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2-1

◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆

 

 

 

「グリゼルタ、グリゼルタ…… 」


 誰かに呼びかけられわたしは顔をあげる。

 エジェの声によく似た、でもそれよりもっと甘い声。


「ここ、どこ? 」


 ぼんやりと周囲を見渡すと、見慣れない内装の廊下が視界に広がる。

 ほとんど家具もなく壁に装飾もないけど、壁の漆喰は塗られたてのように真っ白で、磨きこまれた床材も豪華。


 そのちぐはぐな光景にわたしは首を傾げた。


「私の診療所だよ」


 声の主が教えてくれる。


 だけど、どういう経緯で自分がここに座っているのかわからない。

 倒れたまま気を失ってしまったエジェオを抱きかかえ、周囲に助けを求めて叫んだあとからの記憶がない。

 気が付いたら、ここでエジェによく似た、でもそれより年嵩の男性に呼びかけられていた。


 確か、この顔は…… 

 そう! 魔術医でエジェのお兄様のジェルジョ伯爵様。

 まだはっきりとしない頭でようやくそれだけ思い出す。


「あ、ジュスト伯爵様」


 その名前をようやく口にする。

 そしたら芋蔓式にさっきまでの出来事が一度に頭に浮かび上がった。


「エジェは? エジェはどうなったの? 」


 わたしは伯爵様にすがり付いて訊く。


「落ち着いて、グリゼルタ」


 胸にすがり付いてそのシャツを握り締めるわたしの手をそっと引き離しながら、伯爵様はわたしの目を見つめてきた。


「大丈夫、心配はいらないよ。

 あいつ君を突き飛ばした後、きちんとよけたみたいだ」


 伯爵様はわたしに不安を抱かせないようにとでも言うようにできるだけ穏やかな笑顔を浮かべてくれる。


「良かった。

 会える? 」


 その笑顔のおかげか、ようやく少し頭が覚める。

 一つ息を吐いて、わたしは伯爵様に顔を向けて訊いた。


「ただ、その。

 なんと言うか、君を助けるのにろくに持っていない魔力全放出したみたいで、前後不覚に眠ってる」


 少し困ったように伯爵様は言う。


「魔力? 」


 妙な言葉にわたしは首を傾げた。


 そういえば、咄嗟のことで何がなんだかわからなかったけど、あの時躯がありえない風に浮かんだ気がした。

 だけどエジェが魔術を使えるなんて話、これまで一度も聞いたことがなかった。


「知らなかったかな? 

 ジュスト家は魔術医の家系だからね、魔力を持っている人間が多いんだ。

 残念ながらエジェオは魔術師や魔術医になれるほどの魔力は持っていないけどね。

 それでも咄嗟の時には無意識に魔術を発動させることがあるんだよ」


 伯爵様が簡単に説明してくれる。


 世の中には魔術を使える魔力を持つ人が時々いる。

 遺伝らしくて、ある特定の家系とその血縁関係者の一部に魔力持ちは限られる。


「……そうよね。

 魔術医の伯爵様の弟なんだもの、魔力が全くないほうがおかしいのよね。

 何故、今までそんな簡単なことに気が付かなかったのかな? 」


 少し動揺してわたしはつぶやく。


「魔力持ちは時々人に奇異な目で見られるからね。

 エジェオはきっと君に伝えて怖がられたり、嫌われたくなかったんだと思うよ。

 それより、おいで。

 今度は君の番、だ」


「わた、し? 」


 言われたことがわからずにつぶやく。


 伯爵様はわたしの手を引いて立たせると、肩を押して隣の部屋に促した。


「この傷、治療しないと。

 化膿したり痕が残ったら大変だからね。

 薬品の入った瓶が並んだ棚に取り囲まれた室内の、簡素な椅子にわたしを座らせると、伯爵様は二の腕をそっと持ち上げて確認するように覗き込む。

 その視線につられて、わたしも目を向けると軽い擦り傷がついている。


「このくらい平気。

 全然痛くないのよ。

 今、言われるまで気が付かなかったし」


 わたしは首を横に振る。


 気が付いたせいかそれまで痛みを感じなかった傷が己を誇示するかのようにひりついた。


「駄目だよ。

 最低でも消毒しないとね。

 未来の弟嫁、怪我させたまま帰したら、ティツィアーノ子爵になんて言えばいいんだい? 

