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3-6

 

 部屋のドアを誰かがノックする。


「お嬢様、起きていただけますか? 

 テオドールお坊ちゃまが朝食をご一緒にとお待ちになっていますけど」


 遠慮がちなメイドの声が響いた。

 この部屋を訪れる時、メイドは大概そうだ。

 何を遠慮しているのか、対外少し困った声を押し殺す。


「……ごめんなさい」


 促されて、のろのろとベッドを降りる。


「申し訳ありません、昨夜遅かったのですよね」


 着替えを手伝ってくれながらメイドがすまなそうに頭を下げた。


「それは皆だって同じでしょ。

 むしろわたしなんかよりよっぽど遅くまで働いて、早くにベッドをでてたでしょう? 」


「ご存じでしたか? すみません。起こしてしまって」


「ううん、寝付けなかっただけだから。

 気にしないで」


 この部屋に越して以来、使用人の皆が夜半と早朝の部屋の出入りに気を使ってくれていることは知っている。

 わたしの部屋の前を通るときは口をつぐんでできるだけ足音を忍ばせてくれていることも。

 だから申し訳ないけど、熟睡していて皆が何時階下へ降りて行ったか知らない朝だってある。


 だけど昨夜は問題外。

 突然のお兄様の行動に、悔しいやら悲しいやら、もろもろで結局一睡もできなかった。


 何がどうなっているのかは理解できなかったけど、お兄様が一方的にジュスト家との婚約を破棄して、侯爵家との婚約を結んだことだけは確か。


 エジェや伯爵様が招待されていなかった訳も納得がいった。


「あんなお話のあとですものね。

 あまりに突然過ぎてわたくしたちも驚いたんですよ」


「……やっぱり皆何も知らなかったんだ」


「はい、知っていたのは恐らく最低限。

 執事のオスティさんとハウスキーパーくらいだったかと」


「お兄様とお義姉さまのやりそうなことよ。

 みんなの耳を通じて事前にわたしの耳になんか入ったら、騒ぐとか暴れるとか最悪駆け落ちなんてことになるんじゃないかって、心配したのよ」


「だからって、あれはあんまりですよ。

 ご婚家からのドレスも届かずに、よりによって伯爵家から贈られたドレスで婚約発表だなんて。

 非常識すぎますわ」


 慰めるように言ってくれる。


「それだって計画の内でしょ。

 今まで一度だってボールガウンなんか作ってくれなかった手前、新しいドレスを宛がって着るように言ったら、わたしが何か勘付くんじゃないかって。

 幸いまだ一度も着たことがない頂いたばかりのドレスがあったのはオスティさんから報告が行っていたはずだし」


「それにしたって、酷すぎますわ」


 メイドは気の毒そうに眉根を寄せてくれた。


「ね? お兄様、もう起きてる? 」


 わたしはテオにあげるつもりで昨夜会場からくすねた砂糖菓子をメイドに渡しながら訊いた。


「はい、今しがた奥様のお部屋に朝食を運びましたから。

 恐らく旦那様も食堂にいらっしゃっているかと思いますけど」


「ありがと! 」


 わたしはメイドから離れると、部屋を飛び出した。

 

 

 転がるように裏階段を飛び降り、食堂へ向かう。


 話をするなら今しかない。

 お義姉さまだけでなく、貴族の奥方は大概朝食をとってからベッドを降りるから、今ならダイニングにお兄様一人のはず。


 お兄様だけだって手ごわいのに、お義姉さまが側についていたらそれこそ話にさえならない。

 わたしはダイニングのドアを押し開けた。


「お兄様、どういうこと? 」


 ずっとお父様の席だったダイニングテーブルの正面に座ったお兄様の姿を目に声を張り上げる。


「朝から挨拶もなしにその物言いとは、結構な行儀だな」


 お兄様は顔色一つ変えずにお皿の上でナイフを動かしながら言う。


「あ、おはようございます。

 お兄様こそ、わたしに何の相談もなくエジェとの婚約を破棄するってどういうことよ? 」


 とりあえず挨拶をしておいて続けた。


「お前のためだと思ったからだ。

 マリーニ家は侯爵家だぞ。

 しかも既に家督を継いでいる。

 そこへ嫁ぐということはお前も侯爵夫人だ。

 少々年は離れているが初婚だし、これ以上ないほどの条件だ。

 お父様も賛成してくれたよ。

 これで大事な娘を得体の知れない伯爵家の爵位も継げない三男坊になど嫁にやらずに済むと。

 何の文句がある? 」


 食事の手を止めお兄様は首を傾げた。


「大有りよ! 

 じゃ、わたしの気持ちはどうなるの? 

