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学科魔法士の迷宮冒険記(最終版)  作者: 九語 夢彦
1章 家族
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1章ー3:マヒコとミツル、魂斬家の日常

 自室を出た命彦(まひこ)達は、家の2階から階段を下りて1階の居間に入った。

「あら、時間ピッタリね? 命絃(まいと)が呼びに行ったのに随分遅かったから、心配してたのよ? また命彦を間に挟んで、命絃とミサヤちゃんが(とげ)のある言い争いをしてるのかもって」

 居間と隣接する台所から料理を持って、割烹着(かっぽうぎ)姿の、ややおっとりした色っぽい美女が、姿を見せる。

 魂斬(みぎり)魅絃(みつる)、命彦が姉と共に愛し、慕っている、自慢の母親であった。

 娘の命絃と似た顔付きに、穏やかさを宿す眼差し。緩く弧を描いたくせのある長く黒い髪と、極めて豊満である胸や腰付きを持つ、妖艶さが目に(まぶ)しい美女。

 実の娘と、まるで姉妹のようにも見える46歳の母親が、魅絃(みつる)であった。

「棘のある言い争いね……その心配は無用よ、母さん」

「実はミサヤ、まだ工房で寝てるんだよ」

「あら、そうだったの? てっきりもう起きて、命彦の部屋に戻ってると思ってたのに。……むむ? ということは、さっきまで命彦の部屋に2人きり? 命絃、まさか……」

「言い付け通りに節度は守っているわ。文句があるかしら、母さん?」

 厳しい表情で問う魅絃に、姉は余裕の笑みを返した。その横で、命彦が頬を染めている。

 実の娘をやや疑わしげに見るも、魅絃は小さくため息をついて、話を続けた。

「むうー本当かしらねえ? まあ今回はいいわ。10分くらいは見逃しましょう。それよりミサヤちゃんね? まだ工房内で寝てるってことは、昨日からの徹夜作業がよっぽどきつかったのかしら?」

 料理を食卓の上に置いて問う魅絃に、命彦が小さく首を縦に振った。

「多分ね。そろそろ本格的に整理する必要があったとはいえ、今工房にある魔法具の一覧表(リスト)の更新と、補充する必要がある消費型魔法具の選定。あと、効力がヘタってる魔法具の選別。こいつらを1人で処理するのは相当きつい筈だ。魔法具は300以上もあるし……だから2人でしようって言ったんだけど、気を遣われて追い出されちまったよ」

「ミサヤちゃんらしいわね? それだけ作業があったら、昨日の夕食後からずっと工房にオコモリだったのも当然だわ。考えてみれば、私や命絃が今まで作った魔法具は、命彦に全て試用(しよう)してもらってるわけだし、去年の分だけでも50くらいはあった筈。効力が切れたり、壊れてる物を差し引いたとしても、これまでの累積で300以上は確かにあるわね」

 魅絃がハの字に眉を寄せて、どこか気の毒そうに言った。

 その魅絃の横では、クククとやや小馬鹿にするように、命絃が慎ましく笑っている。

「ミサヤも命彦に褒めて欲しいのは分かるけど、点数稼ぎの方法は考えるべきよねぇ? わざわざ1日で終わらせようとするから無理が出るのよ。作業を分割して日を分けて行うとか、幾らでも方法はあるでしょうに。まあ今回は、その(あるじ)想いの頑固さのお蔭で、私は少し得をしたけど……」

「姉さん、そうやってミサヤを小馬鹿にしてると、もう寝る時、添い寝してやんねえよ?」

 少し怒ったように姉を(いさ)める命彦。すると命絃が慌てて言葉を返した。

「うぐっ! そ、それは嫌よ! ミサヤを笑うのは止めるから、添い寝して!」

「うむ、分かればよろしい。よしよし、厳しいことを言ってごめんよ」

 思いのほかすぐに態度を改め、くっ付いて来る命絃。命彦は笑って姉を抱き締めた。

 命彦の自室での様子を見ると、完全に主導権を命絃が握っているようであったが、どうやら命彦には、姉の命絃に対抗し得る、切り札が幾つかあるらしい。

 ただ姉に踊らされるだけの弟にはあらず、ということか。年頃の青少年であるために、欲望に負けることは多々あるが、ここだけは譲らん、という芯はしっかりあるようであった。

