4-14
「さて、わたしも帰らなくちゃ」
ミリアムの背中を見送ってわたしも立ち上がると礼拝堂を出た。
墓地の小道を気のすすまないままにゆっくりと歩く。
ミリアムのお陰で辻褄が合ったような気がする。
山のように届いているのに、一度も連れ出してもらったことのない夜会。
なのに、エスコートしてもらって出たことになっていて、しかもその溺愛ぶりが噂になる程って?
わたしじゃない誰かが侯爵様の隣にいて正妻を名乗っている。
それもわたしと同じ髪の色の女性。
その人がわたしのドレスを着ている。
ううん、そうじゃない。
わたしがその人のドレスを着ているんだ。
指輪だけじゃない、ウエディングドレスも夜会のドレスも皆少しづつサイズが大きかったのは、わたしの為に作られたものじゃないから?
皆その人の為に作られたものだったんだ!
いつか往来ですれ違った公爵家の馬車に乗っていたあの女性。
ちらりと見えただけだけど、華やかに装ったその横顔は本当に侯爵夫人の様子を呈していた。
しかも、以前送ってくれた御者さんの言葉から考えるのに、侯爵様は既にその方と関係があって子供まで作っている?
要は侯爵様にはもうきちんとした奥さんがいた。
それが事実。
墓地を出て、馬車の行き交う大通りに接した歩道を、のろのろと重い足取りで侯爵邸に戻る。
本当は戻りたくなんかなかったけど、他に行くところなんかない。
未だにエジェを忘れられないわたしもわたしだけど、侯爵様も酷いと思う。
そこまで大切に思っている人が居るんなら、わたしになんか関わらないで欲しかった。
ちょっと、待って……
侯爵様はお兄様、子爵家に高額の資金援助をしたって聞いた。
それがなければ、こんな話わたしだって黙って聞き入れたりしなかった。
まだエジェを待って居たかったのに。
お兄様の事業がまだ規模を縮小したとか傾いているとか聞かないところを見ると、その金額は半端なものじゃなかったはず。
そんな大金積み上げて、興味もない女囲うってどういうことなんだろう?
ひょっとしてお兄様に押し付けられた?
お兄様は以前からわたしを厄介払いしたがっていたからそこまではわかるんだけど、既にお付き合いしている女性がいるとしたら、正妻なんて迎えるはずないと思う。
借金のかたにとるんだったら、わたしよりも骨董品や異国渡りの磁器の方がよっぽど価値がある。
特にあの邸の装飾から察するに侯爵様かなりの磁器マニアと見た。
お父さまも商売柄お付き合いでああいった磁器を何点も買っていたはずだから、かただったらそっちのほうがいいと思う。
あ~
ミリアムでなくても全くわからない。
考え込みすぎて知らずに立ち尽くすと、傍らを通り過ぎてゆく馬車が目の前で突然止った。
「屋敷へ帰るのか?
乗りなさい」
開いたドアの中から、侯爵様が身を乗り出した。
「いえ、結構よ。
歩いて帰りたいの」
普段全く顔を合わさないのに、どうしてこういう間の悪い時にだけ出くわしちゃうんだろう。
とりあえず断ってみる。
「侯爵家の者が一人で出歩くものじゃない」
言いたいことを言ってくれる。
家令さん一人しか居ないあの邸でどうやって付き添いの従者見つけろっていうんだか。
従者どころか馬車を仕立ててもらうのだって怪しいのに。
と、一瞬思考がよぎったけどとりあえず黙って、言われるままに馬車に乗った。
わたしが一度も使ったことのない、甘く優雅で華やかな、明らかに女性物の香水の残り香が鼻を刺激した。
「どこへ、行っていた? 」
視線を窓の外に向けたたまま、そっけなく侯爵様は訊いてくる。
「どこって、関係ないと思うけど」
言葉とは裏腹にいかにもわたしになんか興味がないっていっているようなその様子に、なんだか無性に腹が立った。
そもそも妻の亡くなったばかりの父親の月命日だってこと、聞かなくても知っていなくちゃおかしい。
もし忘れていたにしても、この喪服みたらさすがにわかると思うんだけど。
「旦那様は、これから夜会? 」
纏った華やかなジェストコールを目に言う。
「旦那様? 」
その呼び方が気に入らなかったのか、侯爵様は莫迦にしたように呟いて口を閉ざす。
ああ、そうか。
やっぱり……
もろわたしなんかに旦那様呼ばわりされたくないと言いたそうなその態度にさっきまでの憶測が全部本当のことなんだと思えた。
「いいわね。
夜会にご一緒してくださる方がいて。
わたしなんか要らないみたい」
たっぷり皮肉を込めて言ってみる。
本当は自分の旦那様の浮気なんて、貴族の奥方としては見て見ぬ振りをするのが常識だって判っている。
だけど、腹が立ちすぎて、ひと言嫌味でも言ってやらなくちゃ気がすまなかった。
言ったところで、今までの様子から考えても今更わたしをエスコートして公に連れ出してくれるとは思えなかったけど。
「誰から聞いた? 」
侯爵様の眉がかすかに動いた。
「誰だっていいでしょ?