 伯爵家にだって失礼じゃない」


「はん、あんな年寄りの口約束。

 お互いの家に何の利益もリスクもないんだ。

 どうってことないだろう。

 それより、お前にも少しは役に立ってもらわないとな」


「役にって…… 」


「我が家は今、事業に行き詰まっているんだ。

 侯爵はお前の嫁入りと引き換えに我が家に援助を約束してくれた」


「そんな話聞いてないわ」


「ああ、言わなかったからな。

 お前の事業の話をしてどうなる? 」


 お兄様は当たり前のように言う。


 確かにわたしにそんな話したって理解不能なのは事実だけど。


「だからってあんまりよ。

 こんな話急に押し付けてくるなんて」


 その言葉にお兄様が一瞬わたしを睨む。


「お前の着ているそのドレス、何処から金が出ていると思っているんだ? 」


「これは、お義姉さまのお下がりじゃない」


 お父様がベッドから降りられなくなって以来、新しいドレスなんて作ってもらったことなんてない。

 夜会や舞踏会へ出席する為のドレスは全てエジェと伯爵家から贈ってもらったもので、デイドレスはお義姉さまのお下がりを直して着ている。

 そのお下がりだって年にせいぜい一・二枚。

 お義姉さまがよっぽど気に入らなかったものか、取り返しがつかないほど大きな傷や汚れがついたものだけ。


「黙れ。

 まだ着られるのだから充分だろう? 

 あれは一家の主婦としての体裁もある、新しい衣服が必要だが、毎日子供と遊んでいるだけのお前にはそれでも贅沢すぎるくらいだ」


「っ…… 」


 それを言われると言葉がない。


 だけど、それだってもともとはお義姉さまが押し付けたようなものだ。

 一方的に乳母を首にして、人手が足りずに右往左往している使用人が気の毒で見るに見かねてテオの相手をしてあげたのが運の尽き。

 以来お義姉さまは新しい子守りのメイドを雇ってはくれなかった。

 だから成り行きでテオの面倒を見続けている。

 けど、誰に頼まれたわけじゃなく、わたしが好きで勝手にやっていることにこの家ではなっている。

 反抗したところで、『イヤなら止めろ、強制した覚えはない』といわれるだけだ。


「加えてお前の大好きなお父様の治療費。

 月々いくら掛かると思う? 

 もし、侯爵の援助がこの先受けられなければ、我が家はこの家屋敷も手放すことになる。

 街中の小さな家でお父様に充分な治療を受けさせることも不可能になるだろうな」


 お兄様は脅しのような言葉を続ける。


「お父様がこの先、きちんとした治療を受けられるかどうかはお前に掛かっているんだ」


「つまり、お金で、わたしを売ったってことよね? 」


 今度はわたしがお兄様を睨みつける。


「人聞きの悪い。

 婚家同士が助け合うのは常識だ。

 お前だってこの子爵家の娘だ。

 お父様に貢献するのが当たり前だろう? 

 それとも、そんなに身のほど知らずだったのか? 」


「……エジェや、ジュスト伯爵様はなんて? 」


「さて、婚約破棄の書状は送ったが、何も言っては来なかったな。

 向こうも、年寄りの酒の上での冗談に付き合わなくて済んでほっとしているんじゃないのか? 」


 お兄様が莫迦にしたような笑みを浮べる。


「嘘よ! 

 そんなこと、ないもの! 」


「婚約発表をしただけで三年も婚姻に進展しないのがその証拠だろう? 」


「それは、エジェが忙しかっただけで」


「そうそう、その忙しい仕事。

 かなりいかがわしいことだそうじゃないか。

 そんなところへ嫁に出したりしたら、世間で俺はいい笑いものになる。

 いいから、お前は黙って俺の言うことをきいていればいいんだ! 」


 話しているうちに苛ついてきたのだろう、最後には怒鳴り声になる。


「イヤよ。

 絶対に嫌! 」


 わたしは闇雲にダイニングを飛び出した。


「一ヶ月後には挙式だ、いいな! 」


 お兄様の声だけが追ってきた。

 

 


 気が付くと、わたしはジュスト魔術医院の玄関先に立っていた。


 どうしてここに来てしまったのか自分でもわからない。

 戸惑いながら呼び止めるオスティさんを振り切って邸を出たのは確かなんだけど。

 話を訊いてもらいたかったのか、婚約破棄を無効にするようにお兄様を説得してもらいたかったのか。

 とにかく、エジェの顔を見たかった。

 

 だけど…… 

 

「また、おいでね」


 いつもそう言ってくれる伯爵様の顔が浮かぶ。


 こんな状況の時においでって言ってくれたわけじゃないのに。

 

 ……止めよう。

 

 書状はもうお兄様が送ってしまっているわけだし、どんな顔してエジェや伯爵様に会えばいいのかわからない。

 もう、ここには来られない。


 そう自覚すると視界が滲む。

 わたしは瞬きするだけで今にもこぼれそうになる涙を、目を見開いて空を見上げかろうじて止めながら、ゆっくりと治療院のドアに背を向ける。


「グリゼルタお嬢さん? 」


 そのわたしの気配を察したようにドアが開くと、いつものメイドが声を掛けてくれた。

 

