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窓に下がるカーテンもベッドの天蓋から下がる帳も、全く変わらないのに、以前わたしが使っていたルイーザの部屋は雰囲気が全く変わっていた。
以前シノワズリで統一されていた家具はどこかに消え、そこここに花や動物の模様の優しい色合いのファブリック。
飾り棚に並ぶぬいぐるみや人形のせいだろう。
「グリゼルタおねえさま、綺麗」
着替えをはじめる時から付き添っていたルイーザがため息混じりの声をあげた。
さすがにベッド一つ入っただけで身動きも大変な広さしかない子供部屋の隣の部屋ではウエディングドレスのような大掛かりな着付けはままならないからと、ルイーザが自分の部屋を提供してくれた。
かつて自分が使っていた部屋をもう一度目にできた。
これでもう二度と足を踏み入れることがなくなるのかと思うと少し淋しい。
「危ないですから、動かないで下さいグリゼルタお嬢様」
ドレスの脇を縫っていたメイドが声をあげる。
「あ、ごめんなさい」
さっきもそういわれたのに、懐かしくてつい部屋の中を見回して身体を捻ってしまった。
「それにしてもどういうことですかね?
ドレスはあちら様でご用意すると一方的に言っておいて、届くのがお式の当日なんて普通考えられませんわ。
それも、お嬢様のサイズも確認せずにこんな物を贈ってくるなんて」
針を動かしながらメイドがぶつなる。
侯爵様から今朝方届いたドレスは、丈はぴったりだったんだけど、その…… 言いたくはないけど、横幅が少し大きかった。
おまけに着付けて初めて判ったものだからメイドが着たままで脇の辺りを詰める目にあっている。
急な婚約から一月、ドレスをこんな短期間で仕上げろって言われたタイユールも迷惑な話だけど、さすがにサイズも測らないでってのは無理があると思う。
それでも小さくて着られないよりはマシなんだけど。
「さぁ、できましたよ。
脇ですし、細かく纏っておきましたから判らないと思いますけど」
メイドが額に浮べた汗を拭きながら顔をあげた。
「ありがと、助かったわ」
お礼をいって肘をあげ鏡に脇を映して確認する。
うん、縫い目も綺麗。
タックをとって畳み込んだところとそのままの境目も上手に処理してある。
一人で着付けをしていたら、さすがに諦めてしまっていたと思う。
強いて言えば問題が一つ。
僅かに黄色味を帯びたクリームホワイトのドレスは正直わたしに似合わないってことだ。
「やっぱり無理にでもお願いして、奥様のドレスにするべきでしたね」
わたしの肩越しに鏡を覗き込んでメイドが残念そうにこぼした。
「お嬢様には絶対あちらのドレスの方がお似合いでしたわ」
「仕方がないわ。
婚約披露の日に間に合わなかったドレスの代わりにって、侯爵様が贈ってくださったウエディングドレスなんだもの」
わたしの口からもため息が出る。
「だとしたら侯爵様のセンスを疑います。
よりによって奥様になる方のドレスですよ?
それなのにこんなに似合わない物を贈ってくるなんて…… 」
「気にしないの。
旦那様からサプライズでドレスを贈ってもらうにはもうこれっきりにすればいいのよ。
同じお邸に暮らすんだもの、次のドレスを作る時には一緒に見立てられるでしょ?
そしたら自分の好みや意見を言えるもの! 」
わたしはメイドに言ってみる。
そうとでも思わなければやってられない。
「でもウエディングドレスは一度きりですわ」
まだメイドは眉を顰める。
「お嬢様?
お支度はお済ですか?
お時間が近付いておりますが! 」
閉ざされたドアの反対側からオスティさんが声を掛けてくる。
「少し、急いだほうがいいですね」
メイドはさっきまで持っていた針を慌てて針箱に戻すと、もう一度確認するように縫い目に視線を移動させる。
「大丈夫です」
言いながらもメイドは手を動かし、結い上げた髪にヴェールを掛け花飾りと共に止め付ける。
作業が済むとわたしから少し距離をとって確認する。
もう一度、ドアがノックされる音が部屋に響いた。
「お嬢様、準備はよろしいですか?
