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マーケットの一角で、コインと引き換えに受け取った紙袋の中身を確認する。
小麦粉と、砂糖、木の実の粉二種。
うん、間違いない。
バターとミルク、卵はさっき別のお店で買ったから、あとはお隣でベーコンを買って、ベリーかベリーのジャムを数種類、かな?
確か果物を扱う露天はこの先にあったはず。
二つの紙袋を抱えて先を急ぐ。
目的の果物屋さんの前で足を止めた。
「お嬢さん、お買い物ですか? 」
店先で不意に年かさの女性に声を掛けられた。
「えっと、エジェのところのメイドさん?
先日は夜中に送ってもらって、ありがとう」
思い出して頭を下げる。
「どう致しまして。
今日は、何を?
珍しいですね、お嬢さんみたいな方が朝早くのマーケットでお買い物なさっているなんて」
メイドさんは首を傾げる。
「良かった、丁度行こうと思っていたところなの。
あのね、エジェのお店のキッチン貸してもらえませんか? 」
「構いませんよ。
旦那様にも、ご自分がお留守の時にもしお嬢様が尋ねていらしたら協力してあげて欲しいといわれていますし」
メイドさんは笑顔を浮べる。
やっぱりエジェだ。
きっとこの間の晩のあと、心配してくれていたんだと思う。
もうすっかり縁なんか切れちゃってるのに、こういう心遣いを忘れていない。
「お持ちしますよ」
わたしの抱えていた紙袋の一部を手にとると早足で歩き出した。
「ごめんなさい、朝早くから」
慌ててそれに続きながら言う。
お店がお店だもの、夜遅い分朝だって早くはないはず。
「いいんですよ。
お店は夕方からですけど、マーケットは早朝でないといいものがありませんからね。
お店に出す食材の仕入れはこの時間でないと…… 」
マーケットの脇にある小さな路地の一角でメイドさんは足を止め、ドアを開いた。
「申し訳ありません、まだ買い物が残っていますので失礼しますけど、道具はご自由に使ってください。
オーブンも直ぐに温まると思います」
手早く炉の火を掻きたて薪を足してくれると急がしそうにまた出てゆく。
なんか、タイミングの悪い時間にきちゃったかな?
少しだけ罪悪感を抱えながら買い込んできた荷物を調理台に広げる。
ばあやの家を訊ねるのに持っていくお菓子を焼こうと思ったんだけど、キッチンを借りられる充てなんてここしかなかった。
侯爵邸の厨房は家令さんが死守しているし、実家はお義姉さまの目が光っている。
まさかジュスト伯爵様のお家って訳にもいかなくて、残ったのはここだけ。
わたしの生きている世界ってホントに狭いんだなってつくづく感じた。
気を取り直して必要な道具を探す。
粉を振るっているうちにオーブンが温まりキッチン全体に温もりが広がった。
バターを練って砕いた砂糖を合わせる。
卵を足して……
伸ばした生地を型に入れてオーブンへ。
うん、暫くお菓子なんて焼いていなかったけど、何とか手順は憶えている。
暫くすると香ばしいバターと卵の焼ける匂い、それにベリーの香りがキッチンに充満する。
オーブンを開け焼き上がりを確認していると、キッチンのドアが開いた。
「お帰りなさい、丁度今焼きあがったところよ」
振り返ると同時にわたしの目が見開かれた。
「グリゼルタ、お前ここで何してるんだ? 」
パジャマ姿のままのエジェが眠そうに目を擦りながら訊いてくる。
「ごめんなさい、キッチンお借りしてます。
あのね、あとで言うつもりだったのよ?
エジェ、寝たばかりだろうと思ったから、起こしちゃ悪いから」
とりあえず謝る。
本当は、事前にエジェに断りたかったんだけど、ここのところ毎日家令さんの目が光っていてなかなか外出できなかったんだもの、仕方がない。
「それは構わないけどな。
いいのかよ? 侯爵家の奥様がこんなことしていて。
俺、言ったよな?
暫くじっとしていろって。
邸でどっしり構えていないから、使用人に見下されるんだろ? 」
呆れたように言われる。
「どこにいたって一緒よ! 」
そのひと言に無性に腹が立った。
邸の中の質素な部屋に押し込められて、まるでいないように扱われて、どうして堂々と構えることなんかできるんだろう。
わかっている、八つ当たりだって。
だけど、抱えた怒りがもういっぱいいっぱいで、押えても溢れ出してくる。
焼きあがったタルトの半分を冷めるのも待たずに持ってきたバスケットの中に詰め込む。
「遅くなりました。
あら? いい匂い…… 」
バスケットを抱えて丁度戻って来たメイドさんの脇をすり抜ける。
「ごめんなさい!
