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5-1

 

 夜半すぎの外の空気は思ったよりも冷たかった。

 呼吸をすると、胸に冷たいものが広がる。

 そのせいか、呼吸が浅くなる。

 胸に締め付けられるような痛みが走った。

 

 エジェのお店のある中央広場の脇まで何度足を止めただろう。


 深夜、主にお酒を提供する飲食店の並んだ通りに下げられた風車の看板を目差す。

 

「風待ちの風車亭」


 それがエジェのお店の名前。


 お客様を『風』に見立てて、風次第で動く風車と同じようにお客様によって動きます。

 そんな意味があるとかって、いつかエジェが言っていた。

 

 ようやく店の前まで来る。

 なんだろう? 妙に息が切れて苦しい。


 お店のドアを開ける前に、切れた息を整えていると不意に店の明りが消えた。

 

 そっか、いくら営業時間が夜のお店だっていっても、日が昇るまで営業しているわけじゃない。


 仕方なく裏口に廻ると、丁度従業員らしい若い男性が何人も出てゆくところだった。

 それをやり過ごして、裏口のドアから建物の中へ滑り込んだ。

 

 人が帰ってしまったお店の裏は静まり返っていた。


 でも、確かエジェはここで寝起きをしているはず。

 ジュスト伯爵様のお屋敷や診療院以外にも確かエジェ個人のおうちを持っていたはずなんだけど、ここのほうが便利だとか何とか。

 あの女性に対してはまめなエジェからは考えられないずぼらな話なんだけど。

 

 明りの落ちた暗い廊下に足を踏み入れると、少し先にかすかに蝋燭の炎が揺らめいているのが目に入った。

 

 多分、エジェよね? 

 

 そのかすかな明りの場所を目差してすすむ。

 ドアのないキッチンの入り口をくぐると、その隣、恐らくパントリーと思われる扉の前でエジェが困った様子で大げさな息を吐いていた。

 

「なに、ため息なんかついているの? エジェ」


 そっと近寄って声を掛ける。


 予期せぬ声にエジェの躯がかすかに竦む。


「ぐ、グ、グリゼルタ? 」


 慌ててわたしの方に振り返った。


「ナにやってるんだよ? こんなところで。

 っていうか、何処から入った? 」


「何って、エジェに会いに来たんじゃないの。

 裏口、まだ鍵開いていたわよ」


 しれっと言って首を傾げる。


 従業員の帰った後、戸締りも確認していないなんて、やっぱりエジェどこか抜けている。


「ああ、そうか…… 

 まだ皆を送っていった御者が帰ってこないから」


 納得したようにエジェが呟く。


「とにかく、こっちへ」


 エジェは向き合っていたドアを開くと手に持っていた何かを無造作にその部屋に放り込み、慌てて鍵をかけた。


 まるで見られでもしたら困るものでも入っているみたい。


「エジェ? 

 今何か隠さなかった」


 怪しい雰囲気まんまんでつい興味が湧いてくる。

 隠さなくちゃいけないものってなんなのだろう? 


「何でもない。

 物置っ! その、散らかってるから」


 益々怪しい。


 でも、これ以上詮索したらいけないわよね。

 必要があればそのうちに話してくれると思うし。


「そう? そう言うことにしていけばいいのよね」


 一応からかい半分に「疑ってますよー」って念を押す。

 

「こんな時間に何の用だ? 

 まあ、立ち話もなんだし、来いよ。

 事務所だから何にもないけど、椅子だけはある」


 一刻も早くここを立ち去りたいかのように誘ってくる。


「でも、エジェの事だもの。

 何処のお部屋だって大して変わらないんじゃないの? 」


 先に立って厨房の奥へ歩き出すエジェのあとを追いながらからかってみる。

 昔からエジェは、お部屋の整理の類が苦手なのは知っている。


 案内された部屋にはまだいくつかの燭台の上でとぼれ掛かった蝋燭が燃えていた。

 灯火の中にいくつかの家具が浮かび上がる。

 質素な壁紙の張りめぐらされた室内には似つかわしくない豪華な細工の入ったソファが置かれ、同じくいかにも高価そうな書き物机とカップボード。

 書き物机の上の書類は隅にまとめて積み重ねられていて、贅をつくした家具とは不釣合いな瓶の入った木箱がその隣にきちんと並んでいる。

 壁を背に置かれたカップボードの中には凝った細工のグラスがこれも種類別に整理されていた。


「意外。

 思った以上に片付いてるのね」


 その光景を目にわたしは足を止め、エジェに歩み寄り両手を伸ばす。

 エジェの首に手を廻し自分の方にできるだけ引き寄せると、唇を重ねた。

 あの日から、忘れたことのなかったエジェの吐息、エジェの温もり。

 それだけで、冷え切った躯が温まっていくような気がする。

 

 いけないことなのかも知れないけど、止められなかった。

 あと少し、もうちょっとだけ、その温もりを感じていたい。

 ……そんな欲にかられる。

 

 ……侯爵様がその気なら何もわたしが遠慮なんかする必要ないのよね。

 夫婦仲の冷えたご夫妻がお互い愛人を連れて夜会でばったり。

 なんてふざけた話もあるくらいだし。

 子供の戸籍云々だけならまだしも、形だけでも妻として遇する気もないんだから、自業自得よ! 

 

 なんて自分を正当化して。

 

 もちろんエジェの方は明らかに慌てて、わたしの重なった唇を引きはなそうともがく。

 エジェってばこういう商売しているのに、ううんこういう商売しているからこそ、この手のことには自分に厳しく線引きをしているんだって判る。

 

 だけど、お願い、もう少し…… 

 もう少しだけこのまま、この熱を感じていたい。

 

 なのに、エジェったら。

 わたしの両肩を鷲掴みにして強引に引き離しに掛かる。

 

「やめろよな、悪ふざけが過ぎる」


 乱れた息を整えながら言うエジェの声が冷たく響いた。


 怒ったように明らかに視線を反らす。


 非常識なことをしているのはこっちなんだから、怒られても仕方がないんだけど…… 

 

「……悪ふざけじゃないもの」


 こっちは真剣、大真面目。

 逃げるエジェの目を追いかけ見つめながら訴える。


「もう少し、自分の立位置とか考えろよ。

 そんなに子供じゃないだろう? 」


 エジェは当たり前の言葉を突きつけてくる。

 

 わかってはいるけど、その冷たい言葉に視界が潤む。

 

「立位置なんて、ない、もの…… 」


 呟くと涙がこぼれた。

 

 途端にエジェの顔が慌てふためく。

 

「おい、どーした? 

 何があったんだよ? 

 旦那の侯爵と喧嘩でもしたのか? 」


 言いながらわたしを部屋の片隅に置かれたソファに座らせる。

 ついで傍らの戸棚から小瓶を取り出し、グラスに注いでわたしの前に差し出した。


「ほら、これでも飲んで少し冷静になれよ」


 ほのかにオレンジ色をした妙な液体に、少しだけ危機感を覚え、わたしはそれを受け取ることを躊躇した。


※スピンオフ「ホストの俺が……」12話

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