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恐らく侯爵邸へ向かっていると思われる馬車に向かい合って座って、初めて侯爵様の顔をまじまじと見た。
お顔つきから察するにお年はジュスト伯爵様と同じか少し上くらい?
遠目には黒髪に見える黒味がかった深い茶色の髪を綺麗に撫で付け、そろいの色の瞳。
平均より少し高い鼻の特徴的な程ほどに整った顔。
細身の身体にいかにも高価そうな仕立てのよいコート。
エジェのような人目を引く華やかさはないけれど、人に紛れてしまうほど凡庸でもない。
加えて侯爵様って身分も手伝えば、年頃の女の子達から引く手数多のはずなのに。
どうして今まで結婚しなかったのか不思議。
「何か? 」
無遠慮に観察していたわたしの視線に気がついて侯爵様が訊いてくる。
「ごめんなさい!
その…… 侯爵様のお顔もよく存じなかったなぁって。
きっと、今どこかの人込みに放り込まれたらわたし自分の旦那様のこと見つけられなくなるんじゃないかって」
「心配しなくていい。
人の溢れるような場所に出るようなことはないから」
ぼそりと言われる。
「でも、これから侯爵夫人としてのお勤めもあるでしょう?
旦那様の顔もわからないなんて不自然だわ」
「いいと言っているだろう」
……なんか、取り付く島もない。
そういえばわたし、侯爵様の顔もはじめて知ったけど、ファーストネームも知らない。
「あの、今更大変失礼かと思うんですが。
お名前、なんておっしゃるんですか? 」
恐る恐る訊いてみる。
「名前? 私のか? 」
今頃こんな基本的なこと訊くなんて、呆れられるか怒りだされるかどっちかだとは思うけど、夫婦になる以上訊いておかないわけにはいかないのよね。
「……そんなことを訊いてどうする? 」
案の定侯爵様は不機嫌そうに言う。
だけど、その言葉が「?」だ。
知らなかったことを咎められるんなら判るけど、どうして知ろうとすることに対して不機嫌になるのだろう。
「だって、呼ぶ時に困るでしょう? 」
「夫婦なんだ、侯爵様か旦那様でいいだろう」
うんざりしたように言って、これ以上話はしたくないとでも言うように侯爵様は視線を窓の外に向け、口を閉ざしてしまった。
どういうことなのかまるっきり判らない。
仕方なくわたしも押し黙っているうちに馬車は街中の一郭、とある邸の前につけられた。
さすが王族との縁もあるマリーニ侯爵邸は貴族の屋敷が集中する通りの中でも王宮に近いところに位置していた。
「お帰りなさいませ、旦那様」
侯爵様と違って何度も顔を見た家令さんが出迎えてくれる。
足を踏み入れたエントランスホールは小さいながらも幾何学模様に大理石が張られ、胡桃材だと思われる凝った装飾の施されたステアケース。大きくとられた窓にはめ込まれたガラスは質がよく庭の奥までがはっきり見渡せるほどの透明度とどれをとっても一級品の贅を凝らした造りだ。
邪魔にならない要所要所には凝った造りの足を持つ陳列台が置かれ、その上には異国渡りの豪華な磁器が飾られている。
敷地や周囲の貴族との関係上表立って大きな建物は建てられなかったけどその分、外から見えない内装に資金を費やしたって感じかな?
気になったのは屋敷のそこここから人の気配というか何かの作業をしている音が響いてくること。
「あとは頼むぞ」
家令さんに向かってそう言うと侯爵様は馬車に戻って行く。
「ではグリゼルタさん、こちらへ。
お部屋にご案内いたします」
家令さんは侯爵様の背中に一礼するとわたしに向き直り先に立って歩き出す。
「へ? あ、はい! 」
その呼ばれ方に違和感を憶えながらわたしはトランクを片手に家令さんの後を追った。
呼ばれ方、普通なら『奥様』になるんじゃないの、かな?