キッチン使わせてもらってありがとう。
お皿の中のは皆さんで召し上がってね」
メイドさんに慌てて言う。
「あ…… おい! 」
後から追ってくるエジェの声を無視して店を飛び出した。
裏口につけられた荷下ろし最中の荷馬車の脇をすり抜けて通りに出ると一緒に駆け出した。
細い裏路地を出るとマーケットの並んだ広場を抜ける。
今朝方人でごった返していたマーケットは若干落ち着きを取り戻していた。
暫く歩いていると、怒りに任せて駆けるような勢いの足取りが、少し遅くなる。
「……エジェの、莫迦」
呟いてはみるけれど、本当に悪いのはわたし……
「お嬢さん、まってくだせぇ! 」
馬車の行き交う大きな通りの片側をのろのろと歩いていると、背後から呼びかけられた。
多分、わたしのことよね?
周囲を見渡して確認する範囲に、『お嬢さん』と呼びたいような若い女性は見当たらない。
わたしの隣を走り抜けた荷馬車が止る。
「どちらまで? 送って行きますよ」
御者台の上からエジェのところの御者さんが声を掛けてくる。
「忙しいでしょう? わたしは大丈夫だからお仕事に戻って」
そんなつもりはまるでなかったので遠慮する。
「そういわないで下さいよ。
旦那から言いつけられているんで、このまま帰ったらわしが叱られちまう」
御者さんは困った顔をする。
「エジェが? 」
「へい。仕事に戻れって言うんなら、お嬢さんを送っていくのが仕事でさ」
「そう? なら、お願いしていい? 」
わたしは馬車に向き直る。
「急なことだったんで、馬を繋ぎなおす暇がなくて荷馬車で申し訳ないが」
御者さんは申し訳なさそうに荷台を振り返る。
降ろしかけだったのにわたしを追ってきてくれたのか、荷台にはまだ数個の木箱が乗っていた。
「ううん。
こっちこそごめんなさい。お仕事中断させてしまって」
手を借りて御者台に引っ張りあげてもらいながら謝る。
「構いませんよ。
旦那にとってお嬢さんは特別みたいですから。
わしらにも、特別でさ。
それで、どちらまで? 」
「あ、西の城門近くのアッケ地区まで。
特別? わたしが? 」
行き先を言うと馬車はゆっくりと進みだす。
「そうすよ。
仕事柄、女性には誕生日にお花を贈ったりとマメな旦那ですがね、普段はきちんと線引きをしていて、ご自身のプライベートスペースには絶対に女性をいれないんだ。
表の従業員やわしらにも、くれぐれも思わせぶりに取れるような軽はずみな態度はとるなってきつく言われるんだ。
その旦那がわしら夫婦にも『訪ねてくることがあたら便宜を図って欲しい』などと言いつけなさったのは、後にも先にもお嬢さん一人だよ」
「そう? なの? 」
「嘘じゃありませんよ。
わしら夫婦は旦那が店をはじめた時からお世話になっていますから、ずっと見ていましたから。
当時旦那には婚約をしていたお嬢さんがいたんですが、そのお嬢さんさえ一度もお連れしたことはなかったんでさ。
ああ、そのお嬢さんとの縁談は結局破談になってますがね」
相手がわたしだとは知らないだろう御者さんは気を使ったように話を続ける。
「そういえば、あの時の旦那の荒れ様はなかったな」
「荒れ様? 」
「ああ、何でも古酒の出物があるとか何とか知人に誘われて、外国に買い付けに出かけている間に、話が進んでな。
あっという間に婚約破棄が成立して、そのままその娘は別の男の所に嫁に行っちまった。
旦那の兄さんが何度か連絡をとったようだったが、何故か全く連絡が取れなくてな。
後でわかったことなんだが、買い付けに同行していた人物ってのが、元婚約者の旦那になった男に買収され、兄さんからの手紙を握りつぶしていたって話だ。
しかもあちこち引っ張りまわして時間稼ぎまでしていたらしい。
戻って来た時にはもう結婚式どころか国王様への挨拶も済んじまってたってわけだ」
「そんな、酷い…… 」
侯爵様との縁談が進んでいたあのとき、確かにジュスト伯爵様がエジェに連絡をとってくれた筈なのに、結局エジェの帰国は遅れに遅れて戻って来た時には結婚式も終わっていた。
「酷い話だろう?
まぁ、元婚約者の結婚した相手ってのが旦那より身分の高い資産家だったって言うことと、そこまでしてもその娘を嫁にしたかったって言う相手の男の心理に免じて、旦那も無理に納得したようだが。
暫くは、話し掛けるのも怖いような顔をしてましたぜ」
「そう、なんだ…… 」
御者さんの言葉にわたしは、そっと目を伏せる。
胸が痛んだ。
まさか、侯爵様とお兄様でそんなところまで小細工していたなんて……
そんなエジェに、さっきわたし酷いこと言ってしまった。
もう、エジェのお店には行けないな……