 今だけは兄と妹のように見える子ども達の様子を見て、魅絃が楽しげに言う。

「物事には気分が乗ってる時に一気に終わらせた方が、いい結果を生むこともあるわ。特に、整理作業みたいに単調で飽きやすいモノの場合にはね? それにミサヤちゃんは、命絃みたいに打算的意識を持たずにやってるのよ。ただ命彦に尽くしたい、役に立ちたい。その一心だと思うわ……うふふ、愛されてるわね、命彦?」

 魅絃の言葉に、命彦がはずかしそうに、しかしどこか嬉しそうに、照れ笑いを返した。

「いやあ、それほどでもあるね。母さんに姉さん、ミサヤと、美女達に愛されて幸せ者だよ、俺は。あはははは……」

「あらまあ、美女ってもう、命彦ったら本当のことを言って。母さん嬉しいわ、ふふふ」

「母さん、顔が緩み過ぎよ。それに美女って私のことだし……それより、早くお昼ご飯を食べましょうよ? 折角の料理が冷めてしまうわ」

「少しくらい(ひた)らせてくれてもいいのに、心の狭い子ねぇ? 美女達って言ってるんだから、私やミサヤちゃんも、美女って言われてるのよ? ……あ、ところでそのミサヤちゃんの分のお料理だけど、どうしようかしら?」

 そう言って艶っぽく首を傾げる魅絃の姿は、実に男心をくすぐる仕種であり、息子である筈の命彦でも、思わずクラッと来るほどの色気を感じさせた。

 命絃のジトリとした視線を背後に感じ、我に返った命彦が、その場を誤魔化すように食卓の上を見る。命彦達3人と話題のミサヤ。合計4人分の()()()の料理が、そこにはあった。

 お箸もしっかり4人分が食卓に用意されている。

「心配ねえよ、母さん。後で俺が工房に持って行くからさ? ミサヤは俺のために徹夜してまで作業してくれたんだ……もう少し寝かせてあげたいんだよ」

「分かったわ、じゃあお願いするわね? あと工房に運ぶ時は、もう1度温めてあげるから事前に言うのよ?」

「りょーかい」

 命彦がそう言うと、台所から最後の料理を持って来て食卓に置いた魅絃が、席に着いた。

 命彦も命絃と共に、食卓の席へ座る。魅絃が白米を茶碗によそい、家族3人で合掌した。

「「「いただきます」」」

 ()()欠けているのが残念だが、普段と同じ、命彦の心落ち着く一時が始まった。


「あぐあぐ、もぐぐ……、ごくり……」

 小柄である外見に似合わぬ食べっぷりで、次々と母の手料理を平らげる命彦。

 その息子の食べっぷりを見守って、穏やかに魅絃が笑った。

「命彦はいつも美味しそうに食べてくれるから、母さんも料理の作り甲斐があるわ」

「むぐ? ごくごく……ぷはっ、ご馳走様でした。母さん、美味しそうに食べるってのは間違いだ。実際に美味(うま)いから食べてるんだよ。母さんの作る料理はどれも本当に美味い、まさに絶品だ。世界で1番美味いと思うね?」

 最後の味噌汁を飲み干して手を合わせ、満足気に腹を(さす)り、命彦が言う。

 お世辞抜きで本心からそう思っているのだろう。命彦の目には、余りある母への信頼と愛情が宿っていた。

「お粗末様。真顔で嬉しいことを言ってくれるわ。さすが私の愛する息子、良い子ねぇ?」

 息子の母親偏愛(マザコン)発言に、くすぐったそうに笑った魅絃は、すっと席を立つと、まるで幼い子供をあやすように、満腹感に浸る息子を抱き締めた。

 全く抵抗せずに、母の愛情表現を受け入れた命彦の顔は、姉に抱き締められた時と同じくニヤケ顔であり、(はた)から見ていると、どこまでも緩み切った間抜け面であった。

「むふふふふ、けしからん感触ですよ、母上様。ああー……やわらけえぇ」

「まあ、命彦ったら面白い顔して。よしよし」

 自分の顔に感じる、姉を超える量感を有した母の胸。

 その感触を堪能し、鼻の下を伸ばしていた命彦は、重度の姉偏愛主義者(シスコン)であると同時に、重度の母親偏愛主義者(マザコン)でもあるらしかった。

 どこまでもふやけたその表情。心の病のように見える姿である。

「……2人ともそのくらいにしたら? 私がまだ食べてるし、ねえ命彦?」

 つんと()ました顔で命絃が口を開いた。表情こそ笑っているが、こめかみが微妙に引きつっている。加えて、額には十字の血管がくっきり浮かんでいた。分かりやすい姉である。

