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朝食も済んだ時刻だと言うのに、北向きで半地下のバックヤードは薄暗い。
メイドや料理人はよくこんな中で仕事ができると毎日思う。
「お嬢さん、お待たせしました」
執事の部屋の入り口で待っているわたしに、オスティさんがアイロンを掛けたばかりの新聞を渡してくれた。
「お手数かけてごめんなさい」
まだインクの匂いが残る新聞を受け取ってわたしは表に向かった。
階段を上りきりドアを開けると、ホールから差し込む光にわたしは目をしばたかせた。
僅かな明りしかなかった裏とは大違い。
だけど、こっちにいる人間の方が人数圧倒的に少ないのよね。
絶対効率悪いと思う。
廊下を暫く歩き、ドアの前に立つとわたしはスカートの皺を軽く伸ばしてからドアを叩く。
「グリゼルタかい? 入りなさい」
今日は少し調子がいいみたいで、弾んだ声が招きいれてくれる。
「おはよう、お父様」
言いながらドアを開けると、ベッドの脇でドレスの放つ白い光が目に飛び込んできた。
「お父様? これ…… 」
トルソーに掛けられたウエディングドレスにわたしは言葉を失う。
「綺麗」
僅かに青銀色の掛かった絹地のスカートはたっぷりと襞を取り長くトレーンを引く。
同じ色の上質な手織りのレースで作られたフリルが華美になり過ぎない上品な量であしらわれたかなり高価な作りに思わず見とれてしまう。
「お前のお母様が私のところに嫁ぐときに着てきたドレスだよ」
お父様が何かを懐かしむように目を細めた。
「お母様の? 」
「そう、そして将来娘に着てもらうのを楽しみにしていたんだ。
着てくれるかい? 」
「いいの? 」
「もちろん。
そのために今まで保管しておいたんだ」
笑顔を浮べてお父様が微笑んだ。
「もちろんお前が気に入らなければ、新しく作ってもいいんだよ」
「ううん、これがいい」
まさか、お母様のウエディングドレスが着られるなんて、思ってもみなかった。
だから嬉しすぎてどうしたらいいのかわからない。
「では、早速直しに出させよう」
「ありがとう、お父様。
凄く嬉しい! 」
ベッドに歩み寄ってお父様の頬に軽くキスする。
それから、部屋の壁際に片付けてあった椅子を動かしベッドサイドに置いた。
「今日も、いつもの記事からでいい? 」
椅子に腰掛けながら訊く。
仕事も家督もお兄様に譲ってしまったというのに、お父様はまだご自分のしていた仕事の動向を知ることに余念がない。
最近は目の衰えたお父様に代わって、新聞の記事を毎朝読み聞かせるのがわたしの仕事になった。
「いや、昨日の記事の続きだ。
ガッリーニ海運の海難事故の件、新しい記事は報じられているか? 」
「ちょっと待ってね」
新聞を広げわたしは見出しを大雑把にチェックする。
「あったけど、特に新しいことは何も載っていないようよ」
見出しで見つけた記事を斜め読みして言う。
「いいから、読んでくれ」
言われるままにわたしは記事の音読をはじめた。
「お嬢様、こちらですか? 」
記事を半分程読みすすめたところで、ドアのノックの音と共にオスティさんの遠慮がちな声が響く。
「ええ、ここよ」
読んでいた新聞を中断しわたしは顔をあげる。
「失礼します。
お嬢様、侯爵家からお式の打ち合わせの方がお見えになっていますが」
オスティさんはわざわざ部屋の中に入ってくると、お父様にも聞えるように言う。
「まって、この記事だけ読んでしまうから」
反射的にこたえる。
「申し訳ございません。
お早く願えますか?
旦那様も奥様も、いらっしゃらなくて、お使いの方をお待たせするわけには…… 」
オスティさんが渋い顔をした。
「お二人とも? 」
「はい、侯爵家からのお使いはお嬢様に御用事があるのだからお嬢様がお相手すればいいと仰っておりました」
オスティさんの言葉にわたしは首を傾げる。
お誕生日のお茶会と違って、結婚式ともなればお互いの家の立場とか複雑なことが絡まるから、普通なら家長か最低でもその奥さんが立ち会うのが一般的な筈なのに。
「お父様、中断してもいい? 」
「ああ、行っておいで」
その声を受けてわたしはしぶしぶ立ち上がった。
本当なら、このまま会わないって言いたいところなんだけど、お父様の前ではさすがにね。
意識せずに大きなため息が出る。
正直憂鬱で仕方がない。
「なんだ?