「どうぞ、お入りになってください。

 旦那様も今往診からお帰りになったところで、居間でお茶にするところですから」


 そっとわたしの背中に手を掛け家の中に引き入れてくれた。


「やっぱり、わたし帰るわ」


 居間の前まで来ると、そのドアを開ける勇気が持てない。

 お兄様からの書状が届いているということは一方的な婚約破棄が伝わっているということで。

 もう、何を言って、どう謝ればいいんだか…… 

 どう考えたって、わからない。


「ありがとう、手伝うよ」


 お茶が届いたのに気付いたように、伯爵様が突然ドアを開けた。


「……グリゼルタ? 」


 メイドに付き添われてその場に立つわたしの顔を見て伯爵様は驚いたような声をあげる。


「伯爵様、わたし…… 」


 謝りたいのに、言いたいこともお願いしたいこともあるのに、何故か言葉が出てこない。


「……いいよ。

 判ってる」


 優しくつぶやくと伯爵様はわたしの背中を抱き、子供をあやすようにゆっくりと背中を優しく叩いてくれる。


 わたしの目から、涙がどっとあふれ出た。

 


「落ち着いた? 」


 程なく、わたしは治療院の居間のソファに座っていた。


 手にしたカップの中で入れてもらったばかりの暖かなお茶が揺れている。


「話は聞いたよ」


 伯爵様の声は何時にも増して穏かだ。


「ごめんなさい…… 」


 喉の奥に引っかかった声をかろうじて絞り出す。


「謝らなくちゃいけないのはこっちだ。

 完全にこちらの落ち度だね。

 エジェオがぐずぐずしていたから。

 正式な婚約から三年も結婚に至らなかったのだから、ティツィアーノ子爵が怒って婚約破棄を申し出てくるのも無理はない。

 正直、何も言えなかったよ」


 伯爵様はわたしにもはっきりと聞えるほどの大きなため息をついて顔を歪めた。


「エジェは、なんて? 」


 ポツリとわたしは口にする。


 お兄様がどう考えているかなんてどうでも良かった。

 伯爵様の立場がどんなものかなんて考えたくない。

 エジェが側にいていいって言ってくれさえすれば…… 

 祈るような気持ちで訊く。

 

「それが…… 

 他国のとあるシャトーでね、貴重な古いクラレットを大量放出するとか言う話を聞きつけてね、買い付けに出かけてしまったんだ。

 七日程で戻ると言ったんだが、十日経ってもまだ戻らない。

 エジェオのことだから国を出た次いでに足を伸ばして他の買い付けもしているのかも知れないが。

 一応連絡はとるように手配は済ませたけどね、まだ返事が来ない」


 少し悔しそうに伯爵様は顔を歪めた。


「エジェ、らしい。

 ……ですよね。

 遊学の時もそうだったでしょ? 

 一年って言って戻ってきたのは三年後だったし」


 思わず笑みがこぼれる。


「さすがに今度は自分の店があるからね。

 そこまで長くはならないと思うのだが。

 とにかく本人に帰ってきてもらわないことには。

 普通なら、貴族間の結婚なんて何らかの利害関係が生じているから一方的な婚約破棄は問題が生じるんだが、今回は、ね。

 もうこの世に居ない者同士の口約束だったから。

 何より本人同士がそのつもりだったのに安心して、誓約書も何も取り交わしておかなかった私の落ち度だ。

 婚約発表まで済ませられてしまったら、相手が王室公爵家と縁のある侯爵家の主というのも都合が悪い。

 なにしろ我が家は爵位を持っていると言っても異端の系列だから、伯爵と爵位を名乗っていても下手したら子爵家よりも格下だし。

 どうしてあげることもできない。

 済まなかったね」


「わたし、どうしたら…… 」


 揺れるお茶の表面を見つめながらわたしはつぶやく。


「君の気持ちを考えたら、

『このままここに居てもいいんだよ』

 って言ってあげたいんだけど。

『貴族の家に生まれた娘としてどうするべきか、君自身よくわかってるよね? 』

 としか言ってあげられないのが悔しいよ」


 その言葉にわたしはただ小さく頷くしかなかった。


 ベッドから降りられないお父様のことを引き合いに出されたらわたしに拒否権なんかない。

 ううん、お父様がもし元気でも今の我が家の経済状態じゃ断ることなんかできない。


「……ごめん、なさい」


 つぶやくとまた涙が零れ落ちた。


「謝らなくていい、君が悪いんじゃない。

 言っただろう? むしろ謝らなくてはいけないのは私の方だ」


 伯爵様が心底悔しそうな笑みを浮べた。

 

 


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