3-10
早めの夕食を終え子供部屋のベッドの中でテオが寝息を立てたのを目に、わたしは階下へ降りた。
バックヤードから廊下に出ると丁度メイドが食事のトレーを運んで行くところだった。
「ご苦労様。
それお父さまの食事? 」
早足で追いついて声を掛けるとメイドが頷いた。
「じゃ、わたしが運ぶわ」
メイドの持っていたトレーに手を伸ばす。
「いえ、お嬢様にお願いするわけにはいきません。
わたしの仕事ですから」
メイドは首を横にふる。
「その代わり、お茶を持ってきてくれる?
久しぶりにお父さまとゆっくりお話がしたいの」
わたしはメイドに笑いかけた。
「そうですか?
ではお願いしますね」
メイドからトレーを受け取り、お父さまの部屋のドアを叩く。
「お父さま、お夕食ご一緒してもいい? 」
トレーを運び込みながら言う。
「構わないよ」
お父さまは笑みを浮べて招き入れてくれた。
傍らのテーブルにとりあえずトレーを置いて、ベッドの上で身体を起こすお父さまに手を貸した。
背中にクッションを挟んで身体を落ち着かせ、トレーを膝の上に据えた。
トレーの上には柔らかなパン。
スープと柔らかく煮付けた肉料理の皿はまだかすかに湯気があがる。
それからひんやりと冷気をあげるお皿にカスタード。
甘党のお父様の一番お気に入りのデザート。
よかった。
さすがにお義姉さまも、まだお父さまの食事にはケチをつけていないみたい。
わたしはそっと息をつく。
「どうしたんだい? 今日は? 」
テーブルをベッドの枕元に移し、自分の席を作っているとお父さまが訊いてくる。
「ん?
テオが珍しく早く寝てくれたから。
たまにはこうしてお父さまとお話するのもいいかなって。
この家にいられるのもあと少しなんですもの」
言っているとメイドがお茶を運んできてくれた。
「そうだな」
トレーの上のスープに手を伸ばしながらお父さまは言う。
お父さまの病状が悪化してベッドを降りられなくなって、おまけにわたしの食事場所が子供部屋になってしまったこともあり、一緒に食事をとることがなくなっていた。
ついでにお茶も。
テオに付き合うとどうしてもケンブリックティーになってしまうから、きちんと淹れたお茶も久しぶり。
わたしがテオと一緒に夕食を済ませていることを知っているメイドは、お茶と軽い焼き菓子を用意してくれていた。
「また、それかい?
お前は子供の頃から、その菓子が好きだったよな」
真っ白に焼き上げたメレンゲを口に運んでいるとお父さまが懐かしそうに言う。
何故だろう?
今日のお父さまはわたしの小さな頃の話ばかりする。
それでもお父さまとの食事は楽しくて時間を忘れてしまう。
お茶のカップもトレーの上の食事も空になったのに気がつかなかったくらいだ。
「それでね…… 」
夢中になって話を続けていると、何の合図も啼突然ドアが開いてお義姉さまが顔を出した。
「あら、失礼。
お義父様まだお休みになっていらっしゃらなかったのね。
グリゼルタとお話するのもいいけれど大概にしておいてくださいね」
外出用の華やかなドレスを纏ったお義姉さまはわたしに視線を向けると眉を顰める。
「わかっています。
もうそろそろ終わりにしようと思っていたところよ」
わたしはしぶしぶ立ち上がるとテーブルの上を片付けはじめた。
「お義父様、申し訳ありませんけど、あの耳飾を貸していただけますか?
以前お借りした銀線細工の……
手持ちの宝飾品ではどれもこのドレスに合わなくて。
……やっぱり新しいドレスを誂える時にはアクセサリーも一緒にそろえなくては駄目ね」
お義姉さまは言う。
「それなら先日持っていったきり、返ってきていないが? 」
わたしがトレーを片付けると、待ちかねていたようにベッドにもぐりながらお父さまが応える。
「確かに、きちんとお返ししたはずですわ」
お義姉さまが困惑したような声をあげた。
「あなたの勘違いだと思うが?
