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お父様の寝室を出てエントランスに向かうと、ホールでお兄様が不機嫌そうな顔を隠しもしないで待っていた。
うっわ……
あれは、相当イライラしてる。
わたしの意思なんか完全に無視して、自分の思うとおりの婚姻が整ったんだから、その当日くらい義理でも喜んだ顔すればいいのに。
そしたらわたしだって少しは報われた気分に慣れたかも知れない。
「遅い、着付けくらいで何時間掛けているんだ? 」
案の定わたしを責めてくる。
「いいでしょ、お父様にご挨拶するくらい」
「ほとんど寝たきりで目を覚まさない老人と何を話すことがある? 」
お兄様は莫迦にしたように片眉を動かした。
「行くぞ、遅くなった。
マリーニ侯爵を待たせて機嫌を損ねられたら事だからな」
お兄様はわたしを振り向きもせず庭に止められた馬車に大またで近付くとわたしに手を貸すことなく乗り込んだ。
郊外の神殿に婚姻の儀式を見届けるために集まったのはごく数人だった。
侯爵様の希望で、わたしの家族と、お互いの家のごく近い親族のみ。
普通なら出席してもらえる、ぜひ参加したいと言ってくれた古参の使用人にも遠慮してもらった。
式を取り仕切ってくれた神官さんも、中央の神殿でのおつとめをリタイアして余生を細々と送っているようなよぼよぼのおじいちゃん。
幼い頃からお世話になっている方だという話だったけど、我が家に多額の資金援助をして下さるくらい裕福なお家の挙げる結婚式にしたら異常に地味に思える。
ま、いやいやながら顔もよくわからない人の所にお嫁に行くわたしにしたら、別に何でもいいんだけど。
祝ってもらったって嬉しくも何ともない。
むしろ「おめでとう」の言葉を掛けられるたびに、腹が立つ。
お兄様に急かされたせいで、時間より相当早く着いた筈なのに侯爵様は既に待っていた。
まだ、人数が揃わないうちから早々にお式が始まる。
侯爵様に手をとられ神殿の前に並んで立つ。
神官さんの長い祈りの言葉と祝福の言葉を聞いて誓約書にサインを済ませる。
後は契約の指輪をお互いの相手に贈ってキスを交わせば式は終了。
ミリアムの結婚式の時のことを思い出してわたしはこの後の式次第を頭の中で確認していると予め用意して神殿に預けてあった指輪が花で飾られたトレーに乗せて目の前に差し出された。
二つ並んだ指輪の片方を受け取った侯爵様は、わたしの手を摂り薬指へと滑り込ませる。
次いでもう片方をやっぱり自分で取ると自らの手で自分の指にはめ込んだ。
その光景に神殿内の参加者からざわめいた空気が広がる。
目の前の神官様でさえ、驚いた様子だ。
そりゃそうよね。
新郎の指輪は新婦の手から贈るのが当たり前なんだから。
「失礼ですが…… 」
神官さんの視線を受けて儀式の進行をお手伝いをしてくれていた神官見習いらしい若い男性が侯爵様に耳打ちする。
「それが、なにか? 」
小さく呟くと侯爵様はその男性と神官様を凄い形相で睨みつけた。
妙な空気に身動きしたわたしの手からさっき貰った指輪が抜け、床に転がり落ちた。
指輪が床に落ちた乾いた小さな音で、招待客の空気が凍りつく。
「それでは、誓いのキスを…… 」
おめでたい席でありえない嫌な空気を払うように神官さんが声を張り上げた。
きっと稀にはこういうアクシデントもあるんだろう。
神官さんは少し青ざめながらも、そこには気がつかなかった振りをして、儀式を進める。
侯爵様も同じように言われるままにわたしのヴェールを上げる。
初めてのキス。
エジェだったら、どんなにどきどきしただろう。
だけど、感動も何もあったもんじゃない。
とはいえ、さすがにむくれたままじゃ侯爵様に失礼だから、無理に笑顔を浮べた。
当然のように唇に来るものと思って身構える。
だけど、寄せられた侯爵様の唇はわたしの額に僅かに触れる。
「へ? 」
あまりに拍子抜けな出来事にわたしは突飛な声をあげた。
侯爵様がやんわりとした笑みを向ける。
なんだかよくわからないけど、わたしはほっとしてた。
「では、侯爵。
これからもよろしくおねがしいしますよ」
式を終えて神殿の前庭に出ると、機嫌を直したらしいお兄様がにこやかに侯爵様と握手をしている。
「さぁ、帰りますよ。
テオドール、ルイーザ」
その背後でお義姉さまがテオとルイーザを馬車に追い立てていた。
「グリゼルタおねえちゃまは? 」
一人ぽつんと神殿のドアを背に立つわたしにテオが駆け寄ってくる。
「ごめんね。
今日からは帰るお家が違うんだ」
かがみこんでテオの顔を覗き込んで言う。
「だからテオは、お母様と帰ってね」
「テオドール、何をしているの。帰りますよ」
お義姉さまが待っていても戻らないテオを連れ戻しに歩いてきた。
「お義姉さま、今までお世話になりました。
ありがとう」
侯爵様の目もある。
本当はすっごく不本意なんだけど、とりあえず型どおりの言葉を口にした。
「ずっとお荷物だったけど、最後に少しは役にたってくれて助かったわ」
厄介物がいなくなることを喜んでいるかのようにお義姉さまは上機嫌だった。
立ち会ってくれた人たちが全て帰るのを見届けて、わたしは侯爵様と二人になった。
「失礼します、こちらを…… 」
さっき儀式を手伝ってくれていた男性が遠慮外に声をかけ、わたしに指輪を差し出した。
「ありがとう」
まさかあの場所であの状況で自分で拾いにいけるわけもなかったから、そのままにしていた指輪をお礼を言って受け取る。
「ごめんなさい、侯爵様」
貰ったばかりの指輪を落すなんてさすがにバツが悪くてわたしは侯爵様に謝りながら自分の指に戻そうとした。
その拍子に、不意に伸びてきた侯爵様の手が指輪を引っ手繰る。
「えっと、あの…… 」
やっぱり早々にしかも式の最中に粗相なんかしてから絶対に怒っている?
