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2-11


 ノックのあと子供部屋のドアを開けると、テオが得意そうな顔で振り返った。


「グリゼルタお姉ちゃま。

 できたよ! 」


 羽織ったコートの前を自慢気に見せる。

 最近のテオのマイブームは服の前ボタンをどれだけ早く止められるか。

 わたしが自分の部屋にコートを持ちに行っている間に、自分のコートを羽織ボタンを掛けていた。

 ……んだけど、急いだせいだと思うけど見事にボタンとボタン穴の段がずれてる。

 それも一つじゃなくて二つずつ。

 さすがにこれじゃ外には連れ出せない。


「ごめん、テオ。

 早いのは誉めてあげるよ。

 わたしがコートを持ちに行っている間に皆ボタン止められたんだね。

 偉いね。

 だけど…… 」


 わたしはテオのコートの裾を指し示す。


「ね、こことここのボタンが一人ぼっちだよ。

 一人じゃかわいそうだよね。

 掛けなおしてあげよっか」


「うん! ぼくやるね! 」


 一応なるべく刺激しないように言ったのが功を奏してかテオは素直に頷いてくれた。


「手伝う? 」


 おぼつかない手でボタンを外すテオを目に訊いてみる。

「自分でできるのに」って拗ねられるから無暗に手は出せない。

 暫く待っているとテオはボタンを全部外してもう一度止めなおした。

 今度はきっちり揃っている。

 やればできるんだけど、とにかく時間にこだわっているテオは急ぐあまり良くこういったミスをする。

 お陰で余計に時間が掛かってしまっていることには気がついていないようだ。


「じゃ、いこっか」


 ポケットの中にお父様の処方箋を忍ばせたのは確認して、わたしはテオの手をとった。

 


 オスティさんに見送られわたしはテオの手を引いて邸を出る。


 街までの距離はお散歩に丁度いい。

 少し大きくなって体力が増したテオは、最近家の中にばかりおいておくと寝つきが悪い。

 こうして少し運動させるほうが夜もよく寝てくれて夜中に目を覚ましてむずかることもない。

 それにわたしもあの天井の低い屋根裏部屋から開放されていい気分転換になる。

 

 商店街の傍らにある薬屋に処方箋を預け、店を出る。


「グリゼルタおねえちゃま、用事終わったの? 」


 手を握ったままでテオが訊いてくる。


「うん、お母様も待っているし、帰ろうね」


 わたしは足を屋敷に向けた。

 だけど、テオの足が動かない。


 理由はわかっている。

 まだ帰りたくないのだ。

 そりゃ、そうよね。

 薄暗い屋根裏の子供部屋に一日、しかも階下に響くからできるだけおとなしくしていろだなんていわれて、腕白になり始めた男の子が我慢なんかできるわけがない。


「ステラがね、おやつ用意してくれているよ。

 今日は何かな? 」


 とりあえず食べ物で釣ってみる。

 本当はこのまま気の済むまで遊ばせられればいいんだけど、まだ四歳前のテオは時に疲れて歩くのを嫌がる。

 家まで抱っこして帰るのなんてわたしの腕力と体力じゃ絶対無理! 

 だけど、お迎えの馬車なんか頼んだらお義姉さまにまた何を言われるかわかったものじゃない。


「どうせいつものパンケーキでしょ。

 ぼくいらないもん」


 きた…… 

 わたしは内心で舌打ちする。


 ま、我が家の台所事情のせいで毎日同じパンケーキしか出てこないのもあるんだけど、もう食べ物じゃ騙されなくなってきている。


 どうしよ、次はどうやってなだめすかそう。


「グリゼルタ! 」


 頭を抱えていると不意に名前を呼ばれた。


「エジェ? 」


 顔をあげると、とおりの向こうに立つエジェの姿が目に飛び込んできた。


「どうしたの、こんなところで? 」


 わたしは首を傾げた。


 独立するための仕事をはじめたばかりで忙しいエジェは最近めったに顔をみない。

 とはいっても、わたしは家から出られないし、エジェが我が家を訪ねてくることもほとんどないという話なんだけど。


「ん、ああ、商談の帰り。

 それより、時間あるか? 」


「あるけど…… 」


 わたしは手を繋いだテオに視線を向ける。


「じゃ、行くか」


 エジェはわたしの視線の行方で察したようにテオに手を伸ばす。

 小さなテオを軽々と抱き上げると肩車をして歩き出した。


「ちょっと、エジェ? 」


 わたしはそのあとを慌てて追う。


「セントラルパークの西口に行ってくれ」 


 道端に着けられていた馬車の御車台に声を掛け、エジェは馬車の中にテオを押し込むと次いで躊躇うわたしを引っ張り込んだ。


「もしかして動物園? 」


 この街一番の大きな公園には動物園が併設されていて、テオみたいな小さな子供を連れて行くのはもってこいだけど。


「一旦入ったら、テオ暫く帰るって言わなくなっちゃうけど、いいの? 時間、平気? 」


 走り出した馬車のなかで思わず訊いてしまう。


「暇がなければ声は掛けないぞ」


 エジェは笑ってテオに視線を向けた。


 確かにこの選択はありがたい。

 下手にティールームなんかに入ってテオのおなかを満たしたりしたら、今夜の晩餐は食べないし、毎日パンケーキにうんざりしているテオはうっかりすると明日のおやつだって手をつけない。

 そんなことになったらお義姉さまにまたなんて言われるか。

 その点動物園ならテオのおなかは膨れないし、園内を走りましって体力を消費するから、今夜の食事はすすむし寝つきもいいはず。

 さすがエジェ。


「ありがと、エジェ」


 見上げてお礼を言うと、少し得意そうなエジェの顔が不意に近付いた。

 エジェの唇が確実にわたしの顔に触れようとしている。慣れないあまりの至近距離に戸惑い反射的に距離を置こうとしたけど、あいにく狭い馬車の中に逃げ場はない。

 恥ずかしくて思わず目を閉じると、吐息が唇に掛かるのが却ってはっきりと感じられ、思わず頬が熱くなる。


「ねぇ、おねえちゃま動物園まだ着かないの? 」


 だけどエジェの唇がわたしに触れる前にテオの声がそれを遮った。


「もうすぐだよ」


 素早くエジェが身体を翻すと窓に掛かったカーテンを上げる。

 進行方向少し前に動物園の正門が近付いてきていた。


「待ってねテオ、馬車止まってドアを開けてもらうまでお席立たないでね」


 待ちきれない様子のテオをわたしは慌てて引きとめた。


 程なく馬車が止まり、ドアを開けてもらうと同時にテオは馬車を飛び降り走り出す。


「駄目よテオ、待って! 」


 手を借りるのを待つ余裕もなくわたしはテオを追いかける。


「迷子になると困るから、手を繋いでくれる? 」


 もう少しで逃げられそうになったテオの腕をかろうじて捕まえるとその手を握った。


「大丈夫だろ? ここそんなに広くないし。

 自由にさせてやれよ」


 御車に声を掛け何かを指示して一足遅く追いついてきたエジェが言う。


「そうしてあげたいのは山々なんだけど、預かりっ子だもの。

 万が一のことでもあったら困るの」


 エジェの言葉に少しだけ不満を感じてわたしは訴える。


 もしも怪我でもさせたら、お兄様になんていい訳したらいいかわからないどころか、言い訳すらできない状況になる。


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