移動しながら言う。
「ええ、それが描かれたのはご婚約が決まって一番華やいでいたお年の頃でしたから」
言いながらばあやは持ってきたトレーをテーブルに降ろした。
「ごめんなさいね。
通いの家政婦は午後からでないと来ないから」
言って手ずからお茶を淹れてくれる。
「それにしても……
言いたくはありませんけど、なんですか、その身なりは。
侯爵夫人はそれなりの品位のある出で立ちをなさるものですよ」
さすがばあや。
普通の人だったら言い難いことを遠慮なく言ってくる。
「言わないで、ばあや。
わたしが不器用なの知ってるでしょ? これでも手一杯なんだから」
わたしは口を尖らせる。
前髪を少しだけ残して、残りの髪を頭頂部で纏め、編んだ後ピンで留める。
後れ毛を残してカールを垂らすとかバランスを必要とする高度な技は自分の手だけじゃ無理。
ついでに言うと、着ていた訪問用のドレスも実家から持ってきたお義姉さまのお下がりを直したもので少し流行遅れ。
「メイドは何をやっているんですか?
差し出がましいですが、髪を結うのにも手を貸さないような奥方様つきのメイド、手っ取り早く交代させたほうがいいですよ。
お邸の中に適任がいなければ新しいメイドをお雇なさいな」
呆れたように言ってくる。
「そうじゃ、ないのよ。
わたしの身の回りのことは家令さんが見てくれているけど、まさか男の方にヘアセットまでお願いするわけにいかないでしょ? 」
「妻のメイドの手配もなさらないなんて、侯爵様は何をなさっているんですか! 」
ばあやは呆れたように目を見開く。
「何にも。わたしをお邸に放り込んだまま、めったに顔も見せないわ」
「きっとお忙しいのでしょうね。
侯爵様ともなると王族方とのお付き合いもかなりの幅になると聞いてますよ」
ばあやは少し焦ったように言い繕ってお茶を入れる。
「それで、今日は何のご用事ですか? 」
丁寧に入れた水色の綺麗なお茶のカップを差し出しながら、あやは訊いてくる。
「んと、
贈ってもらったショールのお礼と、お見舞い。
ばあやわたしの結婚式来てくれなかったでしょ?
もしかして具合でも悪いのかなって、心配になったから」
「何を仰っているんですか、お嬢様。
お礼のお手紙なら頂きましたよ。
それに結婚式は身内だけで内輪で済ませることになったからとお聞きしましたけど」
ばあやは笑みを浮べついで軽く首を傾げた。
そっか、結婚式の参列者が異常に少なかったのって、予めお断りしていたからなんだ。
そんな小細工までしていたなんて全く気がつかなかった。
さっきの御者さんの話といい、どこまで手をかけたんだろう。
「何か? 」
考えに気をとられ黙ってしまったわたしの顔をばあやが覗き込む。
「ううん、なんでもない。
これ、ばあやに食べてもらおうと思って作ってきたの」
わたしは持ってきたバスケットを差し出す。
ベリーのタルトとベーコンのキッシュ。
どっちもばあや、好きだったはず。
「まぁ、お嬢ちゃまが? 」
ばあやの顔が嬉しそうに綻ぶ。
「……その、昔ばあやに作ってもらったのほど上手にできているかわからないけど」
「あら、上手にできてますよ」
バスケットの中のタルトをお皿に移しながらばあやが言ってくれる。
お料理も最初はばあやから教わった。
婚約者がいずれ貴族の籍を抜け普通の生活をする人なら、必要不可欠になるからって。
「侯爵夫人ともなると色々忙しいでしょうに、お手数をかけましたね」
「ううん、全然忙しくなんてないのよ」
そう、ねぎらってもらうほどどころか、むしろ全く忙しくなんかない。
「あら、貴族同士のお付き合いは大変でしょう。
侯爵家ともなると毎晩晩餐会や、夜会でろくに休む暇もないのでは? 」
ばあやが首を傾げる。
「そう言うのは、もう一人のわたしがやってくれてるわ」
言わないつもりだったのに、懐かしい顔に気が緩んだのか、ポロリと本音がこぼれた。
や、今日はそうじゃなくて紹介状をお願いに来たんだった。
ばあやに余計な心配かけさせてどうするのよ、わたし。
「お式を挙げてからまだ半年も経っていないのに早速愛人問題ですか? 」
見透かしたように言ってばあやはため息をこぼした。
「いいの。それは解決済み。
ばあやだって、そんなの当たり前。
そう言ったこと巧くやり過ごせるかで貴族の奥方の手腕を見られるって言いたいんでしょ」
どこにいっても聞かされるだろう同じ言葉をこれ以上聞きたくなくて、わたしはばあやの口を封じた。
そんなのわたしがギャいギャい言わないで大人しく見てみぬ振りしていればいいだけの話。
むしろ騒がず静観していなければ、侯爵夫人としての品位を問われる。
「それでね、ばあや。
お願いがあるんだけど…… 」
「なんですか? わたくしにできることだと良いのですが」
ばあやが首を傾げる。
「紹介状、書いてくれない? 」
「紹介状ですか? 」
「そう、家庭教師の」
「それでしたら、ご自分でお書きになればよろしいじゃありませんか」
「元ハウスキーパーの紹介状より、現侯爵夫人の紹介状の方が格が上がりますよ」
「そうなんだけど、ね。
侯爵夫人の紹介状じゃ都合が悪いの」
万が一面接先から問い合わせがあったりしたら侯爵様にわかってしまう。
「そう言うことなら構いませんけど……
それで、どなたの? 」
「……わたし、の」
「お嬢ちゃま、何を言ってらっしゃるんですか?
第一、夫である侯爵様がお許しにならないでしょうに」
ばあやは目を丸くした。
「お願いよ、ばあや。
侯爵様はわたしのことなんてなんとも思っていないわ。
ううん、いっそ消えてくれたら嬉しいとかなら思っているかも。
もう、あんな狭い暗がりの部屋に一人で閉じ込められて過すのは真っ平! 」
思わず叫び声になる。
「どういう、ことですか? 」
ばあやが動きを止め、呆然とわたしを見つめて呟くように訊いてきた。
「あ、今のは聞かなかったことにして。
単なるわたしの妄想だから」
わたしは慌てて首を振る。
「嘘仰いますな。
お嬢ちゃまがこんな時に妄想を口になさる人間でないことはこのわたくしが一番存じておりますよ」
ばあやはわたしの目から視線を外さずに詰め寄ってくる。
「実は、ね…… 」
その気迫に逆らえなくて、わたしはここに来ることになった経緯をおおよそ口にした。