大旦那様がお待ちかねですよ」
執事のオスティさんが顔を出す。
「今行くわ」
わたしはドレスのトレーンをまとめて持たせてもらって部屋を出る。
さすがにトレーンを長く引いたウエディングドレスは、普段のローブより重くて動き難い。
「本日はおめでとうございます。
お綺麗ですよ」
オスティさんが目を細めてくれた。
「ありがと」
わたしはにこりともしないで応える。
もし、今日この先神殿で待っていてくれるのがエジェだったら、今頃わたしは満面の笑みを浮かべていたと思う。
けっきょくエジェからは何の連絡も来なかった。
帰国は遅れに遅れて一月経った今でもまだ戻らない。
お店の留守を預かっている人も連絡が取れなくて、さすがに困っているって聞いた。
エジェ、どうして何も言って来てくれないの?
せめて手紙一通、それがわたしを責めるものであったとしても、諦めがつくのに。
もしかしていつかのように何かのアクシデントにでもあってなけなしの魔力使い尽くして昏倒している?
嫌な予感が頭をよぎったことも一度や二度ではなかったけど、一月はさすがに長すぎる。
本当は、今すぐにでもエジェを探しに行きたかったけど、病気のお父さまの側を離れることはどうしてもできなかった。
お兄様の脅しは、核心を突いていた。
わたしがしでかしたことで、お父さまの治療に悪影響がでるなんて、絶対嫌。
そんなことになったら、どうしていいか判らなくなる。
それがわたしをこの家に縛り付けた。
「お嬢様、行きましょう」
オスティさんがわたしを促す。
「あ、はい! 」
ドレスのトレーンを纏めて持たせてもらって、わたしはオスティさんに歩み寄る。
「ね、オスティさん。
教えてもらいたい事があったんだけど」
オスティさんに先導されてお父様の寝室に向かいながらわたしは訊いてみる。
「なんですか? 」
「その、家の事業が立ち行かなくなったのって、何時頃から? 」
こんな話、お兄様に訊いたって絶対答えてくれない。
お父様には話せないし、他に知っていそうなのは家の事業を手伝ってくれている人か執事くらいのものだと思う。
それだって、あんまり他の人の居るところで訊きたくないから、今まで黙っていた。
オスティさんと二人っきりになるなんてもう二度とないかもしれない。
「それを訊いてどうなさるつもりなのですか? 」
オスティさんは僅かに首を傾げた。
「どうもしないわ。どこかに言いふらすとかするとでも思う?
ただ知りたいだけよ。
お兄様にも何にも知らない癖にって叱られたし。
それにわたしにだってそれを知る権利くらいあるわよね? 」
「仕方ありませんね。
私から聞いたということは内密でお願いしますよ」
オスティさんは大きく息を吐き出した。
「あれは、確か大旦那様の体調がお悪くなって旦那様が事業を引き継いで暫くした頃だったと思いますよ」
「それって、もしかして家令が年齢を理由に辞職して、わたしの家庭教師と、テオの乳母や従者が纏めてくびになった頃? 」
「いいえ、もっとあとです。
大旦那様は、お倒れになって数年はベッドの中からご自分で指示を出しておりましたから。
一年ほど前からでございましょうか、病状が悪化しお休みになる時間が増えまして、やむなく旦那様にお仕事の権限をお任せになったんですよ」
そういえばお父様が倒れた最初の頃、お兄様に何かを譲る譲らないってよく口論してた。
「もちろん旦那様のせいではありませんよ。
ベッドの中からでは大旦那様のご指示も行き届かないこともありまして、旦那様が引き継いだときには既に手遅れだったと伺っております」
オスティさんはお兄様を庇うけど、わたしの目からしたら甚だ怪しい。
「そんなに前からだったんだ。
何にも知らなかったな。
知ってたら、エジェのプロポーズのんびり待っていなかったのにね」
わたしは視線を落としてポツリと口にする。
「でも、そのお陰でこうしてご身分の高いお宅へ縁付く事ができたのですから。
お嬢様のようなお方が家督を継がない伯爵家の三男に嫁いで平民になってしまうのは勿体無いですから。
わたくしども使用人も一同喜んでおります」
とりなすように言ってくれるけど、そんなのちっとも嬉しくない。
「ありがと……
でもわたしの立場からしたら嬉しくないんだけどね」
「幼い頃からそのつもりでいたお方と引き放されたばかりの今はそう感じるかも知れませんが、そのうちに良かったと思える日がきますよ。
望まれてのお輿入れなんですから」
オスティさんがわたしを諭す。
「そうかな?
