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遠慮がちにドアをノックする音が部屋に響く。
「お嬢様、準備はお済ですか?
奥様がお待ちですよ」
古参のメイドの声がする。
「ええ、今行くわ」
テオの差し出してくれた髪飾りを結い上げた髪に挿しながらわたしは声を張り上げる。
次いでもう一度鏡の中を覗き込んで、ドレスの着付けを確認する。
手間のかかるドレスを一人で着るのにもだいぶ慣れた。
「お手伝いしましょうか? 」
待ちくたびれたようにメイドが入ってくる。
「いいんですか? そのドレスで」
押えた銀鼠色のボールガウンにメイドが眉を潜ませる。
「これ今日初下ろしの新品よ。
それに主役のお義姉さまより目立たなければ何でもいいと思わない? 」
わたしは首を傾げる。
お父様が家督をお兄様に譲ってから一ヶ月。
今日はそのお披露目の夜会。
お義姉さまも晴れて子爵夫人になったことになる。
「ですが、あまりに地味すぎて、反対に奥様に不興を買いませんか? 」
困惑気味に忠告してくれる。
「でもね、他にこれってドレス持ってないもの。
ルピナス色は派手でしょ?
そっち孔雀色だってお義姉さま喰いそうだし。
桜草色は絶対被るのよ」
手持ちのボールガウンを全部あげてみる。
先日エジェが誂えてくれたこのドレスだけが唯一お義姉さまより華美にならず、且つお義姉さまが着るはずの色と被らない。
もしこのドレス頂いていなかったら、今夜の舞踏会は絶対欠席。
仮病でも言い訳にしてベッドにもぐっている他にはなかったと思う。
「奥さま、ピンクお好きですものね」
「お義姉さまに一番似合う色なんだもの、仕方ないわ。
せめて わたしに黄色系が似合えばね、一枚くらい持っていたかも知れないんだけど」
「お嬢様の場合、黄色は致命的に駄目ですものね」
「そ。
髪も肌もドレスも同じじゃ着ているんだか着てないのかわからなくなっちゃう。
で、残ったのがこれだけなのよ。
今まで一度だってお義姉さまと同じ夜会に行くことなんかなかったから。
ドレスの色が被ることなんて考えたこともなかったのよね」
「そういえば、珍しいこともあったものですね。
奥様が夜会にお嬢様をお呼びになるなんて」
背中のリボンを締め直してくれながらメイドがまたしても首を傾げた。
「それはほら、お父様が病んでから今まで一度も家で夜会なんてなかったから偶然そうなっただけでしょ? 」
「ですが、内輪のお茶会にだって一度も…… 」
「それはあくまで内輪だもの、家人の一人二人かけてもお客様に失礼にはならないでしょう?
さすがに今日はお兄様の家督相続披露の夜会だもの。
お父様の手前わたしも居ないと都合が悪いのよ、きっと。
どうせ主だった方にご挨拶したらすぐにチビ達のお世話に行けって言われるわ。
それまでテオとルイーザのことお願いね」
着付けたドレスを直してもらった御礼を言ってわたしは部屋を出た。
バックヤードをでて、邸の大階段まで来ると階下から人の会話する声が響いてくる。
もうかなりの数お客様が集まっているみたい。
いつものことだけど、こういう場所は緊張する。
大概はエジェが隣にいてくれて手を握ってくれるから、どうにか安心できているんだけど。
何故か今日はエジェもジュスト伯爵様も招待されていないみたい。
本来なら、もうすぐに縁続きになる伯爵家をこういった場所に招待しないのは絶対おかしいんだけど。
お義姉さまのことだ。
きっと招待客が予定人数を超え、予算オーバーにでもなったせいで切れるところを切ったのだろう。
家での夜会ならわたしをエスコートしてくれるパートナーが居なくても不都合はない。
勝手にそう解釈したことは簡単に想像できた。
あとで言い訳して誤るのはわたしの仕事。
そう考えると頭が痛くなりそうだけど。
……しっかりしなきゃ。
自分に言い聞かせて、ステアケースを降りてゆくと、早速お義姉さまと目があった。
「まぁ、グリゼルタ随分ゆっくりだったのね。
お客様がもうお待ちかねよ」
お義姉さまはまるで待っていたかのようにわたしに歩み寄ってくる。
しかも、その物言いがなんか、変。
「ごめんなさい、お義姉さま。
一人で髪を結って、ドレスを着るのはなかなか大変なの」
お客様の耳があるからできるだけ耳障りのいい声で、でも嫌味をぶつける。
「あら、ごめんなさいね。
気が付かなくて。
手が欲しいときには妙な遠慮しないでいつでも言ってって、言ってあるでしょう?
メイドが駄目でもルイーザの家庭教師だって居るのだから」
お義姉さまが笑みを浮べた。
「それにしても地味なドレスね。
そんな色あなたにはまだ早すぎるわ。
もう少しマシなものはなかったの? 」
案の定嫌味を言うことは忘れないんだけど、気持ちいつもより言葉や口調がソフトな気がする。
……やっぱり、変。
こういう時には大概、眉間に皺を寄せ声を荒げてわたしを責めるのが常なのに。
来客の目がある場所だって普段なら、あからさまに無視するとか別の報復にでるはずだ。
なのに、謝るなんて、絶対ありえない。
妙な違和感を抱えて頭を捻っていると、お兄様が背の高い黒髪の男性を伴って近付いてきた。
この人、どこかでみたことが……
まるっきり初対面じゃないその顔にわたしは首を傾げた。
そう、たまに行く夜会に必ずある顔で、妙な視線を感じて振り向くと必ず目が合う人。
先日のミリアムのお茶会でも遭遇したばかりだ。
ただ、誰からも紹介されていなくて、全く名前を知らない。
身なりからして、身分の高い人だとは思うんだけど。
などと考えているうちに、お兄様の身振りでホールの中に流れていた音楽が止む。
それを合図に居合わせたお客様の視線が一斉にこちらに集中する。
「皆様、今宵はお忙しい中をお運びいただき…… 」
お定まりの挨拶口上が始まった。
とりあえずはお義姉さまの隣に立って、その話に耳を傾ける振りをする。
報告の挨拶は何処にいっても大概同じ。
取り立てて耳を引く言葉もない。
エジェみたいな面倒臭がりだとかなり端折るから短時間で終わるんだけど。
お兄様じゃそうは行かないわよね。
「……そして、私事ではありますが…… 」
面倒に思いながらこっそり欠伸を噛み殺していると、突然話題が変わった。
「今、こちらに居られますマリーニ侯爵と私の妹グリゼルタとの婚約が整ったことも併せてご報告いたします」
お兄様が声を張り上げた。
ちょ……
何?
何がなんだか判らなくて、動揺して声が出ない。
それはここに居る招待客の過半数も同じだっただろう。
あちこちから祝福の拍手ではなくどよめきが上がる。
「お兄様!
何を言ってるの? 」
「ジュスト家との婚約は破棄した。
家長の俺が決めたんだ、黙って従え」
一瞬飲み込まれそうなほどの冷たい目で睨まれた。
本当なら、今ここでそんなの嘘だ、絶対に従わないって、声を荒げて突っぱねたい。
だけども、お客様の目もあるし何より隣に立つ侯爵様に失礼だ。
仕方なくわたしは押し黙るほかになかった。
「よろしく、グリゼルタ嬢」
侯爵様が膝を折るとわたしの手をとりキスを落す。
それに触発されて会場の中から数拍の拍手が始まり、やがてホールの天井に響き渡った。