少し怯えながらわたしは侯爵様の顔を見上げる。
「君の家の執事からきちんとサイズは訊いて作ったはずだが、少し大きかったようだな。
直させよう」
言うと自分の上着のポケットにねじ込んだ。
そもそも指輪なんて高価な物一度だって作ってもらったことないんだから、オスティさんが知っている訳がない。
だけど、オスティさんがわたしの指のサイズを訊いたり計りに来た記憶もなく、適当に標準サイズで作ったのは見え見え。
……この人、どこまでわたしに興味がないんだろう?
なのに大金を払って結婚したがるって、どういうこと?
侯爵家は家の子爵家とは血縁どころか仕事でお付き合いもないはずなんだけど。
「悪いが、着替えてくれるか。
神殿の奥の部屋を借りてある。
君のドレスも持ってきてもらってあるはずだ」
首をかしげているわたしに向き直った侯爵様の言葉は思いもかけないものだった。
っていうか、そもそも今日ここに着てから一時間程度、確かに略式の簡単なお式だったには相違ないけど、自分の花嫁に向かって言う初めての言葉がそれって何?
目をしばたかせて立ち尽くすと、侯爵様が苛立った目でわたしを睨みつけた。
この先何か急ぎの用事でもあるのかも知れない。
それなのにわたしが事情がわからずにぐずぐずしていたら気に障った?
とにかく急ぐほうがいいかも知れない。
普通ならウエディングドレスのままウエディングパーティーの会場に移動するのが一般的なんだけど、今回はパーティはなしだし着替えるのは支障はないんだけど。
今ここで、って言うのが判らない。
考えられるのは古くから続く侯爵家の慣わしか何かで、花嫁はウエディングドレスのままで邸の表ドアを潜ってはいけないとか?
そんなの聞いたことないけど。
どうも侯爵様って極端に口数の少ない人みたいだけど、せめてその辺りの説明くらいして欲しいと思う。
首を傾げながらも、言われるままに指示された部屋に向かう。
いかにも神殿の一室といった感じの磨きこまれた床に置かれた質素なテーブルの上に古いトランクが一つ置いてあった。
侯爵家に引っ越す為にわたしが数少ないデイドレスを詰め込んだトランクだ。
普通ならこの先十数年分のリネンの寝具とか下着とかは嫁入り道具として花嫁が持っていくものなんだけど、侯爵様が何もいらないって言ったとかなんとかでお義姉さまは用意すらしてくれなかった。
とはいっても、侯爵様と一度も顔さえ会わせなかった不安からとりあえずの生活に必要なものだけは家で使っていない古いトランクに詰め込んで持ってきた。
それが当たり前のようにここにある。
ま、着替えでありさえすれば何でもいいんだけど。
気を取り直してトランクを開けた。
髪につけたベールと花飾りを外してドレスを脱ぐ。
一人での着替えは慣れているはずなんだけど、さすがにこの背中で縫いつけたドレスを脱ぐのには気を使った。
いつものデイドレスになってしまえば、ついさっき結婚式を挙げた花嫁だなんて誰の目にも映らないだろう。
「着替えは済んだか? 」
脱いだウエディングドレスを調えていると遠慮がちにドアがノックされた。
「あ、はい!
今、ドレスを…… 」
手にしたドレスを抱えたままドアを開ける。
「ごめんなさい、これどうしたらいいのかなって」
多量のレースが縫い付けられギャザーやフリルの多用された上にトレーンを長く引いたドレスの総量はデイドレスの比ではなくて、トランクの中に収まらない。
「それはそのままでいい。
あとで使用人に取りに来させる。
君はその荷物だけ持ってくれ」
言われるままにわたしはトランクの留め金をかけると慌ててそれを取り上げて侯爵様を追う。