なんかね、その『望まれて』っていう実感が全く持てないのよね。
確かにお兄様には大金が支払われたみたいだけど、肝心の花婿さん、婚約発表の夜会に顔を合わせただけで、あと一度も顔見ていないのよ?
お式の打ち合わせは全部お使いの人だし、こちらから訪問を切り出しても『忙しいから』って断られてばかりで。
わたしの何が気に入ったのかな?
家が公爵家とかわたしのお母様が公爵様の血を引いていたとかなら、爵位目当てとか血統目当てとか想像がつくんだけど」
「世の中にはご自分の愛情を表に出せない殿方もいらっしゃいます。
むしろ前のお方が少し接触が過ぎていたかと。
そのお方とお比べになってはお気の毒です」
言いながらオスティさんは足を止めた。
「大旦那様、お嬢様のお支度が整いました」
ドアをノックして部屋の中に声を掛けた。
「お父様? 」
オスティさんを廊下に残して部屋に入るとベッドの中を覗き込む。
「ああ、グリゼルタ。
綺麗だね…… 」
ここ一月の間に眠っていることの多くなったお父様が珍しく目を開いて、枕に頭を預けたまま目を細める。
「ありがと、お父さま」
「グリゼルタ、こっちへおいで」
お父さまが手招きする。
「なぁに、お父さま? 」
首をかしげながら言われるままにベッドの枕元に近寄ると、オスティさんが手渡した箱をお父さまが受け取り、そのままわたしに差し出す。
「これ? 」
「もってお行き、お前のものだ」
両掌を広げて揃えた程の薄い箱を手にとると言われる。
蓋を開けると揃いのデザインの宝飾品一式が顔を出す。
まだ小さかった子供の頃、一度だけこれを身につけたお母様を見た記憶がある。
きっとどこか気の張る場所へのお出かけだったのだろう。
その時のお母様は本当に綺麗だった。
「いいの?
これ売ればかなりの金額になるんじゃない? 」
パリュールなんて高価な物なら、聞かされている家の実情からすれば売って借金の返済に充てるのが常套だ。
「お前のお母様が持ってきたパリュールだ。
お前に権利がある。
あんな嫁や、息子が作った借金の返済に使っていいものじゃない。
これはあのドレスと同じくお前が引き継いでお前の娘に渡されるべきものだ」
少し不満そうにお父様がつぶやいた。
きっとお父様は、これだけはお義姉さまの目に入らないように厳重に保管していたんだと思う。
それも事前に渡したんじゃ、オペラのチケットよろしくお義姉さまに取り上げられないとも限らないからギリギリのこのタイミングを待っていたんだ。
そう思うと頭が上げられない。
「ありがとう、お父様」
その気持ちをありがたくて、わたしはお父様の額にお礼のキスをする。
「……悪いな、式に出られなくて。
幸せになりなさい…… 」
つぶやくような声で言うとお父様はゆっくりと目を閉じる。
「お父様? 」
そっとベッドの中をのぞきこむと、お父様はまた眠りに落ちていた。