それに、何時までも隠せると思っていた? 」
おおよその話はミリアムから聞いたけど、聞かなくても御者の言葉や家令さんの態度でそのうちにはわかる。
「お好きな方がいらっしゃるのなら、その方と結婚すればよかったのに」
嫌味のひと言くらい言ってもいいよね。
「侯爵家の嫡男の母親は、貴族の出のほうが聞えがいいだろう?
母親の身分によっては成長して社交界に出た時に肩身が狭い」
侯爵様は開き直ったように平然と言った。
要は愛人の生んだ子供を、子爵家の血を引いていると偽装するため?
たったそれだけのことの為に、お兄様に大金を払ったってこと?
っていうか、噂どおりその愛人さん本当に子供が居るんだ。
「わたしの子供は? 」
あくまでも血筋にこだわるのならこっちの方が正当だと思うんだけど?
「気にすることはない。
嫡男は二人は要らないからな、お前との子供など作らなくてもいいだろう」
淡々と言われる。
呆れすぎて、次の言葉が出なかった。
おあつらえ向きに馬車は侯爵邸のエントランス前に止る。
わたしは挨拶もそこそこに馬車を飛び降りた。
着替えを済ませると、夕食も待たずにベッドに潜り込んだ。
そんなに無理したつもりはないんだけど、なんだか無性に疲れている。
躯はだるくて動かすのさえ億劫なのに、頭だけは冴えていて今日の侯爵様の言葉が何度となく頭の中を駆け巡る。
「……どうし、て」
何時の間にか部屋に広がっていた闇に呟く。
どうしてわたしだったんだろう。
戸籍のためだけになんてあんまりにも酷すぎる。
どうせわたしなんか眼中にないんだったら、あのままにしておいて欲しかった。
そしたら、エジェを諦めなくて良かったのに……
子供の頃からずっと、エジェのことだいすきだった。
結婚する相手はエジェしか考えられなかったのに。
お父さまは、エジェが伯爵家の嫡男でなくて、結婚後は貴族の籍から除外されるのが不服だったみたいだけど、わたしはそれでもよかった。
変った仕事をしていても町の繁華街の一角が住まいになったって、エジェと一緒に居られたらそれだけで幸せになれたはずなのに。
頬を何かが伝う感触をそっと拭う。
何時の間にか目からは涙がこぼれていた。
何故か無性にエジェの顔が見たくなった。
記憶の中の笑顔だけじゃ満足できない。
どうしても直に笑いかけて欲しくて、髪を撫でて欲しくて仕方がなくなる。
ベッドを降りると闇の中でコートを羽織り、足音を忍ばせてそっと部屋を出る。
いけないことなのはわかっている。
だけど、
どうしても、
このまま、一人でこの部屋に居ることができなくなっていた。
息ができなくて窒息してしまいそう。
全てが寝静まって静まりかえった屋敷のステアケースを降りるとエントランスのドアを開け、わたしは駆け出した。