 魅絃の胸に溺れ、文字通り骨抜き状態であった命彦は、命絃の様子を見て我に返った。

「ね、姉さん……怒ってる?」

 余人(よじん)を立ち入らせぬ、ほんわかした空気を作る母と弟を見て、苛立ちを(つの)らせていたのか。命彦の問いかけに対し、命絃は優しくも冷たい笑みを浮かべつつ、言葉を返した。

「いいえ。ただ、さっきまで姉さんに甘えていた命彦が、数十分後には母さんにも甘えているという認めがたい現実に、少し苛立っているだけよ?」

 嫉妬心をゆらりと全身より発し、命絃が冷たい笑顔のまま緑茶を飲んで、言葉を続ける。

「あと少し褒め過ぎよね? 母さんの料理が美味しいのは認めるけど、世界で1番というのは言い過ぎでしょう? それと母さんもくっ付き過ぎよ。息子に料理を絶賛されて嬉しいのは分かるし、命彦が可愛いのは痛いほどよく分かるけど、母親と息子の距離感としては、問題があるように思うわ」

 道理を説くように落ち着きを払い、私情まみれでやつあたりの感情を、柔らかい言葉に包んで言う姉。まさに物は言い様というヤツである。しかも、命絃の文句はまだ続いた。

「幾ら魂斬家の者が愛情表現に豊かであると言ってもね……限度はあると思うの。今年で16歳の息子を、幼児をあやす様に目一杯抱き締めるのは、母親としてどうかしら?」

 自分も同じことを命彦の部屋でしていたくせに、平然と母に弟との接し方を説く姉。

 驚くべき(つら)の皮の厚さで、努めて気品の良い笑顔を浮かべた命絃が、魅絃を見据える。

「……まあとにかく、そろそろ命彦から離れてくれるかしら、母さん?」

 それが1番重要とばかりに、命絃は命彦をぐいっと自分の方へ引き寄せた。

 娘に息子を取られた魅絃だったが、その表情には余裕の笑みが浮かんでいる。

「あらあら。命絃ったら、困ったお姉さんねぇ? 母さんにまで()いてるの?」

「まさか。私は別に、命彦に料理の味を褒められて(うらや)ましいとか、抱き締めてるのが(ねた)ましいとか、そういうことは全然……あっ!」

 自分の傍に命彦が戻ってホッとしたのか、思わず母の問いに素で答え、口を押さえる姉。

「語るに落ちてるわよ命絃? そう思っていたのね?」

「姉さんはヤキモチ焼きだからねぇ。まあそういう風に、時折抜けてる可愛らしい面を見せてくれる所が、俺は好きだけどさ?」

 頬を紅く染めて眼を泳がせる命絃の姿を見て、魅絃と命彦は顔を見合わせ、互いに笑い合った。

 愛すべき姉と母。2人との生活が、命彦にとっての幸せであり、生きる意味であった。


 食休みも終わった命彦が、壁にかかった年代物の時計を見てそっと席を立つ。

「母さん、そろそろミサヤを起こしに行くよ。料理を温めてくれる?」

「いいわ、少し待っててね?」

 魅絃に、食卓に残る1人分の料理を温めてもらい、自分の空の食器を台所へ持って行く命彦。

 食器を炊事場へ置いてお盆を手にした命彦は、温め終わった料理を受け取り、お盆にのせた。

 そのままお盆を持って居間を出ようとした命彦が、ふと立ち止まって背後を振り返る。

「……姉さん、まさか付いて来るつもり?」

「当然でしょう? 場所が迷宮だったらともかく、家の敷地内の……ましてや工房という隔絶性の高い密室空間で、異性と2人っきりの食事とか、姉さんが許すと思って? ミサヤの命彦への愛情と献身(けんしん)は私も認めるし、だからこそ命彦の傍にいることを許してるけれど、魔獣とはいえミサヤも女。間違いを起こす可能性は十分ある。いえ、絶対あるわっ!」

 命彦の背後には、有無を言わさぬ冷たい笑顔を作った命絃が、幽霊のように立っていた。

「ミサヤちゃんが間違いを起こすねぇ……命絃じゃあるまいし、母さんから見ると、その可能性は相当低いように思えるけど? ミサヤちゃんの方が命絃より精神的に成熟してるし、分別もあるでしょうからね? 食事くらい落ち着いてさせてあげたら?」