 それにエジェオにも怒られる」

 

 

 手際よく傷を洗い、異常に染みる薬に浸した後、妙な匂いの軟膏を塗った上で巻いた包帯の上を伯爵様は軽く叩く。


「これで良し。

 軽い擦過傷だから明日には痕も消えているよ」


 さすが魔術医の治療。

 この時点で痛みは嘘のように消えている。


「ありがとうございます」


 包帯を巻かれた部分をそっと擦りながらわたしは軽く頭を下げた。


「それにしても、災難だったね。

 暴走した馬車に突っ込まれるなんて」


「災難はエジェのほうよ? 

 わたしを庇わなければ逃げられた筈だもの。

 でも何故馬が暴走したのかしら? 」


 訓練されて馬車まで引いている馬が何の原因もなく突然暴走するなんて話、訊いた事がない。


「急に道に飛び出してきた犬に驚いたようだよ。

 君達をここに運び込んだ人が言っていた」


「犬? 」


 その言葉にわたしの顔からどっと血が引いた。

 脂汗が浮かんで、息が苦しくなる。


「どうした? 」


 明らかにわたしの顔は青ざめているのだろう。

 伯爵様が心配そうに訊いてくる。


「わたしのせいなの。

 わたしが道に飛び出してきた犬に躓いたりしたから…… 

 どうしよう…… 」


 言っているうちに身体が震えてきた。


「躓いた? 

 犬に? 」


「そう、家の間の小路から急に飛び出してきたの。

 小さな犬だったから目に入るのが遅くて、歩いていたわたしの足に当るようになって。

 っていうか、偶然蹴るみたいになってしまって…… 

 だからよね。

 あの時わたしがあの小犬蹴らなかったら、馬を脅かすようなこと…… 」


 視界が揺らぐ。

 息が苦しくて、両掌を握り締めて力を入れていないと、伯爵様に震えているのがわかってしまいそう。


「大丈夫だ。

 気にしなくていい。

 君とエジェ以外怪我人も出なかったし。

 馬も落ち着いたそうだよ」


 伯爵様は穏かな声でわたしに言い聞かせると子供にするように抱き寄せてくる。

 そしてなだめるようにそっと髪を撫でてくれる。


「そもそも、予告もなく小路から飛び出してきた小犬を、意識してよけるなんて無理だろう。

 偶然だよ。

 グリゼルタのせいじゃない。

 グリゼルタが躓かなくても犬は馬を脅しただろうし。

 君がそんなに気に病む必要はないんだよ」


 背中に回した手で軽くわたしの肩を叩いて言う。


 何故だろう、それだけのことでわたしの中に芽吹いた不安と恐怖がふっと消えた。


「落ち着いたかな? 」


 わたしの息遣いを確認したかのように伯爵様はそっと身体を離す。


「さて、遅くなってしまったね。

 馬車で送るよ」


 立ち上がりながら伯爵様は言うと使用人を呼ぶつもりか、テーブルの上にあったベルへと手を伸ばす。


「暫く、ここに居ちゃ駄目? 

 エジェの目が覚めるまで」


 わたしは首を振りながら伯爵様にお願いしてみる。


 目を覚まさないエジェをそのままに、家になんか帰れない。

 帰ったところで気になって、何も手につかないことは明らかだもの。


「弱ったな…… 」


 伯爵様は渋い顔を見せた。


 わかっている。

 余所のお家に居座るなんて本当は非常識だってこと。


 でも…… 


「お願い、エジェは婚約者だし、いいでしょ? 」


 だめもとでとにかく頼んでみる。


「そうは言っても、結婚前のお嬢さんを泊める訳にはね」


 帰ってくるのは案の定の言葉。


「だって、わたしのせいなの。

 わたしが犬に躓かなければ、驚いた犬が道に飛び出して馬車馬を驚かすことなんてなかったんだもの! 」


 とりあえず食い下がってみる。


「仕方ないね。

 どうやらお嬢さんは事故の後の経過観察が必要なようだね。

 入院決定かな? 」


 とうとう伯爵様が折れてくれた。


 いかにも諦め半分のため息混じりながらも言ってくれる。


「いいの? 」


 わたしは目を輝かせた。


「子爵家にはそう連絡しておくよ。

 じゃ、私はこのあとまだ診察が残っているから、エジェオのことお願いしてもいいかな? 

 エジェの病室はこの向いだから」


「ありがとう、伯爵様! 」


 お礼を言う時間ももどかしく、わたしはその部屋を飛び出しながら叫んでいた。

 

 


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