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 なんだろ? 


 よく知ってるのに暫く聞いたことのない声。


 えぇと…… 

 誰だっけ? 


 考えながら振り返る。


「エジェオ? 」


 思いがけずに現れた若い男の顔にわたしの声がひっくり返る。


「やっぱりグリゼルタだ。

 暫く見ないうちに綺麗になったね」


 エジェは整いすぎるほど整った顔にとろけるほどの優しい笑みを浮かべると、そっと頬に唇を寄せてくる。


「ちょっと、エジェ? 

 ここ、往来よ」


 慣れない行為にわたしの顔には一気に血が上る。


「いいだろう? 

 婚約者同士なんだし」


 エジェは悪びれた様子をかけらも見せずに言って笑う。


 見た目もさることながら、こういった女性受けする行為をさらりとしてしまうような男性が自分の婚約者だなんてまだ信じられない。

 わたしが生まれて早々に、お爺様同士が酔った勢いで決めた縁談だったって聞いているけど、お爺様には正直感謝かな? 


「ってか、お前一人? 

 従者か家庭教師は? 」


 エジェが首を傾げた。


「一人よ、悪い? 」


 嫌なところを突っ込まれ、わたしはエジェを軽く睨んだ。


 そこは見なかったことにして欲しかった。


「そりゃ悪いだろう。

 よりによって子爵家のご令嬢が付き添いナシで外出なんて、マナー違反だろう? 」


 当然とばかりにエジェが言う。


「いいのよ。

 この恰好なら、街の皆と変わらないし。

 黙っていればわたしが貴族だなんて誰にもわからないわ」


 強がりじゃなくて、それは本当。

 第一従者やメイドがついてきたら、行きたいところにもいけない。

 着る物だってこの方が気楽。


「ったく、家庭教師は何してるんだよ? 

 主人にこんないい加減なもの着せて、外出にも付き添わないなんて」


 エジェは大真面目で苦い顔をしている。


「先月辞めたわ。

 デビュタントを控えたもうすぐ大人の女性にはもう教師は要らないでしょうって」


「へぇ、大人の女性ねぇ」


 エジェオは遠慮なくわたしの踝丈のドレスのスカートをちらりと見た。


 わかってる。

 十六になって社交界への参加が認められた大人は膝丈のスカートなんか身につけない。


「わ、わたしじゃないわ。

 お義姉さまがそう言ったの! 」


 わたしは徐に男から顔を背ける。


「そういえば、お前。

 誕生日、三月前だったよな? 」


「そうよ。

 それがどうかした? 」


「いや、お披露目の舞踏会延期になったって聞いたんだけど、もしかして俺のせい、とか? 」


 エジェの顔が僅かに青ざめる。


 きっとわたしのお披露目の舞踏会が延期になったのは自分がその時に国にいなかったせいだと思っているんだ。


「ごめん! もう少し早く帰る予定だったんだけど、な。

 ほら、俺三男だし。

 伯爵家継ぐわけじゃないから、デビュタントの舞踏会もっと違う後見人の方が箔がつくんだからいいかなって、軽く考えた」


 心底悪いと思っているのか、エジェオは大真面目に頭を下げる。



 この国の貴族の娘は十六の誕生月に十六になったことを示す舞踏会を執り行い、社交界にデビューする。

 婚約者が決まっている娘はその時に正式な婚約発表も同時にするのが常だから肝心の婚約者が国にいなければはじめられない。


「もぅ、目立つからやめて」


 わたしはエジェの頭を押し戻す。


「エジェのせいじゃないのよ。

 その、お父様があんな状態でしょ? 

 だからお父様がベッドから出られるようになるまで舞踏会は延期しましょうって。

 どうせ婚約者が決まっているのなら、少しくらいデビューが遅れても、夜会に頻繁に参加してお婿さん候補血眼になって探す必要はないんだからって、ね」


 わたしは少しだけ視線を落す。


 自分で言ってて悲しくなってきた。

 正直、がっかりしなかったといえば嘘になる。

 床丈の優雅なドレスを纏い、蝋燭の灯りのこぼれる煌びやかなホールで行われるダンスを踊るの、楽しみにしていたのに。

 だけど、病気でベッドから出られないお父様を引き合いに出されたら拗ねることもできない。


「それより、何時遊学から戻ったの? 」


 もうこの話は終わりにしたくて、わたしは別の話題を振る。


「ん、と…… 

 三日前、かな? 

 ごめん、ティツアーノ子爵にも挨拶に伺わないととは思っていたんだけど…… 

 子爵倒れたって聞いて、こっちの都合で押しかけるのもどうかなって様子を伺って返事を待っていたところだったんだ」


「ううん、いいの。

 面会は、まだお医者様の許可が降りてないの。

 だから親戚や知人のお見舞いもお断りしているのよ」


 わたしは首を横に振る。


「なかなかお返事できなくてごめんなさい。

 執事もきっとお医者様の許可が出るのを待っていてお返事をするつもりだったと思うの。

 じゃ、わたしそろそろ帰らなくちゃ。

 ちびたちがお昼寝から起きる時間だから」


 わたしはできるだけ声を張り上げて言ってからエジェに背中を向ける。


 これ以上話をしていたら胸に抱えていたあれこれをうっかり吐露してしまいそう。

 そんな話エジェの耳には入れたくない。


「おい、待て! 

 送ってく」


 歩き出そうとしたところ、手首を掴まれ引き寄せられる。


「大丈夫よ、一人で帰れるもの」


 とりあえず握った手を振り解こうとした。


「そう言う問題じゃないんだよ。

 お前の身分わかっててこのまま一人で帰せるか」


 ぶっきらぼうに言ってエジェはわたしの歩幅にあわせて並んで歩き出す。


「あ、ありがとう」


 エジェの心遣いがすっごく嬉しい。

 ついつい顔が綻ろんでしまう。

 知らずに足も軽くなる。


 その足元を突然何かに怯えたかのように、一匹の痩せた犬が走り抜けた。

 運悪くその胴に出した足が引っかかった。


「きゃ…… 」


 思わずバランスを失い、崩れかかった身体を連れ立っていたエジェが慌てて支えてくれた。


「ありがとう」


 咄嗟に口から出たわたしの言葉は、周囲から上がった悲鳴と雑音にかき消された。

 その物音につられ振り返る。


「危ない! 」


「逃げろ! 」


 顔を向けると一台の御者を失った馬車が、ものすごいスピードで目の前まで迫ってきていた。


「グリゼルタ! 」


 耳もとで切羽詰ったエジェの叫ぶ声がすると同時に、躯が不自然に浮き上がる。


「何? 」


 思った瞬間、そのまま真横に突き飛ばされた。

 

「……痛ったぁ」


 何が起こったのかわからない。

 ただ気が付くと、道路の反対側にわたしの身体は投げ出されていた。

 地面に叩きつけられたのか腰が少し痛い。

 さっきまで自分が居た場所に視線を向ける。


「な、に? 」


 つぶやいた言葉が喉に張り付いた。


 ついさっき目の前に迫っていた荷馬車は走り去り、それを必死に追いかける男たちの姿。

 そして、道に転がったエジェの躯。


「エジェ? 」


 腰の痛みも忘れてわたしは慌ててエジェに走りよる。

 足元に転がる躯の横に座り込んだ。


「グリゼルタ、よか…… 」


 僅かに開いた目で、ぼんやりとわたしの顔を見てうめくように言うエジェオの声が途切れた。


「誰か! 

 お願い、手を貸して! 」


 その身体を抱き起こしながら、わたしは力いっぱい叫んでいた。

 

 


※スピンオフ -序章ー

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