気が乗らないみたいだな?
侯爵様は気に入らないのか?
お前が伯爵家の小僧を気に入っていたのは知っているが、もう忘れなさい。
夫になる方を好きになる努力をしなければ失礼だろう?
侯爵の若い頃を知っているが、誠実でいい人物だよ。
付き合ってみれば判る」
お父様が言う。
「ね、お父様、努力ってどうしたらいいの? 」
去り掛けた足を止めわたしはお父様に訊く。
「できるだけ会話をすることを心がけなさい」
「会話って言っても、肝心の侯爵様と顔を合わせないんですもの。
侯爵様のお顔を見たのって、あの婚約発表をした夜会の日だけよ。
それだって挨拶周りが主でろくにお話もしていないもの。
お式の打ち合わせだって、いつでも代理の侯爵家の家令さんだし」
「侯爵様は色々お忙しいんだよ」
「だから、わたしが侯爵邸にお伺いしますって言ったのに、お断りされるし。
婚約のお祝いにお二人でって招待された夜会にだって、一度もエスコートしていただいていないわ。
普通、こういうご招待はお受けしなくちゃ失礼でしょ? 」
わたしは不満を口にする。
仕事柄、婚約者を連れての夜会を避けたい風だったエジェだって、時々はエスコートしてくれた。
侯爵様はそう言った不都合は全くないはずなのに。
「そう拗ねるな…… 」
お父様は言うとオスティさんに目配せする。
するとオスティさんは部屋の片隅のチェストの上から一通の封筒を取り上げわたしに差し出した。
「なぁに? 」
首を傾げながら封を開くと、オペラのチケットが入っている。
「侯爵様と行っておいで」
ベッドの上でお父様が笑みを浮かべる。
「でも、女性の方からお誘いなんて失礼じゃない? 」
わたしは首を傾げる。
こういったものは男性側からのお誘いが普通。
例え女性がおねだりしても、チケットを入手して誘うのは男性の方と決まっている。
「婚約者なんだ、別に構わないだろう」
お父様が言う。
「じゃ、そうします。
ありがとう、お父様」
お父様に軽くキスしてわたしは寝室を出た。
「ごめんさい、お待たせしてしまったかしら? 」
お父様はベッドから出られないし、お兄様は不在ということで代わりにオスティさんに付き添ってもらって応接室に足を踏み入れる。
同時にわたしは声を掛けた。
背を向けソファに座っていた男性がゆっくりと立ち上がり、こちらを向いて頭を下げる。
案の定、今日も侯爵家の家令さんだ。
「こちらこそ申し訳ございません。
本来なら主人が足を運ぶべきところなのですが、ここのところ所用で少し建てこんでおりまして。
お伺いできない非礼を詫びておりました」
家令さんはいつもと同じ言葉で謝る。
「あの、そんなにお忙しいんでしたら。
お式もう少し先に延ばすとか? しても構わないんですけど」
少しだけ皮肉をこめて言ってみる。
半分以上は本音。
こんな話ずるずる引き延ばしてエジェの時みたいに自然消滅してしまえばいいと思う。
「そう言う訳には参りません」
わたしの皮肉が通じたのか、家令さんは少し眉根を動かして、それでも事務的に応える。
「こちらとしましては契約ですので。
侯爵は一日も早くと希望しておられますので、これでも充分譲歩しております」
面白くもなんともない返事だ。
って言うか、希望しているんだったらもう少し本人が積極的にならないとおかしいと思うんだけど?
結婚するのは家令さんじゃなくて、侯爵様自身の筈。
なのに全く他人に丸投げってどういうことなんだろ?
この婚約が整ってからずっと思っている疑問なんだけど、言ったところで「侯爵様はお忙しい」の答えしか返ってこないから、仕方なく口を閉ざす。