「……俺もできれば、今のツンツンした姉さんは席を外してくれると嬉しいんだけど?」

「い、や、よ。命彦は姉さんが邪魔だって言うのかしら?」

 ズモーッと、命絃の笑顔からどす黒い圧迫感が生じた。

 命絃の視線は氷点下の冷たさで、命彦の全身にグサグサと突き刺さる。

「あーまあ、邪魔とまでは思わんけども……姉さん、ツンツンしてる時は凄い殺気出すし、多分ミサヤが落ち着かねえと思うからして……えーと」

 姉の視線を受け、目を泳がせて動揺する命彦が、どうにか言葉を選び、遠回しに伝えようと努力する。その甲斐はあったのか、命絃の視線に込められていた冷気がやや減った。

「そ、それは……」

「ミサヤちゃんが羨ましいのよね? 相手は魔獣とはいえ、美女に()()もできるし、可愛い子犬にも化けられる。おまけに(あるじ)を立てて、とても気遣いができる才色兼備の優しい子だもの。心配よねえー、命彦を取られるかもって?」

 むふふと笑いを(こら)える魅絃の言葉に、命絃の表情がピシリとひび割れた。

「母さん、少し黙っててくれるかしら? 私はミサヤが、命彦に不貞を働くかもと思って……」

「よく言うわ。命絃の方が余程その可能性が高いでしょうに」

 すかさず返された母の言葉に、命絃は過剰に応じた。

「わ、私はいいのよっ! 命彦の姉ですもの! 弟の全ては姉のモノでしょっ!」

 ムスッとした表情を浮かべる命絃にも全く動じず、魅絃はごく普通に言葉を返した。

「それ、どこの世界の姉弟関係かしらね?」

「ウチの家における姉弟関係ですが、文句があるの母さん?」

 自信満々に語る命絃の言葉に、魅絃はがっくりとため息交じりに肩を落とした。

「はあぁー……どこで育て方を間違えてしまったのかしら。母さんが()き付けたせいだわ」

「お祖母ちゃんのせいにしても無駄よ、母さん? 遅かれ早かれ、私と命彦は結ばれるわ。私達は相思相愛だし、そもそもそういう()()にあるんですもの……」

 虚空を見上げる姉の表情はとろけるようであり、妄想に浸っているのが十分に伝わった。

 その娘の(いた)過ぎる姿を見て、魅絃は頭痛を堪えるように、手でこめかみを押さえる。

「仮にそういう未来が待っていたとしても、私は母として、今の命絃に命彦はあげられません。その嫉妬心から、いつか命彦を刺しそうですもの……まあいいわ。今から命絃には、食器の後片付けをしてもらいます。命彦はお昼ご飯を持って行ってあげてね?」

「あ、はい……分かりました、母上様」

 問答を続けても時間の無駄と思った魅絃が、迫力のある笑顔で命彦に告げる。

 その母の笑顔に、底知れぬ怒気を感じた命彦は、壊れた人形のようにコクコクと首を振った。

「力づくで私の邪魔をするつもり、母さん? いいわ、受けて立ちましょうっ!」

「……色惚け娘を躾けるだけよ? 嫉妬心も行き過ぎれば、可愛さ減じて(みにく)さ百倍。命絃が命彦に見捨てられる可能性があるとすれば、その嫉妬心ね?」

 ガシッと姉と母が両手で取っ組み合い、ミリミリと腕力を比べ始める。

 実力的には命彦に匹敵、あるいは凌駕する可能性すらある、姉と母の魔力が溢れ出し、居間の室内に置かれた物が、その激しい魔力の波動を受けてガタガタと震え始めた。

「……ふ、2人とも、ほどほどにしてくれよぉ?」

 命彦は小声でそう告げて、お盆と共に、母娘(おやこ)の戦場と化した居間を脱出する。

 居間の扉を命彦が閉めたすぐ後のことであった。

「この若作りのオバさんがぁっ! 娘の恋路の邪魔ばっかりしてぇっ!」

「若作りじゃありませんっ! 魔力の細胞活性作用で実際に若いのよ! というか、実の母親によくも言ったわね、この色惚け馬鹿娘がぁっ! もう許しませんからねっ!」

 ドタンバタン、キャアキャアと色々と聞こえて来る。

 命彦はやれやれと肩を竦めると、すぐに苦笑を浮かべ、廊下を歩いて行った。

 どうやら姉と母、命絃と魅絃の取っ組み合いは、魂斬家では毎度のことらしい。

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