ま、古くから続くお家だと何かしらいわくがあって、女主人を名前で呼ぶとかないとも限らないから気にしないことにしよう。
訳は生活しているうちにわかるだろうし。
もともとエジェのお家以外の人に『奥様』なんて呼ばれるつもりはなかったわけだし。
……てか、呼んで欲しかったな。
伯爵様のお家の使用人には。
そんな思いが湧きあがると持っていたトランクが重くなったような気がした。
そのトランクを持ち直しステアケースを上る。
この家の使用人どうなっているんだろう?
普通主人が家の中に入ったら荷物って運んでくれるものじゃないの?
人手の少ない家だってフットマンの代わりに執事のオスティさんが持ってくれた。
お家の風習で家令さんはそう言うことしないって言うんなら、フットマンがきてくれて当然だと思うんだけど?
ま、いっか。
別に自分で運べない重さじゃない。
「何をなさっておいでですか? 」
トランクの重さにもたついていると家令さんが足を止めて振り返る。
「今、いきますっ! 」
もう一度トランクを持ち直して階段を上がりきると家令さんの側まで駆け寄る。
掃除が行き届いていないのか二階の通路の床は目に見えるほど汚れていた。
歩くだけで埃が舞い上がる床面には敷かれた絨毯は贅をつくしたエントランスホールと違い古ぼけ日焼けしている。
ただ壁際に並べられた飾り棚にはこちらにも華やかな絵付けをされた高価そうな磁器が列をなして並んでいた。
……もちろん、床と同じく埃だらけだったけど。
並んだ磁器を追うわたしの目がふと、ある壷で止った。
ひときわ目を引く鮮やかなピンクの顔料で縁全体に小さな薔薇の花をびっしり描きその中央で王冠を抱いた白鳥の番が遊ぶ特徴的な絵柄には見覚えがある。
リージュ工房のピンクスワン。
それも王冠の正面には紋章が描かれている特注品。
まだ子供の頃、お母様の寝室に置かれていた物と紋章まで同じだった。
確かに我が家にあったもの。
お母様が亡くなって、寝室をお嫁に来たお義姉さまが使うようになってどこかに片付けてしまったのは知っていたけど。
まさか売り飛ばされていたとは思わなかった。
それともわたしの持参金代わりに、お兄様が贈ったのかな?
何しろ我が家、妹を売るほどお金に困窮していたわけで、持参金どころか嫁入り道具さえ満足に用意できなかったはずだもの。
せめて代わりに高価な物を渡していてもおかしくはない。
にしては、壷は以前からここにあったのか、周囲のほかの磁器と同じように埃を被っている。
「何か? 」
壷の前で足を止めてしまったわたしに家令さんが眉を寄せる。
「えっと、凄く珍しい磁器がたくさんあるから、つい見とれてしまって」
言い訳をしながらわたしはトランクを持ち直し足早に家令さんに追いついた。
「旦那様の唯一の趣味ですよ。
あちこちに手を廻しようやく手に入れた貴重な品もあります。
くれぐれも扱いには気をつけて下さい」
言いながら家令さんは更に奥へわたしを案内する。
主寝室か何かだと思われる豪華な両開きのドアの前を通り越し、家令さんは廊下の奥でようやく足を止めた。
「どうぞ、こちらでございます」
ドアを開け、通されたのは思った以上に狭い部屋だった。
窓からは、午後もややすぎ西に廻り始めた日差しが容赦なく差し込んで明るいといえば明るいんだけど。
光に照らされ浮かび上がるのは質素なベッド一つに質素なチェストが一つ。
チェストの上には庶民が使っているような柄も何もないいかにも量産品と思えるピチャーと洗面ボール。
ただそれだけの殺風景な部屋だ。
どうも侯爵様は集めた磁器は観賞用で、割れる危険性のある日用品は安物を使う主義みたい。
その上入り口とは別に壁際に隣室に続いていると思われるもう一つのドアがついている。
まるでナニーか家庭教師の控え室のような部屋。
これじゃ実家のわたしの部屋と全く代わらない。