確認してみなさい。
グリゼルタそこの宝石箱を取ってくれるか? 」
お父さまに言われてわたしは背後のチェストから宝石箱を手にとりお義姉さまに差し出した。
「確かにお返ししたはずよ。
私の手元にないのですから」
呟きながらお義姉さまは宝石箱を受け取ると、わたしの視界から隠すように宝石箱を開く。
「あら…… 本当。
じゃ、何処へいったのかしら? 」
箱の中身を確認してお義姉さまは頭を傾げた。
「もしかして、ルイーザかしら?
昨日私の化粧台の前でおとなしく遊んでいたから」
お義姉さまは蓋を閉じた宝石箱をわたしの手に押し付ける。
「ごめんなさいお義父様。
わたくしの勘違いだったようですわ。
失礼します。
グリゼルタ! お養父さまをこれ以上疲れさせないで頂戴。
熱でも出たらまた明日お医者様をお呼びしなくちゃならなくなるから」
お義姉さまは引きつった愛想笑いを浮べると背を向けた。
「あの子の部屋ね、きっと。
急がないと、オペラに遅れてしまうわ」
呟きながらお義姉さまは足早に部屋を出てゆく。
チェストに宝石箱を戻しながらわたしはこっそりとため息をついた。
さっきちらりと見えた宝石箱の中身は以前と違ってほとんど空だった。
お義姉さまが『戻っていない』と言ったお父さまの言葉に黙っていたのはこれを承知だったからだろう。
ただ自分の手元で見当たらないことで、ここまで探しにきたのだ。
「……済まないな」
お義姉さまが部屋から出てゆくと、お父さまがポツリと口にする。
「オペラのこと?
仕方がないわ。
侯爵様今日はどうしてもはずせない予定があったんですって。
せっかくお父さまが手配してくださったチケット、無駄にしたら勿体無いし」
「でもお前オペラ好きだっただろう?
初めて連れて行ってやったときのあの興奮振りは今でも忘れていないよ」
「はしゃぎすぎて新しく買ってもらったばかりのボンネット桟敷席から下に落として、大泣きしたのよね」
わたしはお父様の言葉を受けて言う。
「……仕方がないじゃない。
未婚の娘は保護者か婚約者のエスコートがないと劇場に入ることもできないんだもの。
でも、いいこともあったのよ。
お陰でここ暫くお義姉さまの機嫌が良かったの! 」
「本当に済まないな。
あともう少しだけ我慢してくれ。
式が済めばお前は侯爵夫人だ。
幸いあちらには舅も姑も小姑もいない。
この家よりは自由が利くだろう」
「ありがとう、お父さま」
その言葉でお父さまがどんな思いでこの縁談を勧めたのかなんとなく判った。
大きな不満はまだ抱えたままだけど、これ以上我儘を言ってお父さまを困らせてはいけないような気がする。
「そういえば、ドレスは直ってきたかな? 」
思い出したようにお父さまが訊いてくる。
「あ……
言ってなかったんだけど、ドレスも侯爵様の方で用意してくださるんですって」
「……そうか、残念だな」
お父さまが呟く。
「ごめんなさい」
わたしはそっと睫を伏せる。
呟いたお父さまの声が辛そうで、顔までは見たくなかった。
「何を謝っているんだ?
お前のせいではないだろう? 」
お父さまが言ってくれる。
「例え着られなくてもドレスはお前が持ってお行き」
「いいの?
お母様との思い出のドレスでしょ? 」
「いいんだよ。
あれはお前のものだ。
宝石箱の中身の大半は私の先の妻が持参したものだ、先妻との息子の妻であるあの嫁にも権利はある。
わたしの手元から持ち出してどうしようとあれの勝手だ。
どうせ女性物の宝飾品ではわたしが使うわけにもいかない。
せいぜい時折取り出して眺めて昔の妻の思い出に浸るくらいだがそれすら最近はしなくなって久しい。
それよりはあの女の身を飾るほうが余程有効だと思わないか?
もともとアクセサリーという物はそのために作られたものだ」
お父様が薄らと笑みを浮べる。
「だがドレスはお前のお母様が持ってきたものだ、あの嫁にどうこうされるいわれはない」
不意にお父様の顔つきがきつくなる。
「ありがとう、お父さま。
じゃ、そうします」
「望まれていくんだ、きっと幸せになれるよ…… 」
言ってお父さまはゆっくりと目を閉じた。
少し長居して疲れさせてしまったみたい。
「お休みなさい、お父さま」
耳もとで囁いてわたしは部屋を出た。




