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南向きの病室は穏かな光で満ちていた。
窓から入るその光は部屋の隅々まで広がり、手元に広げた新聞の文字が楽に拾える。
「……これからの動向については、注意が必要だ」
文字を目で追いながら口に出す。
その記事を最後の一行まで読み終わるとわたしは持っていた新聞を降ろした。
「ここまでよ、お父様」
ベッドの中のお父様に言う。
「ああ、ありがとう。グリゼルタ」
言うお父様の声は以前に増して力がない。
……ここ数ヶ月で、一層弱ったみたい。
「あら、グリゼルタ、こんなところにいたの? 」
広げてあった新聞を畳みながらぼんやりとお父様を見ていると、お義姉さまがふらりと顔を出す。
「お父様が新聞を読むのにお付き合いしていたの。
もう終わったから…… 」
わたしは手にしていた新聞をお義姉さまに見えるように前に持ち、言う。
「あら、そうなの?
ご苦労様、だこと」
お義姉さまはわたしを莫迦にしたように僅かに顔をあげる。
「それで、お前は何の用だ? 」
お父様が待ちきれなくなったようにいらだたしげな声をあげた。
「ああ、指輪をお借りしたくて。
主人のお母様のお形見のエメラルドの指輪をお義父様がお持ちだと伺いましたわ」
お義姉さまが思い出したように言う。
「それなら、そこの宝石箱の中だ。
持って行きなさい」
お父さまは壁際のチェストを指差した。
お義姉さまは目を輝かせて指示されたチェストに向かい中から宝石箱を取り出した。
「では、お借りしてゆきますわ。
明日の夜会で必要ですの」
お義姉さまは緑色の大きめな宝石が光る指輪を手に上機嫌で部屋を出てゆく。
「お父さま? 」
こんな光景を見るのはもう三度目だ。
それにお義姉さまが持っていった物がこの宝石箱に戻ってきたためしがない。
お父さまはそれ以上何にも言わないけど、なんとなく不安になる。
「気にするな。
それより、今日はお友達のお茶会にご招待されているんじゃなかったのかね? 」
ベッドの中のやせ細ったお父様をぼんやりと見つめていると突然言われた。
「そうなの、行って来るわね」
「ああ、楽しんでおいで…… 」
それだけ言うとお父様はゆっくりと目を閉じる。
痩せただけじゃなくて、こうして眠る時間も増えた。
「おやすみなさい、お父様」
ベッドの中に小さく言って、わたしは部屋を出る。
「グリゼルタお姉ちゃま、お出かけ? 」
部屋で着替えをしていると、隣の部屋の続きドアからテオが顔を出す。
もうすぐ六歳のお誕生日が来るテオはだいぶ大きくなった。
「そうよ。
お友達のお家のお茶会に行くの。
夕方までには戻るから、それまでこれ読んでいてくれる? 」
傍らのチェストの上に置いておいた絵本を取り上げテオに渡す。
最近のテオは字もすっかり覚えて一人で本を読んでくれる。
飽きても一人遊びしてくれるから、午後の三時間くらいならメイド達の手をそう焼かせずに済む。
「あとで、何が書いてあったか訊くからね。
少しでもいいからきちんと読んでおいてね」
言い置いてわたしは部屋を出た。
お義姉さまは上のルイーザには五歳になると早々に家庭教師をつけ階下の部屋を宛がったのに、テオは未だに子供部屋から階下へ移る許可を出さない。
それどころか、読み書きまで成り行きでわたしが教えていた。
ま、おかげで退屈はしないで済んでいるんだけどね。
揺れる馬車の中で、わたしは傍らに置いた箱を膝の上に乗せる。
中身は真っ白なモヘヤで編んだ手製のおくるみ。
本当はミリアムの好きなピンクで編みたかったんだけど、男女どっちだかわからないから、妥協して白。
ミリアム気に入ってくれるといいんだけど。
わたしの婚約発表のあと、すぐにお相手の決まったミリアムはもうすぐお母さんになる。
今日はその報告をごく親密な知人に報告する、内輪のお茶会だって聞いている。
少しわくわくしながら、プレゼントの箱に掛かったリボンをもう一度結びなおした。
「いらっしゃい、グリゼルタ」
郊外のこじんまりとした館に到着すると、ミリアムが少し大きくなり始めたおなかを庇うようにしながら、わたしを迎えてくれる。
「お招きありがとう」
応接室には既に数人の来客の姿がある。
う~ん、内輪だって訊いたんだけどな。
お茶会というには少々大きな設えにわたしは戸惑った。
「来てくれて嬉しいわ」
ミリアムが嬉しそうな笑顔を向けてくれた。
「ごめんなさい、あのね。
エジェなんだけど少し遅れるって……
その、内輪だって聞いていたからエスコートナシで一足早く来ちゃったんだけど、不味かったわよね」
最後のほうは消え入りそうな声になっていたのを自覚する。
ミリアムはともかくとして、正直他の招待客の視線が痛い。
「いいのよ。
わざとそう言ったんだもの。
でないとグリゼルタ、あなたちっとも来てくれないじゃない」
ミリアムは不満そうに口を尖らせた。
「だって、婚約者のエスコートなしじゃ非常識だもの」
「その、婚約者さん。
忙しすぎて今日だって来られなかったんでしょ? 」
「今日はね、その。
来てくれるはずだったのよ。
それが急な仕事が入って、戻るのが遅くなるからって…… 」
「はい、はい。
ご馳走様。
あなたたちって、お付き合い長いのに呆れるほど仲がいいのよね」
「そう? 」
「普通はね、年に一、二度しか夜会や観劇に連れ出してくれなくなった婚約者なんて居なかったことにして、礼を欠いても大丈夫なところには出かけるものよ。
グリゼルタみたいに莫迦真面目にパートナーの時間が空くの待ってなんか居ないわよ」
言葉どおり呆れたように言う。
「それは、あのね。
エジェのせいばかりじゃないのよ」
正直言えば、わたし側の都合によるところの方が大きい。
夜会に出るためには、テオの面倒をただでさえ人手不足でぎすぎすしているバックヤードの誰かに頼まなければいけなかったし、ドレスだって毎回同じものって訳には行かない。
「それにしても、あなたの未来の旦那様、妙なお仕事はじめたわよね。
女性客限定で見目のいい男性がもてなしてくれるサロンなんて」
窓際の居心地のいい席に案内しながら、興味を隠し切れないように聞いてきた。
それはミリアムだけじゃなく、居合わせたみんなの知りたいところだったみたいで、たちまちわたしの周囲はご婦人達が集まってしまう。
「本当に、何処であんな仕事覚えてきたのか、わたしも不思議なのよね。
恐らくは遊学先の外国なんだろうけど」
考えられるのはそれしかない。
もともとエジェはフェミニストだったんだけど、あの遊学から帰ってきたあとそれに拍車が掛かったような感じで。
ついにはそれを仕事にしてしまった。
それがまさか、今現在この国で誰もやらなかった形式の飲食店だなんて思ってもみなかった。
「普通、貴族の子弟がつく職業って神官とか執務官ですものね。あとは王宮の近衛とか」
正面に座っていた若いご婦人が首を傾げた。
「ええ、でもエジェオ様の場合お家が魔術師の家系だから、そう言った職業には就けないし」
同じように首を傾げながらわたしは答える。
かといって生まれつき魔力のあまりないエジェは魔術師にも魔術医にもなれなかった。
こうなると自棄になってあんな仕事はじめたとしても不思議じゃない。
「騎士や、神官に扮した方々がお酒の相手をしてくれるのでしょう?
今度是非行ってみたいわ。
ご招待してくださるかしら? 」
右手に座ったご婦人が言う。
「あ、その。
サロンって言っても、貴族の方々が開くような特定の方々限定の会じゃないので。
もしかしたら、身分違いの方とご一緒になって不快な思いをなさるかも。
それでもよかったら、いつでもお店に行ってください。
招待状は不要ですから」
わたしは慌てて言う。
エジェ曰く『ホストクラブ』とは本当に来る者拒まずの飲食店。
公爵様のお妃さまだろうが、商家の出戻り娘だろうが、お金さえ持っていれば誰でも入れる。
もっとも、お店の中で少し優越感を味わいたいと思うならそれなりの金額を払わなくちゃいけないから、自然と来客は上流階級に限られてしまっているみたいだけど。
と、わたしってば何で今こんな下世話な話を脳内で思い返しているんだろう。
全部エジェが悪いのよぉ。
これはミリアムには悪いけど、ぼろが出ないうちに退散したほうがいいみたい。
少なくとも、この話の輪からは外れたほうが身のためだ。
「そういえば、わたくし先日初めてうかがいましたのよ。
それがもう、お相手してくれた青年が、礼儀正しくておやさしくて…… 」
運良く、話題がお店の方に向く。




